イメージの詩 第35回

土曜ワイド・ハッピーTOKYO

 
 
えのきどいちろう
(第12号で「山田うどんの青春性、そして僕の非・青春性」を執筆)
 
 
 
 20代後半は僕にしてはかなり積極的にテレビの仕事をした時期で、宮沢章夫さんらと『ニッポンテレビ大学』(日本テレビ)をやって、放送作家なのにワンコーナー出演したり、それから『土曜倶楽部』(NHK教育)だなぁ、初めてテレビ番組の司会みたい真似をした。まぁ、適性があるかどうかもわからず、とりあえずどんな仕事か覗いてみるニュアンスだった。

 で、けっこう大変だなぁと思ったんですよ。特に『土曜倶楽部』、これは糸井重里さんが司会をやった『YOU』みたいな番組で、専門のアナウンサーではなく物書きが番組進行してるってエクスキューズがあるんだけど、なかなかうまいこといかない。それからテレビは番組に関わってる人数が多すぎると思ったな。ラジオは雑誌に似てて、2、3人で話が盛り上がればゴーなんだよね。テレビは対象としている視聴者の数もケタ違いだし、番組スタッフも多い。ムダに労力かかる感じがした。テレビの世界で面白いことを実現していくには、ひとりじゃ無理だ。気心の知れた作家グループとか、こっちもチームを編成しないといけない。それを組織し、維持していくのはわりと面倒なんじゃないかな。
 

 

 TBSラジオの『土曜ワイド・ハッピーTOKYO』はそんな時期に始めた仕事。『土曜倶楽部』は収録番組だったけど、録りが土曜日の14時入りとかだったから、その前、お昼くらいに赤坂TBSへ行くのはぜんぜんアリでしょう。出演もののある日って気持ちがワサワサして、どうせ原稿の仕事はかどらないんだね。だから昼前に起きる→クルマでTBSに入って食堂でカレー食べる→土曜ワイド出演→クルマでNHKへ移動→土曜倶楽部収録→恵比寿の自宅へ帰る、のパターンが確立した。土曜日は出演の日ってことにしたんだ。

 やってみて、自分はやっぱりラジオが向いてるなぁと思った。自由度が大きい。反応がすぐ返ってくる生放送に魅力を感じる。TBSはまだ「ビッグハット」に建て変わる前の古い局舎だった。土曜ワイドは吉田照美さん&小林千絵さんの時代で、永六輔さんじゃないんだ。後に文化放送を聴いてくれたリスナーは①、僕のAM番組のキャリアがTBSで始まること、②、TBSで始まるにもかかわらず吉田照美さんなこと、の2つに驚かれるんじゃないか。

 担当していたのはラジオコラムのコーナー(「土曜ホットアングル」)で、まぁ、その後、『吉田照美のやる気MANMAN!!』(文化放送)の「マイクサイドボクシング オレに言わせろ!」にそっくり移植された企画。普段、雑誌に書いてるコラムを自分の肉声のトークにする。「昨夜こういうのを書きました」っていうのが多かった気がするけど、やっぱり音ネタはラジオでやったほうが面白いんだね。「頭にこびりついて離れない歌」の調査ってネタは鉄板だった。たぶん今でもラジオで皆、使ってるでしょう。つい口ずさんだり、頭のなかで無限ループしてるようなCMソングとか、そういうのをリスナーに寄せてもらうやつ。あれ、最初に考えたの僕なんですよ。

 照美さんの『土曜ワイド・ハッピーTOKYO』は91年に終わって、永六輔さんの土曜ワイド登板ってことになる。そのときね、オファーもらったんだよ。外回りのリポーター。何か近県の色んな土地へ行ってスタジオの永さんにリポートする仕事。当時は極端な夜型だったから、「朝起きる自信ないです」って断ったんだけどね。あれ受けてたら永さんファミリーだったでしょう。文化放送の仕事は一切してないと思う。ていうか、直後に始まるJ-WAVEの仕事もしてないだろうね。そう考えると不思議なもんだねぇ。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月20日号-

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