杉江松恋の、回り道から飛んでいく 第2回


僕には広い視野というものがない!

杉江松恋
(第14号で「伊勢街道でしょう!」を執筆)

 
 
 

 僕はミステリーの書評でご飯を食べている。
 僕の知っている限り「ミステリー」の「書評」だけで食べていける人というのは、1980年代まではものすごく少なかった。すでに故人だが中島河太郎氏や荒正人氏、存命中の方では権田萬治氏など偉大な先達はもちろんいた。
 しかし、それらの方たちはミステリー評論だけをして暮らしていたわけではないのである。今名前を上げた御三方についていえば、大学で教鞭を執られており、そちらの分野における認知度のほうが世間的には高いはずだ。そうした「本業」を持たずに文筆1本、もっといえばミステリーという文学ジャンルだけで勝負する評論家というのは、1970年代に活動を開始された新保博久氏が最初だったのではないだろうか。新保氏と同じワセダ・ミステリ・クラブ出身の関口苑生氏、香山二三郎氏など、それに続いた書き手はいるが、絶対数としては誠に微々たるものである。
 ミステリーというジャンルには1980年代末にバブル的なブームが起き、それによって飛躍的に出版点数などが増大した。僕は、たまたまその上り調子のときに居合わせたのである。そうでもなければたいした実績もない若手ライターには仕事など回ってこなかったはずだ。
 僥倖のようなブームのおかげでライターとして食えるようになった。
 そういう実感が僕にはある。
 ちょっと早くても、ちょっと遅く手も、おそらく今のようには仕事をしていなかったはずだ。
 危ないところだった。
 

 

 何を言いたいかというと、いつも危機感を抱いているということですね。
 運に味方されて掴んだ仕事だから、それが離れていけば失職するかもしれない。
 そういう不安と同居しているわけである。
 今でこそそんなことはないが、もっと若いころは不安で不安で眠れない晩をいくつも過ごしたものだ。
 布団に入るでしょう。そうすると、自分がその一月にやった仕事の数々が頭に再生されていくわけである。
 そして、その原稿料についての金勘定が始まる。「○ステリマガジンで何枚書いたからいくら、○PA!で書いたからいくら」といった具合に。原稿料の合計が出る。とてもではないが、それだけでは暮らしていけない額だ。もう結婚している。子供も生まれた。そのころはまだ会社員との兼業だったが、すでに辞めることを考えていたので、独立したらどうなるかということが頭をよぎる。
 とてもじゃないが暮らせる額じゃない。
 妻との共稼ぎだからなんとかなるけど、何かがあって自分一人で一家の屋台骨を支えることになったら、たちまち行き詰るだろう。
 本当に会社を辞めちゃっていいのか。どんなに嫌でも、今の仕事にしがみついているべきなんじゃないか。
 そういう考えが頭にぐるぐる渦巻いて、眠れなくなるわけですね。
 おっと。専業ライターの方から「兼業で会社からも給料をもらっていたくせに贅沢を言うな」とブーイングを飛ばされたような気がするが、そこはご勘弁を。
 なにしろ、ライターとしては誰に師事したわけでもなく、もちろん先輩たちに助けてもらいながらやってきたわけだが、基本的には営業活動は一人でやってきたので、自分がどの程度のライターなのか、まったくわからなかったのである、当時は。
 いっぽんどっこになったら消えちゃうような木っ端ライターなんじゃないか、という疑惑からは、ついにそのころ自由になることができなかった。

 おっとまたまた話がまだるっこしくなった。
 つまり何が言いたいかというと、そういう状況下では「貧すれば鈍する」かもしれない、ということだ。
 仕事が欲しくて、ライターとして名前を売りたくて、目の前にぶら下げられたものについ飛びついてしまう。ライターのような自由業者が仕事を選んじゃいけないとは思うが、それはやらないほうがいいだろう、というようなものにまで手を出してしまうのだ。
 そういう仕事を30代のころはずいぶんやった。
 ここでは書けないような内容の原稿もたくさん書いている。一応書いた原稿はすべてデータで保存してあるのだが、あのころのファイルを開いてみることは一生ないだろう。恥ずかしくて恥ずかしくて悶死しちゃうから。
 いちばん恥ずかしいのは専門外の原稿を書いていることである。
 最初に書いたように、僕の専門はミステリーだ。
 なのに、たいして詳しくもないジャンルに手を出して、生ぬるい原稿を書いちゃったのである。
 これはライターとして本当に恥ずかしいことだと僕は思っている。理由はたくさんある。まず、素養のない者が書いた原稿が出回ることによって、その分野に余計なノイズを入れてしまう。これは自身の無知を居直っているようなもので、とてもよくないことだ。副次的には、適性を持つライターからの仕事を奪うことにもつながる。もし僕が書いていなければ、もっと詳しくて、もっと誠実なライターがその原稿を書いていただろうから。そして最大の理由は、そういう実のない原稿を書くという行為は、ライターという職業自体を貶めるに他ならないということである。
 これが僕にとってはいちばん恥ずかしく、いちばん恐怖することだった。
 ぺらぺらの原稿を書いているうちに、自分はぺらぺらのライターになるのではないか。
 そういう思いが浮かんでくるのが、収入が少ないことよりもはるかに恐ろしかった。
 ぺらぺら、ぺらぺーら。
 昔の漫画に出てくるガイジンじゃないんだから。

 そのころの状態がもし続いていたら、僕がやってしまいそうなことが一つある。
 それは「たいして詳しくもないのに流行に口を挟み、我田引水の意味づけをしてしまう」ということである。
 そして「たいして詳しくもないのにその流行現象の権威になってしまう」ことである。
 もしかすると「その流行現象を踏み台にして、何か偉いポストを手に入れてしまう」かもしれない。
 いや、別にそれは特定の何かを指して言っているわけじゃないです。あくまで、架空の「何か」ね。
 要らぬ誤解を招きたくないので、慌てて補足する。
 自分の手札で現象を切ることは、ものごとを理解する上でとても大事である。世界から自分に向けて開かれた窓は一つしかなくて、それはとても狭いのだから。
 最初は何かをとっかかりにして「外」を理解するしかない。当たり前です。
 ただ問題なのは、その理解があまりに巧く行き過ぎると勘違いしてしまうということなのである。
 その窓から見える光景だけが世界のすべてだと思い込んで、窓枠の外にはみ出している部分を切り捨てるようになる。
 サッシの中だけにある世界。
 それってものすごく貧困である。
「世界」への侮辱でさえあると思う。

 大学の指導教授にもさんざんからかわれたのだが、20代のころの僕は、とても思い込みが激しかった。つまり窓枠が狭くて固くて、そこに世界を押し込めるのが大好きだったのである。
 教授が僕に面と向かったのが「君はフェティシストだから」ということだった。
 真意を確かめたわけではないが、つまりそういうことを言いたかったのだと勝手に思っている。
 そう、僕は思い込みが激しく、知見の囲い込みもひどかった。
 それを自覚し、克服する(というか自身の性向を抑え込む)のに30代までの長い時間がかかった。けっこうたいへんだったのである。
 なので、もし僕が魅力的な「世界」を与えられたとしたら、何かをする前にまず窓枠の存在を自覚する作業から始めなければならないのである。
 やっかいなのよね。

 で、ここまではまたしても、ものすごーく長い前置きである。
 僕はそんなわけで自分の「批評家」としての体質を信頼していない。コレクターとしてはちょっと優秀だと思っている。何かを箱に入れるのは得意だ。でもそれは、箱に入れた、ということに過ぎなくて、それ以上の意味は何もない。
 だから一つだけ自分に決まりを作った。
 自分が狭い窓から覗いただけのものを、飯の種にしない。
 箱の中に何が入っているのか、人に見せたり、薦めたりしてもいい。しかし、それを本業にはしないことにする。
 これが僕の「歯止め」である。
 そうしておかないと、僕はどんどん嫌な人間になっていってしまう。
 だから僕は、とても大好きでたまらなくて、一日中それについて考えているものを、本業では扱わないことに決めている(これまで若干の例外はあったのだが、それについては次回理由を説明する)。
 東方Projectである。
 そう、半分は東方のことが書きたくて僕はこの連載を始めたのだった。
 やっとここまでたどり着いた。
 僕は東方が好きなのです。
 あ、知ってましたか。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月10日号-

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