今朝はボニー・バック 第30回

高校受験スベったら(前編)

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)

 
 
 
1月も下旬に突入したというのに何なんですが、みなさんはどんな初夢を見ましたか? ぼくはたしか3日に見た、ちょっと気になっている女性とドライブをして太もも辺りをなで回すという夢を今年の初夢と認定しています。
さて、この夢というヤツ、朝起きたらほとんど覚えていないのがほとんどだけど、中には「また見てしまったか」とまるで「ナウシカ」のように何度も脳内放映されるものもありますなあ。

ぼくがこれまで最も多く見てきた夢は、「高校受験」をしている夢だ。ほとんどがいちばん苦手だった数学の問題を解いているときで、答案用紙がまったく埋められないまま時間ばかりが過ぎ、不合格を確信するというシーン。
これだけでも夜中に冷や汗をかいて布団からはね起きるには十分な悪夢なのだが、受験は一度では終わらない。夢でぼくは次の年も同じ高校を受験するのだけど、またしても問題がまったく解けない。そしてその翌年も・・・。気がつくと、最初に一緒に受験した中学の同級生は高校を卒業し、もし試験に合格して高校入学を果たしたとしても周りはずいぶん年下ばかりという状況。まさに無間地獄。
 

 

高校受験をしてからだいぶ経つというのに、なぜこんな悪夢を未だに見続けるのかというと、ぼくは一度受験に失敗しているからだ。
16年前のちょうど今頃、ぼくは秋田県内で2番目位の進学校を受験し、スベった。その高校は、国語、数学、英語、理科、社会の5教科500点満点で370点取れば確実に合格。ぼくが受験した年は例年に比べても英語の問題が難しく、後々聞いたところでボーダーラインは330点ほどだったらしい。受験から一夜明けた教室では、同じ高校を受けた同級生が「自己採点で350点だよ、ヤベー」と嘆いているのを尻目に、ぼくの自己採点はたしか250点ほど。合格する方が難しいというか、高校側にしてみれば他の受験校の生徒が紛れ込んだのでは思ったのではないだろうか。それぐらい悲惨な結果だった。

自己採点を終えた段階で落ちたことは確信していたたが、一応受験日から1週間後ぐらいにあった合格発表を見に行くことにした。めちゃくちゃ雪が降っている日だった。高校玄関前に貼り出されていた合格発表ボードには、ぼくの受験番号「48」は、やはりなかった。周りの合格した同級生たちに情けない姿を見られたくなかったので、「いやぁ負けた負けた、完敗じゃい」と無理矢理笑顔を作ってその場を立ち去ったっけなぁ。
帰宅し、泣きながら家族に不合格だったことを報告するぼく。父、母、兄、じいちゃん、ばあちゃんが押し黙っている中、最初に口を開いたのが85歳近くになるひいばあちゃんだった。
「修二、なんで泣いてる?」
ややボケが来ていたひいばあちゃんは、ぼくを自分の末の息子と勘違いしているらしい。それを聞いたばあちゃんが「修二だったら落ちたりはしない」とぼくの傷口に塩を塗るような発言。「そんなことを言うなよ!」とばあちゃんを避難する兄。さらに落ち込むぼく。

しかし、悲しんでもいられない。すぐにでもこれからどうするかを決める必要があった。選択肢は2つ。後期試験で私立高を受験するか、中学浪人して来年また公立の高校を受験するか、である。
ぼくの腹は不合格を確信したときから決まっていた。来年また同じ高校を受ける、だ。秋田県には5校しか私立がなく、そのうち2つが女子校。さらに残りの3校のうち2つがぼくの住んでいる横手市から遠く離れた(電車で2時間ほど)秋田市にあった。県南に唯一ある私立高は、進学校の合格ボーダーラインに遠く及ばなかったバカが言うことではないのは承知だが、ホントに公立校を落ちた生徒の救援ネットのような学校と認識していた。それに、決して裕福とは言えない家庭で、高い私立高の学費を出してもらうことの引け目もあった。
家族だけでなく、親戚・知人縁者からは「次の年に合格したとしても年下の同級生に囲まれて上手くやっていけるの」と心配する声もあったが、ぼくの考えは変わらなかった。そもそも、中学に入学したときからどんなに成績が上がらなくてもぼくの志望校は変わらなかった。理由としては、2つ年上の兄が入っていたというのもあるし、好きだった同級生の志望校だったというのもある。それらを抜きしても、今となってはぼくが入る高校はそこしかなかったような気がするのだ。

合格発表があったその日のうちに母親と共に中学に出向き、担任に中学浪人をする旨を伝えた。母親は担任に「(浪人する方法の1つとして)もう1年、中学校に籍を置いてもらうことはできないか」と尋ねていたが、担任の返事は「すでに卒業式を終えてしまっているので、それはできない」。そりゃそうだ。
担任からは秋田市にある中学浪人を専門に教える予備校を勧められ、翌日には入学手続きを済ませた。こうして、1年間の中学浪人生活が始まったのである。

ちなみに、合格発表の数日後に、中学校で卒業生、在校生が一堂にそろって学校を離れていく先生たちを見送る式があった(卒業式を終えてからそんな式を行うのも変な話だが)。この式にぼくは出るつもりでいた。高校受験に落ちたからといって姿を見せないまま同級生たちに気を使われるのはごめんである。賤ヶ岳の戦いの敗戦後、自害せずにあえて市中引き回しの刑を選んだ佐久間盛政と同じ心境である。ただ、式の日にちをまちがえていたために実現はしなかったが。

あとひと月も経つと高校受験が始まる。今頃、受験生のみなさんは追い込みの最中だと思う。そんなときに不合格者の経験談というのは縁起でもないかもしれないが、合格者の笑顔の影には涙を飲む受験生もいる。合格するための必勝法は巷にあふれているが、高校受験をスベったらどうなるかはあまり聞いたことがない。今回から数回にかけてお届けするこの連載を参考にしていただけたらと思う。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月22日号-

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