ちょっとプアンなタイ散歩 〜新婚旅行編〜 第4回


分泌液のひとりごと

吉野 歩
(第13号で「選挙事務所に混じる」執筆)
 
 
 
 急に「タブレット」と言われても、未だにフリスクとかラムネの類を思い浮かべてしまうのである。今ではiPadとか、ああいうデカ平たい端末のことを指すらしいが、ピンとこない。全然関係ないけど、さっきパソコンでフリスクを変換したら「不リスク」と表示されました。それはそれで堅実で魅力的な言葉ですね。
 
 そんな調子であるから、家電量販店なんかで店員さんからタブレットの便利さとやらを熱く説明されても、なーんにも響かない。こんなの一体誰が買ってるんだろうといぶかしんでいたら、思わぬところで遭遇しました。バンコクの屋台です。2、3年見ない間にすごい普及率。ざっくりとした印象だが、スクンヴィット通りのとある密集地では7割を超えていた。歩道と車道の境界線を埋め尽くした無数の屋台が、それぞれ家の延長みたいにテレビを見ている光景は異様だ。
 タブレット中毒に犯されているのは、Tシャツとか雑貨、アダルトグッズを扱う屋台の人たち。メシ屋はそれほどでもない。パズルゲームやLINEのチャットに興じている店主もちらほら。近所の屋台から数人が集まって、ドラマ鑑賞会が開催されている場面さえあった。え、そこ、感極まって泣いてないよね?
 基本、彼らは暇ですからねぇ。人通りは多いが物色されるだけでめったに売れない。どーせ売れないんなら諦めて、こっちはこっちで楽しくやろうぜ。という流れなんだろうが、屋台の人に無視されるというのもそれはそれで寂しいもんです。悔しいけど、今までしつこく付きまとってきた相手が急に背を向けると、追いたくなるんだなぁ。
 

 

 だって、バンコクの屋台、とってもいいんだ。思わず突っ込みたくなるヘンテコリンなおじさんや、毎日通わずにはいられない物件がまだいっぱいある。観察しているだけで3日ぐらい平気で過ぎちゃうのだ。
 例えば、もはや売ることより作ることが目的と化してしまった、トゥクトゥク(客を乗せる三輪オートバイ)職人。といっても彼が作るのはミニチュアのおもちゃである。1週間バンコクを歩いて、これを作っているのは彼一人だけだった。アンディ・ウォーホルもぶっとぶ極彩色の空き缶を切り抜いては、トゥクトゥクの屋根として貼りこんでいく。それがまたタイ車独特の色遣いそのままで、とっても見事。見事なんですけど、これがまた見事なまでに売れない。確かに、使い道思い浮かばないしなぁ。だが彼は気にしない。木箱の上にもくもくとデッドストックを積み重ねていく佇まいには、どことなく修行僧の姿がダブる。大丈夫か?

 そして、姉妹のメシ屋。もちろん叶姉妹でもキャッツアイでもこまどり姉妹みたいな感じでもないです。小学4年生ぐらいの妹と中学2年生ぐらいのお姉ちゃんが、二人だけで麺や惣菜をさばいている。早朝営業のキャバクラのまん前に、大八車を下ろして。
 平日のこんな時間から働いているのだから、おそらく彼女らは学校に行ってないんだろうけど、そのことについて嘆くとか、人権を守ろうみたいな話じゃないですスイマセン。特別なことは何もないのに、今でも忘れられない二人なのだ。
 まだアニメのシールで喜びそうな顔の妹は、包丁を持たない。がたがたと安定しないアルミのテーブルを拭いたり、野菜の種をとったりするのが彼女の仕事だ。
 私は、妹に豚肉のヌードルを頼む。「マイ アオ ペッ(辛くしないで)」と、つたないタイ語を2度ほど繰り返すと、妹は唇の端を少しだけ上げた後でお姉ちゃんに伝言しに行く。「辛くするな、ってさー」。妹はそれだけ言うと、やることがなくなったらしく、調理台の周りをふらふらしている。暇だけど、店を離れるわけにもいかないし、立派なタブレットも二人にはない。だから仕方なく、ぼおっと道行くバイクや車を見てるわけですね。もしかしたら、排気ガスで曇った空を見ながら別のことを考えているのかもしれないけど、それは私には推測しようもない。
 その間もお姉ちゃんは、もくもくと鍋をかき混ぜたり材料を切ったりしてるんだけど、合間合間を縫って、野菜の切れ端や皮をむいた果物を妹の口に押し込んでいる。それを無防備に受け入れている妹。お姉ちゃんの手が口元10センチぐらいのところまで近づくと、あーんって口あける。
 ああ、いいなぁって思った。私は女姉妹がいなかったから未知の世界なんだけど、これがお姉ちゃんと妹というものか。彼女らが会話を交わしたり、触れ合ったり触れ合わなかったりする度に、いちいち反芻し、感心する。するとどこから出てくるのか胸中に甘い分泌液が染み出してきた。なんかいいぞ、もっとやってくれ。
 この分泌液の正体が知りたくて、3日か4日ぐらい彼女らの店に通った。憧れなのか、古き良き姉妹像を勝手に投影しているだけだったのか、それとも他の何かだったのかは、結局今でもわからない。
 
 それにしても、ショバ代はどうしているのだろう。ちゃんと払えているかしら。他の店のヤツに苛められたりしていないかなど、余計な心配も頭をもたげてくる。
 昼過ぎに行ったら、見たことのないおじさんが手伝っていた。別の日の夕方は、おばさんが来ていた。両親かもしれないし違うのかもしれないけど、ほっとした。屋台がタブレットずくめになろうが、反政府デモが起きようが、地球に恐怖の大王が降り立とうが、とりあえずそれとは別のところで、この店はうまくいき続けてほしいと思った。私じゃありません、分泌液がそのように申しているのです。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月23日号-

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