旧宅探訪  第4回

東中野 茂美荘

 
下関マグロ(第14号で「僕の八〇年代エロ本仕事」を執筆)
 
 
 
 
 
中野坂上駅が最寄のフレンドマンションにはたった半年しか住んでいなかったけれど、ここではいろいろなことがあった。一緒に住んでいたのは同じ会社のスーさん。僕とスーさんが働いていた会社は『スウィンガー』というスワッピング雑誌を発行している出版社だった。僕の仕事は書店まわりの営業。スーさんは編集部に所属していた。僕は朝、家を出て夕方には帰ってくるごく普通のサラリーマンで、スーさんはまったく不規則で、たいてい夜はいなかった。2、3日帰ってこないときがあって、朝方ひょっこり帰宅すると、翌日の朝まで延々と寝ていたりとかそんなかんじだった。ちなみにこれがスウィンガー時代の名刺。今では会社もなければこのビルもない。
 

 

 
 
ある日の朝、会社に出かけようとする僕に「仕事で動画を撮影するんだけど、ウチ使っていいかな」とスーさんが聞いてきた。僕が会社に行っている間になにか撮影するそうだ。「もちろんいいに決まっているじゃない」と僕。その日、会社の仕事を終えて帰宅した僕にスーさんは、「今日撮影したビデオ見ない?」と言声をかけてくれた。フレンドマンションは2DKで僕たちはそれぞれのひと部屋ずつを使っていた。スーさんの部屋にはVHSビデオがあった。そこで見たのは、ウチのバスルームで入浴している男女二名。他にもいろいろあったけれど、印象に残っているのは湯船に浸かった2人の間に、入浴剤のバブがひょこんと浮き上がってきて二人とも驚いているというシーン。出ている女優さんは早乙女宏美だと教えてくれた。日活ポルノなどに出ている女優さんだそうだ。そして、男性のほうは、男優募集の広告でやってきた若い人だそうだ。会社ではビデオテープも売り出そうとしていたようで、スーさんが撮影していたのは、そのテスト版のようなものだった。

前回も書いたが、この部屋を借りる条件は、北関東に住む、塗装屋さんを月に1回ほど住まわせることだったのだが、寝具などどうすればいいのか聞かないまま、その日がやってきた。Aさんは、30歳くらいの背は低いけれど、筋骨たくましいかんじの人だった。スーさんはいなかったのだが、いきなり夜やってきたAさん、僕と少しおしゃべりをして「じゃ、寝るわ」とダイニングに横になった。あ、布団とか毛布はと聞こうと思ったら、すでにいびきをかいている。仕方ないので、シーツかなにかそんなものをかけてあげた。このAさん、時に僕たちをバイトに誘うことがあった。塗装の仕事の手伝いで、時間帯はたいてい夜だった。オフィスの壁塗りなど夜行われることが多く、深夜、Aさんといっしょに出かけることが多かった。といっても、何もせずただ待機していたり、ちょっとした軽作業をやることぐらいだったが、仕事に行くと、1万円くれた。割のいい仕事だった。

訪れる人もけっこう多かった。大好きだったのは「田所はじめ」というペンネームでスポーツ新聞などに記事を書いていたフリーライターの人だった。僕より少し年上で、たぶん家が近かったからか、テレビ東京のディレクターだという井上という人といっしょにきていた。最初はスーさんをたずねてきていたのだけれど、そのうち、僕だけのときも家にあがってきた。おもしろかったのは、警察無線を傍受する機械をもってきてくれてたこと。当時は、秋葉原などで警察無線を傍受する機械が普通に売られていたそうで、田所さんは、これをもってきては僕に聞かせてくれていた。これは、警視庁の無線で、まずは「110番入電中」から始まり、どこそこでケンカがあって、それを見ている人から110番がかかってきているとか、そんなものをずっと24時間聞くことができたのだ。そのリアルさはかなりのもの、というか、本物だからね。そのうち、警察無線はデジタル化されスクランブルがかけられて、市販の機械では聞くことができなくなっていた。

スーさんも僕も会社をやめて、自分たちで仕事をしたいという漠然な計画があった。すると、スーさんがいきなり名刺を作ってくれた。人生2枚目の名刺だ。
 

 
当たり前だが、上記の住所はあるけれど、「BIG HEAD」はそこにはない。ちなみにスーさんいわく、「Big Head」という英語の意味は、でかい口をたたく、だそうだ。その年(1982年)の暮れには会社をやめようかと思ったのだが、会社の社則を見ると、退職金が出るのは、1年以上勤務した者からだということで、会社をやめるのはちょうど一年という翌年の3月に決めた。その年の暮れ、僕は山口県に帰省しなかった。理由は金がなかったからだ。貯金などまったくなく、いつもカツカツの生活だった。クリスマスにスーさんが買ったファミリーコンピューターを僕は年末年始やりまくった。ゲームは「ドンキーコング」と「野球ゲーム」。

1983年3月、僕とスーさんは会社をやめた。そのとたん、生活は逼迫した。スーさんとの「BIG HEAD」もなにも仕事をしていない。このままでは、パンクしてしまう。スーさんと話し合い、とにかくフレンドマンションは出ることにした。あわてて、近所の不動産屋で部屋を探した。僕の人生はいつもこんなかんじだ。いきあたりばったり。とにかく家賃の安いところということでさがしたのが、茂美荘という3畳のアパートだった。

 

 

ここには3年も住むことになった。

 
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月26日号-

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