今朝はボニー・バック 第31回

高校受験スベったら(中編)

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)

 
 
 
「奥羽本線(下り)快速 7時2分横手発秋田行き」
16年前、ぼくが秋田市にある予備校に通うため利用していた電車はこれじゃないだろうか。ネットの乗り換え案内で調べたものだ。16年も経っているので多少運転時刻が変わっているかもしれないが、7時台の快速だったことはまちがいない。
で、到着時刻だが、7時59分とある。あれ、1時間もかからないな。前回、「秋田市までは電車で2時間ほど」と書いたのは思い違いだったようだ。もしかすると、帰りに利用することがあった普通電車だと約1時間20分の移動時間なので、1時間20分と120分をごっちゃにしていたのかもしれない。とにかく、時間が倍に感じられるほど苦痛だったことはたしかだ。県南一の進学校を受験してスベった15歳のぼくは、1年間、父親か母親の運転する車で駅まで行き、電車に揺られること1時間の距離にある秋田市の予備校に通うことになる。
そうだそうだ、4月の入校式を前に、伯父さんや叔母さんから「入学祝い金」をもらったんだった。浪人したヤツに祝いもないもんだけど。渡す方も貰う方もずいぶんばつの悪い祝い金だった。
 

 

予備校の入校式には母親も出たはずだ。出席者は校長以下、教師たちと高校受験に落ちたぼくら生徒とその保護者たち。生徒は男子が20人ほどで、女子は10人もいなかったような気がする。少ないと思われるかもしれないが、この理由は後ほど説明したい。
覚えているのは、たしか校長だったと思うが、高校入試という、おそらく人生で最初に経験する大一番に負けた面々を前に、入試の失敗にかけたブラックジョークを放ったこと。数人の保護者が笑っていた。まあ、かける言葉も難しいし、変になぐさめるよりはそっちの方がいいわな。
それと、英語担当の教師が3分ほどのあいさつをすべて英語でまくしたてたこと。ぽかーんとしている全出席者の雰囲気を察してか、他の教師が「ちょっと先生、内容の説明はないんですか」と促したが、英語教師の返事は「これぐらいはわかるでしょ」。少なくともぼくはほとんど理解できなかったし、他の生徒も同様だろう。ただ、学校のレベルとその目的を知らしめる意味で、生徒のケツの穴を引き締める効果はあったようだ。

その頃、同じ高校を受けた中学の同級生と遭遇するという出来事があった。その日は同じ町内の家で、新築の建前の餅まきが行われる日だった。当時町内で「餅まき荒らし」の名を誇っていたぼくとしては参加しないわけにはいかない。その家の庭先で餅がまかれるのを今か今かと待っていると、道路の向こうから学ランを来た高校生数人がチャリに乗ってくるのが見えた。そのうちの1人は遠目からでもすぐにわかった。1ヶ月ほど前まで同じクラスだった石山だ! そうか、この辺りはあいつにとって高校の通学路になるのか。石山がぼくに気がつかずに通り過ぎていくと、同じ高校に通う兄キが「あいつ、お前の同級生だよな」と聞いてきた。その日、ぼくがほとんど餅をゲットできなかったのは言うまでもない。

本格的に予備校生活が始まった。30人弱のクラスメートで、横手市から来ているのはぼくだけだった。ほぼすべてが県中央にある中学から来た生徒で、中には小学や中学が一緒だったという顔見知りも何人かいた。
ぼくは予備校のイメージとして、目標とする学校には落ちたけど、それなりに成績優秀な生徒が入るものと思っていたが(中学浪人ならなおさら)、クラスメートの日頃の発言や授業中の受け応えを見てると、どうやらそうではないらしい。バカがいる。しかもけっこうな数だ。その例をいちいち挙げるのは面倒なので省略するが、ちょっとイタい言動のヤツとか、予備校なのに「シメる」「シメられた」とか言ってるヤツとか。
はて、これはどうしたことだろう。ここは県内の予備校の中でも進学校の合格率トップと聞いていたのに。しばらくしてその謎は解けた。高校受験を教えるクラスは2つあったのだ。つまり、県内トップの進学校を目指す生徒用のクラスと、それ以外の高校を目指す生徒用のクラス。クラス分けをするために試験をした記憶はないので、単純に志望校のレベルで振り分けたのだろうか。なんにせよ、ぼくが入っているのはバカクラスだった。自然、ぼくの居場所は不良でもバカでもなく、かといってガリ勉タイプでもない進学校を目指すグループに落ち着いた。予備校でのぼくのあだ名は「カズさん」だった。カズ、三浦カズに似ているからつけられたものだ。

ただ、予備校時代のことは断片的なことを除いてほとんど失念してしまった。たとえば1日何時間授業だったかやクラスメートの名前、どれくらい成績が上がったかなんかはまるで思い出せない。たぶん思い出したくない過去として脳が抑えているんだろうなあ。
授業の内容は、どの科目も過去問を使って受験問題の傾向に慣れされるというやり方だった。模擬試験の頻度は3ヶ月に1度ほどだったろうか。当時の問題集、ノート、テスト用紙なんかはまだ実家の押し入れに眠っているはずだ。正月に帰省した際に持ってくるんだった。
クラスメートの名前を一人も思い出せないように、教師も印象に残っているのは先の英語教師を含めて数人だけ。一人は、最初の授業で「ポール・マッカートニーに似ていると言われている」と自己紹介した垂れ目の教師。続けてかました「今日はジョージは来ていないんだけど」というボケに、ぼくの隣のヤンキー生徒が「つまんねえ」とつぶやいてたっけ。それと、担当科目は忘れたが、この教師は授業で難問を解いた生徒に学食の「肉うどん」をおごってやると言っていたな。教師よりも、予備校の肉うどんが絶品だったことをいま思い出した。いまだに駅で立ち食いそば屋の肉うどんの香りを嗅ぐと、予備校時代の記憶が開くような気がする。
もう一人の教師はこれまた担当科目は忘れたけど、名前はたしか「ソガベ」先生だ。このソガベ先生は叱り方がとてもユニークで、生徒が簡単な問題を解けなかったりすると、その生徒の頭スレスレのところで小橋建太ばりの連続逆水平チョップを「グルグルグルグルグルグル・・・」(本人は「このこのこのこの」のつもりらしい)と言いながら繰り出すのだ。ソガベ先生はこれを食らうことが多いバカ生徒やヤンキーにも人気があった。

ぼくは高校生になってからは学校をサボりがちになるが、予備校にはマジメに通っていたと思う。家族の目もあるし、高校に入るためには成績上げるしかないからね。でも、勉強ばかりをやっていたわけではない。予備校のある秋田市にはタワーレコードもあるし、佐々木希が働いていたというファッションビル「FORUS」もある。そこでUKパンク風のボーダーセーターやミリタリーシャツを買ったり、横手市のレコード屋では手には入らないCDを買ったり。
また、初めてバンドのライブに行ったのも予備校時代だ。バンドはハイロウズで、場所は秋田県児童会館。アルバム「ロブスター」を出していた頃で、季節は秋だったような気がする。ライブは、ヒロトが金髪だったことと1曲目がシングルカットされた「千年メダル」だったことぐらいしか覚えていない。それからぼくは3年間連続でハイロウズのライブに参加することになる。

また、ぼくが無謀な高校入試をする理由の1つでもあった、中学3年のときから好きだったYさんに初めてラブレターを出したのも予備校時代だった。手紙ではなく、ポストカードで(黒澤明記念館で買った、裏に黒澤明の絵が画かれたものだった)。みうらじゅんさんも最初のラブレターは往復はがき(にマッキー黒)で送ったということだが、なぜ童貞は送り先の家族にもバレバレの行為をするのだろうか。送ったのは1通だけではなかったはずだが、Yさんから返事は来なかった。

ライブに行ったり童貞をこじらせたりしているうちに季節は冬になり、高校入試まで2ヶ月を切っていた。県内の中学生も参加する最後の模擬試験は横手市の会場で受けた。最近よく「ゾーン体験」という言葉を耳にするが、このときはぼくも一種のゾーン体験状態にあったと思う。なんせ、国語の長文の問題中にあったジジイと少年の会話をいまだに覚えているのだ。そのテスト結果は500点満点中420点ほどだったと思う。
模擬試験から数日後、ぼくは母親と共に約8ヶ月ぶりに母校の中学を訪ねた。2度目の受験の手続きをするためだ。元担任に次も同じ高校を受けることを伝え、先の模擬試験の成績表を差し出した。元担任は成績表の総論部分を「まず問題なく合格できるでしょう、か」と、目を細めながら読んだ。
1つ気がかりだったのが、昨年よりもその高校を受ける生徒が多いということ。つまり今回の方が倍率が高いのだ。

予備校生活も大詰めというところまで来たある日の授業中、クラス1のバカでヤンキー(おそらく脱童貞)がポール・マッカートニー似の教師に尋ねた。
「もし次も入試落ちたら、この学校ってまた入れるの?」
ポールの返した言葉は冷たかった。「中学浪人に予備校2年目があるはずないだろ」
その言葉を胸に、15年前の3月某日、ぼくは2度目の高校入試を受けるのである。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年1月29日号-

Share on Facebook