旧宅探訪  第6回

荻窪 スカイコート荻窪第3

 
下関マグロ(第14号で「僕の八〇年代エロ本仕事」を執筆)
 
 
 
 
 
そういえば、引越しのことを書いていなかった。大阪から荻窪の田島荘への引越しは、布団など簡単なものを荷物として送っただけだった。そして、田島荘から中野のフレンドマンションへは、会社の同僚である大宅君がトラックを借りてくれて、スーさんの家、僕の家をまわりフレンドマンションへ荷物を運ぶ予定になっていた。しかし、僕はその日、風邪をこじらせてしまい、朝、起き上がれなかった。大宅君は「寝てていいから」と言ってくれた。相変わらずやさしい男だ。僕はその言葉に甘え、ずっと横になったままで、2人が引越しをしてくれた。

大宅君は、僕と同じ年齢で、知り合ったのは会社の面接のときだった。会社は二段階の面接があった。まずは、第一に営業部長との面接。そして、次は3名ほどが呼ばれて、討論スタイルでの面接が行われた。大宅君はそのひとりだった。早稲田を出て、どこか会社に勤めていたが、辞めたそうだ。討論でもなかなかいい発言をしていたので、てっきり僕は彼が合格するものだと思っていた。だから、面接の帰り、大宅君を呼び止めて、彼と連絡先を交換した。その後もなにか情報交換ができればいいと思ったからだ。しかし、予想に反して、合格したのは僕だった。新卒は僕だけだったからかもしれない。
僕が勤める会社が発行していたのが、スワッピング雑誌『スウィンガー』で、売り上げがあがり、取り扱う書店も増えて、営業の仕事は忙しくなる一方だった。仕事に慣れた夏ごろ、僕は社長にそのことを話したら、「じゃあ、人を入れるか」ということになった。僕は心当たりがあると言い、すぐに大宅君に電話をした。まだ就職先が決まっていないというので、すぐに会社にきてくれとお願いし、僕は大宅君と一緒に働くことになったのだ。
 

 

引越しに話を戻そう。フレンドマンションから茂美荘、そして茂美荘から田辺ビルはいずれも赤帽さんにお願いした。赤帽は北尾トロに教えてもらったのだ。安くて、助かった。
茂美荘は3畳だったし、たいして荷物はなかった。本棚、テレビ、小型の冷蔵庫、コタツといった家財道具だった。当時、原稿はコタツで書いていた。まだ原稿用紙に書いている時代だ。少し裕福になってきたところで、三輪の原付バイクを買った。置き場所がなく、隣のアパートの部屋の前にちょっとしたスペースがあり、そこに置かせてもらっていた。そこの部屋には水商売の女とヒモの若い男が住んでいて、置かせてもらうお礼として毎月、彼らに菓子折りを持っていっていた。

タナベビルに引っ越したとき、まずほしかったのがデスクと椅子だった。それまで、コタツにあぐらを書いて原稿を書いていたのだが、これをずっとやっていると、ひざが痛くなった。なんせ3畳で狭い部屋だった。身動きができない。しかし、椅子と机で原稿書きをすると今度は腰が痛くなった。困ったものだ。

三輪の原付バイクは、田辺ビルに引っ越してからもまだ乗っていた。この三輪バイクで、学研のある長原や北尾トロが住んでいた赤堤にもよく行った。

この頃、ライターの三種の神器と呼ばれるものがあった。留守番電話、ファックス、ワープロだ。最初に買ったのはワープロだった。しかもそれは、フレンドマンションにいた頃にマルイのクレジットで購入した。理由はミニコミ誌を作りたかったからだ。金利込みで50万くらいだったか。が、このワープロは、フレンドマンションから茂美荘に引っ越すとき、編集プロダクションに貸し出したというか、置かしてもらっていた。最終的には、茂美荘にいたころ15万円で買い取ってもらう。まだ支払いは15万円以上残っていたが、目の前の15万円がうれしかった。

そして、1986年、田辺ビルに引っ越す頃になると、ずいぶん高かったワープロも10数万円という安さで、しかも機能は劇的によくなっていた。ワープロからパソコンになってもしばらくはこんなことが続いて、ずいぶん金をつぎこんだものだ、と今となっては思う。

留守番電話は、茂美荘にいたときにユピテルという会社の留守番電話専用機を使っていた。電話機とは別の独立した機械だった。それが、田辺ビルに引っ越したとき、ソニーの最新式のものに買い換えた。マイクロカセットが入った、電話機と一体型のものだ。

ファックスが一番最後だった。理由は、当時はファックスを導入するには別に1回線が必要だったからだ。ただし、当時すでに電話回線を安く売っており、たぶん5万円くらいだったか。それを買って、ファックス専用の回線にしたんだと記憶している。

というわけで、当時、田辺ビルで撮った写真がこれ。
 

 
28歳。なんでこの写真を撮影したのかは今でも覚えている。暑い夏の日だった。タナベビルには冷房がない。夏、とにかく暑かった。汗ダラダラになった自分を撮っておきたいとセルフタイマーで撮影した。田辺ビルはたしか四畳半と三畳の振り分けの部屋だった。どちらも和室。三畳で布団を敷いて寝た。写真は四畳半の仕事部屋。ここにこたつもあって、秋だったか、北尾トロがきたので、茶でも出そうと、急須に茶をいれ、自分も飲んだが、なんだか、違和感がある。口の中に入ったものを手で出して見たら、ゴキブリだった。ギャーと声を上げたが、北尾トロは大笑いをしていた。そうだ、タナベビルは冬でもゴキブリが出た。そして、夏はとにかく暑い。

僕は次の夏がくる前に引越しというか、新しく、エアコンがついた部屋へ引越し、タナベビルは仕事部屋に使うことにした。

それで、近所にあるクーラー付のワンルームマンションをさがしたのだ。
そして、見つけたのが「スカイコート荻窪第3」というワンルームマンションだった。

そんなわけで僕はタナベビルとスカイコート荻窪第3を往復する生活となった。

荻窪と名前はついているけれど、住所は下井草4-1-1だった。そして、今回は間取りの動画を見つけた。これだ。

不動産屋さんの動画だろう。わかりやすく撮影されている。僕がいたのは2階の部屋で、ユニットバスなどは部屋の逆側についていたけれど、ほぼ同じだ。なんだか見ていると懐かしさがこみ上げてくる。
というわけで、いつもの北尾トロ動画はこちら。

 
 
 
 
動画撮影/北尾トロ  似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月9日号-

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