杉江松恋の、回り道から飛んでいく 第5回


私には軽い文章が書けない

杉江松恋
(第14号で「伊勢街道でしょう!」を執筆)

 
 
 

 前回は主に心情面から自分がなぜ徒歩旅行をし、それを原稿化することを始めたのかを書いてみた。
 つきつめて言えば、自分が世間に対して関心を持つ、そのやり方を最も濃縮したものが徒歩旅行だったということだ。自分の頭がマクロなものに向いておらず、ミクロの世界に生きているのだと改めて痛感した次第。こういう確認は案外大事だ。みんなしておいたほうがいいと思う。特に文章を書いて身を立てるとか、それ以外でも何かの表現をすることを生業にしたいと考えている人は。その結果もしかすると料理にうちこむことになるかもしれないし、熱帯魚を飼うことになるかもしれない。それもまたよきかな。

 さて、別の観点から徒歩旅行と紀行文を書く理由を書いておきたい。
 私には文章を書く上でのもう一つの課題がある。
 情報の量と見せ方をちょうどよく塩梅することだ。
 

 

 私の本業は書評である。それに求められるのは間違いなく情報量だ。文章でほんわかしたいとか、泣きたいとかいう理由で書評を読む人は、いるとしても少ないはずである。大多数の人は、本についての情報が欲しくて書評を読む。書評というのはその本を読むべきか読まないでおくべきかの指標になるという機能を求められるものなのである。
 そのジャンルでもう10年以上やってきた。そうしてきたことにはまったく後悔はなく、自分の境遇にも満足しているが、一つ欲が出てきた。
 つまり、ふわりとした文章も書けないものか、と思うようになったのである。
 自分が誰かの文章を読むとき、そこから何かの情報を得ようとするだけではない。読むというその行為自体を楽しもうとすることが多い。
 食べ物を口に含んだときには、歯ざわりや喉越しなども楽しめる。
 音楽を聴くときには、メロディだけではなく音の複雑な重なり方を耳で確認したり、高低の両音域を体感することなども鑑賞の評価軸になる。
 楽しい文章は、論理だけではなくて感覚(もっと言えば官能)の面でも刺激を受けることがあるのだ。
 そういう文章を書けるようになりたい、とずっと前から思っていた。

 さらに言えば、論理と感覚は相反するような尺度ではないはずである。
 論理的でありながら感覚的という文章、あるいはその逆であるものはいくらでもある。たとえば私は林望のエッセイが好きでよく読むのだが、林はどこかで「本当の随筆とは先人の文献の引用に満ちたものである」という意味のことを書いていたはずである。先人の文章と引用という形でつながりつつ、そこに自分なりの知見を付け加えたものを理想とし、「筆に随って」書いただけのものをよしとしないのだ。しかし林の文章は、そうした姿勢をとっていながらも柔らかい手触りを残している。論理的でありながら、官能的でもあるのだ。丸谷才一も「ちょっと気取って書く」というような言い回しで、この柔らかな手触りのことを言い表している。この「ちょっと気取って」が何なのかは、自分にとってずっと課題になっている。もしかすると、それはユーモアなのかもしれない。ユーモアのある文章を書ける自分になる必要があるのかもしれない。

 ここでちょっと脱線をお許しいただきたい。
 私が10代のころ、昭和軽薄体といわれた文章のスタイルが流行したことがあった。嵐山光三郎が「でR(あーる)」というようなふざけた言い回しを多用したあたりから始まったもので、今でいえばサブカルスターのような人たちの文章が十把ひとからげにそう言われた。たくさんの人がそこに含まれたので、どういうものが昭和軽薄体なのかは実体がはっきりしていない。重要な本を何冊か上げるとすれば、糸井重里『ペンギニスト宣言』と『ヘンタイよいこ新聞』、嵐山光三郎『チューサン階級の冒険』、篠原勝之『人生はデーヤモンド』といったあたりである。

 昭和軽薄体を私なりに総括すると、「でR」のような一見無駄な装飾や地口が多く含まれ、「とかなんとか言ったりして(広川太一郎)」のような自分への冷やかし(ツッコミという言葉はまだ一般的ではなかった)、文意がとれなくなりそうなほどの果てしない脱線などを含む文章群ということになる。実はそれぞれに出自があるはずで(伊丹十三や殿山泰司など、さらに上の世代の文章家、そして1970年代に黄金期を迎えたラジオのパーソナリティーの話し言葉とそれを文章化したものなどにも源流はある)、本来はひとくくりにできないもののはずだ。それらすべてを、面倒くさくなって一つの箱に突っ込んだときに昭和軽薄体という呼び方が生まれたのだろう。
 昭和軽薄体ははじめ、文壇人の「お言葉」に対するカウンターとして広まった。
 つまり最初は「自称」であったものが、外部からのレッテルに転じたのである。オタクという言葉が世間に流布したときの図式にこれはよく似ている。
 このレッテル貼りを暴力的に中断させたのが椎名誠だ。スーパー・エッセイなどと呼ばれた椎名の初期作品はまさしくこの昭和軽薄体で書かれている。ウィキペディアには椎名が昭和軽薄体の名づけ親であると書かれているが、そう言い切る自信が今はない。しかし椎名は、あまりにその文体ばかりを取りざたされるのに嫌気がさしたのか、編集長を務めていた「本の雑誌」で「さらば昭和軽薄体」と題した文章を発表し、自ら訣別宣言を行うのである。その中では「昭和軽薄体」を用いた文章は初期の数作のみであり、自分は他の文体も多用すると書いている。椎名の初期代表作であり、『アドバード』『武装島田倉庫』などのSF作品を除けば最高傑作といってもいい『哀愁の町に霧が降るのだ』はこの最初期の作品だが、確かにこの中には昭和軽薄体は使われていない。
 いずれにせよこれで水をさされた感があり、昭和軽薄体は一気に求心力を失ったのである。
 
 読み返すと昭和軽薄体の文章はぶわぶわと手触りが柔らかく、現在の読者には受け入れにくいと思う。自意識過剰すぎて、恥ずかしいのである。
 しかし多くの読者がそれに魅了された時期もあったのだ。少なくとも私はそうだった。昭和軽薄体の担い手と目された人々はやがてもう少し「大人の」(というか本来の自分の)文体に回帰していき、それぞれ現在に至っている。昭和軽薄体は通過点にすぎなかったのかもしれないが、それを経由することで書き手たちが得たものは大きかったのではないか。
 丸谷才一風に言うと、それは「ちょっとふざけて書く」文章だった。1980年代は「気取り屋」よりも「ふざけ屋」が人気を得る時代だった。その空気を敏感に読み、自ら道化を演じて「ふざけて」みせたのが昭和軽薄体だったのだ。
 1980年代の後半に昭和軽薄体と入れ替わる形で登場したのが中島らもである。大阪のコピーライター業界の出身である中島は嵐山・椎名人脈とは関係がなく、バロウズやセリーヌの作品からの影響を公言するなど、出自も違う。中島は最初から含羞の人であって、1980年代前半の無邪気な「おふざけ」はそのままやらず、道化である自分とそれを冷静に見る自分という分裂状態を読者の前にさらけ出した。
 この中島と、在京で昭和軽薄体の流行を目の当たりにしながら思春期を過ごした大槻ケンヂが、1990年代の初頭には新しいサブカル文壇の中央に立った。二人にあって嵐山・椎名世代の書き手にないものは、ロックやパンクなどの音楽の要素だったのである。中島の文章のファンだった私は、それまでは活字文化を主戦場としていたサブカル文壇が周辺領域にまで拡大したという印象をこの時期に受けている。
 
 さて、話が拡大しすぎてしまった。急いで元に戻す。
 現在の活字読みにとって「軽い文章」の最大公約数はいわゆる「サブカル・エッセイ」になるのではないか。書店の売り場を見ればわかるように、もはや「サブカル」は一般の「エッセイ」とはすでに別物として認識される一ジャンルになっている。そこにはタレント本からコミックエッセイ、アンダーグラウンドやトリビアねたの雑学本までいろいろなものが入り、かつての昭和軽薄体以上に多種多様である。
 もし無理に共通点を探すとするならば、1990年代以降に起源を持つ、ということ以外はないはずだ。そこにはたぶん椎名誠や嵐山光三郎は入らないし(糸井重里は入るかもしれない。すごい)、まして林望や丸谷才一は問題外である。いまや彼らはスノッブと見なされる存在なのだ(失礼)。しかし私が憧れる文章家は、そっちの方なのである。「本当の随筆とは先人の文献の引用に満ちたものである」という林のテーゼを守りつつ、しかし「軽い文章」としても人に読んでもらいたい。
 このへんまで考えてくるといつも手詰まりになり、じゃあ、そういうのを欲しがる読者だけを相手にして書いていったらいいじゃん、という声がどこかで聞こえ始める。うん、まあ、それはそうなんだけどね。

 私が徒歩旅行に出ようとしている理由、それを紀行文として書こうとしている動機は、だいたいこのへんにある。
 軽い文章を書かなければ、という気の焦りがある。
 それと同時に独自進化を遂げた現代の「軽い文章」に軽い気持ちでは乗れない、という自意識もある。めんどうなことに、私の手はけっこう頑固なのである。習い性になっている文章以外は書かないよ、と言っている。せいぜい「ちょっと気取って書く」というところまでだ、と。
 当面はそれでやってみるしかない。手は余計な動きをしてくれないのである。
 じゃあ、別のところを動かさなくちゃだめだろう。
 手がだめなら、足か。
 足で稼いで、これまで手が書いたことのないような文章を書くように仕向けたらいいのか。
 そうか。
 歩くか。
 ということになったのだと思う、脳内会議の結果として。
 やってみてわかったが、紀行文というのは難しいのである。歩いて、その結果を文章にするだけなら小学生の作文である。それをいかに大人の書いたものにするか。
 情報量が多くて、しかもふんわりとした文章にはどうやったらできるのか。
 いまだ正解からはほど遠く、私は苦戦している。
 東海道でいうと、たぶんまだ箱根も越えていないはずである。せいぜい平塚ぐらい。
 旅も軽い文章も、初心者に毛が生えたような状態だ。
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月7日号-

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