今朝はボニー・バック 第34回

高校受験スベったら(後編の下)

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)

 
 
 
下半期は大学入試の勉強に備えるという理由からか、ぼくの通っていた学校は学校祭や「クラスマッチ」と呼ばれていた球技大会などの校内行事は5月や6月に固まって開催された。一刻も早く学校から抜け出してシャバの空気を吸いたかったぼくは、これら校内行事が死ぬほど嫌いだった。今回はそんな校内行事にまつわるエピソード。

○ 学校祭編
3年連続でサボった。なので、自分のクラスがどんな出し物をしたかまったく覚えていない。いや、待てよ。1年のときだけは途中までいたな。クラスではお化け屋敷みたいなことをしていた気がする。当日、教室の前を通るや、呼び込みをしていた女子に他のクラスの生徒と間違われて声をかけられたのが帰る原因だったような・・・。
ぼくは、学校祭で見せるクラスメートのはしゃぎっぷりがどうしても好きになれなかった。特に女子! 普段は教師の目を窺ってちょっとでも成績を上げることに必死になっているのに、学校祭期間になった途端、スタート丈を短くし、Tシャツ姿で廊下を跋扈しやがって。しかも、周りに自分らの仲の良さをアピールしたいのか、レズでもねえのに女同士で手をつなぐ始末。当時のトラウマが尾を引いているのか、今でも街で女同士が手を繋いでいる姿を見るとゲロが出そうになる。

○ クラスマッチ編
全校のクラス対抗で行われる球技大会である。種目はソフトボール、サッカー、バレー、バスケットなどなど。ぼくは中学3年まで野球をしていたこともあって、わりかし運動神経が良かった。なので、学校祭ほど嫌っていたわけではない。同い年なのに先輩ヅラしているヤツらを試合でへこませるも楽しかったし。ただ、それでも学校に行きたくないという気持ちの方が強かった。
1年のクラスマッチ初日、登校中に歩道脇の道から飛び出してきた車に轢かれたことがある。事故に遭ってすぐに思ったのは、「あちゃ〜、めんどくさいことになったなあ」というものだった。乗っていた自転車は前輪が歪み、ぼくも顔面を強打した。幸い、目立った外傷もなかったので、運転手に名刺をもらうと、ガタガタの自転車に乗って学校への道を急いだ。
午前中に出場したサッカーの試合は負けてしまったが、ぼくはチーム内で唯一得点を上げる活躍をした。試合が終わると真っすぐに職員室に向い、担任に朝起きたことを説明した。早く帰りたかったからだ。
 

 

2年のときはソフトボールの試合に出た。「レフトで9番打者」という、中学時代には「センターで3番、しかもキャプテン」をしていたぼくには屈辱的な打順、ポジションである。しかし、クラスメートに1コ年上を隠しながら学校生活を送っている身にはしょうがない。試合に出してもらえるだけ良しとしなければ。
試合では1打席目からヒットを放つ活躍をしていたが、何巡目からの打席に入ったとき、ベンチ横で応援している女子の方からこんな言葉が聞こえてきた。
「しょうじだ・・・・・・、くさい」
くさい? オレが? 
今でこそ徹夜の仕事が続いて風呂に4日も入らない日には、体から「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」なグランジ臭を醸し出していることもある。しかし、当時は毎日風呂に入っていたし、ぼくはワキガ持ちではないはずだ。たぶん。
どういうことだろう。他に心当たりがあるとすれば、中2の時、野球部の練習試合前にクソをもらしたことぐらいだ。
今、北海道名物スープカレーのようにサラッと告白してしまったが、このことを家族以外に話すのは今回が初だ。
かいつまんでいうと、試合前のウォーミングアップ中、腹に違和感を感じたので校舎のトイレを目指したものの、間に合わなかったのである。ユニフォームを汚してしまったぼくは、チームメイトをほっぽり出し、素っ裸の下半身にジャージ(上)を腰に巻き付けた「グレートハンティング」な姿で約3キロ先の自宅に自転車で一時帰宅。新しいユニフォームを着てチームメイトの前に姿を現した頃にはすっかり練習も終わっていた。監督には、「用を足しているとき、うんこを踏んでしまったので一旦帰った」と言い訳をしたが、監督含めすべてのチームメイトが真相を知っているような顔をしていた。
試合では5打席4安打の大活躍だった。何本目かのヒットを打ち、数時間前にあった惨劇のことなど忘れかけていた頃、ベンチから監督の「(活躍は)“うん”が付いたからじゃねえか!」という声援が聞こえてきた。殺そうかと思った。
そのことをなぜクラスの女子たちが知っている。はっ、そうか。同学年にはあのときチームメイトだった1コ下の後輩が何人かいる。そいつらから漏れたのか。クラスマッチ後、ますますぼくは学校に行くのがイヤになった。

○クラブ活動編
2年になり、クラス以外の居場所が欲しくなったぼくは、何かクラブ活動をすることにした。放課後に友達を引っ張り込んでまったりできる部室が欲しかっただけなので、できるだけ既存の部員が少ないクラブの方がいい。運動部、文化部、同好会合わせて40コほどある部活動から選んだのは、「地理研究部」だった。入部届けを出しに顧問の教師を訪ねると、はたして地理研究部の部員数はゼロ。つまり、ぼくは入部と同時に部長に就任したわけだ。
顧問から部室の鍵を受けとるや、さっそく2畳ほどの広さの部屋のリフォームに取りかかった。中央の机に散乱していたペンや等高線を描き込む用紙なんかを部屋の隅に追いやり、雑巾掛けをしたのち麻雀用のマットを敷いた。壁に貼っていた世界地図、日本地図はビートルズのポスターに変更。自宅からスピーカー内蔵のCDプレイヤーを持ち込んだところでリフォーム完了。誰にも邪魔されない自分の城ができたのだ。3階の窓からの眺めもいい。部室の鍵は放課後の活動が終わると一旦顧問に返す決まりだったので、プラスチックの下敷きで型を取って合鍵を作った。
部員が自分だけというのもさびしかったので、1年の頃からの友達の「タイチ君」と「ヒカルくん」を勧誘し、2人以外にも仲の良い同級生を引っ張り込んで麻雀をしたり、好きな音楽をかけて放課後を過ごした。
部室で麻雀をしているのが教師にバレたのは、3年の冬だったと思う。教師がガラっとドアを開けたとき、中にいたのはぼくと「ムトウ君」と「シンペイ」。麻雀牌とマット、合鍵は没収され、3人には追って処分が下されることになった。3年の冬といえば、進学校じゃなくても将来の進路に向けて焦る時期である。麻雀しているのを見つかっただけとはいえ、進学校では厳しい処分になるに違いない。シンペイはまだしも、ぼくとムトウくんは成績が悪く、処分によっては最悪、留年も考えられる。
が、処分は何もなかった。というのもちょうど同じ日、別の生徒が喫煙であげられたのだ。おかげといったら悪いが、喫煙問題の前にぼくらが麻雀をしていたことなどすっかりかすんでしまったのである。その生徒は前科があったせいで退学になってしまった。

○友情編
共にピンチを乗り越えたこともあり、ムトウ君との仲はますます深まった。音楽の趣味もばっちりで、ムトウ君もその年に秋田市で行われたハイロウズのライブに参加したという。それに、彼もまたぼくと同様、ハイロウズから音楽的なルーツを辿ってビートルズやストーンズ、70年代後半のパンクバンド、古いブルースなどのCDを集めているという。すっかり嬉しくなったぼくは秘蔵のハイロウズのライブビデオをまとめて貸してあげることにした。
彼から自宅が火事になったことを打ち明けられたのは、卒業式を間近に控えたある日の休み時間。
「家にあったもの、ほとんど焼けちゃったり、行方がわからなくなっちゃってさ。申し訳ないんだけど、ビデオ返せないんだ」
火事に遭ったことを信じなかったわけではなかったが、ムトウ君の口ぶりからは、ビデオを探してすらいない様子が感じられた。それに、貸してからもう2ヶ月以上も経っている。
その後ぼくは、ムトウ君と顔を合わせるたびに高利貸しが返済を迫るように「ビデオは見つかったか」と問いつめた。「こんなことになる前に早く返してくれれば良かったのに」という思いは、「ひょっとして火事に便乗して借りパクする気じゃあ」という疑惑に変わり、いつしか「火事なんて嘘」と確信を抱くようになった。
ムトウ君からビデオを返してもらったのは、火事に遭ったことを打ち明けられてから2週間ほど経った頃だったろうか。
「母親が焼け残っていたものを一ヵ所にまとめておいてくれてたんだ」
返してもらったビデオテープのパッケージには焦げ痕がついていた。
(次回、たぶん最終回)
 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月19日号-

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