土偶をつくる  第8回

土偶を形つくる〜ぞわぞわ篇

 

めるし
(イラストも)
(第9、10号で「北千住大喜利ハウス」執筆)
 
 
 
 
 前回は、土偶に文様をつけることに苦労をした。その文様をつける為に私はこのような道具を用意していた。家の周りを歩いて、縄文時代にも使われていそうで尚且つ文様をつけるのに使える物はないかと、きょろきょろ探して拾ってきた物たちだ。
 

 
 この白い貝殻は、もう20年くらい庭に放置されていたものである。どこからどうやって我が家の庭に来たのかはわからない。けれどずっと庭にあった。しじみの貝殻については、おそらくいつかの夕食の味噌汁の具であったのだろう。それがどうして庭に置かれていたのかはわからない。けれどあった。うちの庭は貝塚なのか。
 

 

 さて、第5回目で私が自作した縄だが、これは果たして使い物になるのか。試しに粘土の上で転がしてみる。上手く縄目文様がつくだろうか。
 

 
 かなりぐいぐいと押し付けたら、何かの文様っぽい跡はついた。縄文土器のような「縄文!」さには遠いような。縄で無くとも何でも押し付けたらそりゃ跡はつくよね、といった感じである。
 次に、物置に置いてあった市販の麻縄。これを粘土の上で転がしてみる。これならばきれいな文様がつくだろうか。
 

 
 おお。縄目っぽい文様ではないか。私自作の縄に比べたら数段「縄文!」である。
 しかしこれ、ぐいぐいとかなりの力で粘土に押し付け、それでやっとこれだけの跡がついたのだ。縄文土器の作り方の本では、粘土の上で縄をころころ転がすだけで、縄目がつくかのように書かれている。しかし私の粘土と縄では、「ころころ」ではなく「ぐいぐい」やらなければ縄目をつけるのは無理だ。それでは、せっかく成形した土偶がみな、ぺしゃんこ土偶になってしまう。

 そこでどうするか。結局、第5回目での思い付きにしたがい「秘策・縄目っぽい文様を描いちゃう作戦」でごまかすこととした。
 土偶を作りはじめる前、私は、実物と完全に同じ形のレプリカを作ろうと意気込んでいた。土偶のフォルムの美しさに魅かれて作ろうと思い立ったのだから、全く同じフォルムの物が欲しかったのだ。しかし、前回述べたとおり、土をそれなりの形にするだけで、ほんとうにもう大変で、この頃になると、もう、大体それっぽくなればそれでいいや、というところまで、私の気持ちは降りてしまっていた。

 用意した道具のうち、はじめは小枝を使って線を描いていたのだが、しじみの貝殻を使ってみると、これがなかなか良い。貝殻の端できれいな線を描くことが出来る。しじみ、使える。結局、文様をつけるのにはしじみの貝殻ばかりを使用し、その他の用意した道具はほとんど使わなかった。
 

 

 こうやって作っていくうちに、土の塊がだんだんと人の形になってくる。人の形をしたものを弄っていると、私の身体や精神も独特な感触を受け取ることがあった。
 例えば、私はハート形土偶のレプリカを作っているのだが、ハート形土偶には脚に浅い横線が刺青のように何本も入っている。その線を自分の手の中にある土偶の脚に入れていくと、ともに私の脚もなんだか、ぞわぞわとしてくるのだ。ハート形土偶には胸から臍にかけて深い縦線が入っているのだが、制作中の土偶にその縦線を、つー、と引くと、なんだか私の胸から臍にかけても、つー、とした感覚が走る。
 知人に2歳になる子どもがいるのだが、その子にリカちゃん人形を与えると、リカちゃんの股を開いて、「おしっこしーしー」とやるらしい。自分が親からやられていることを、リカちゃんで再現するのだそうだ。
 プレイセラピー(子ども対象の遊びを用いた心理療法)において、被虐待児が、ぬいぐるみや人形に対して、自分が加虐者からされたことを再現することがあるらしい。子どもは「された」ことを「する」側になることでその体験を自分の中に統合していくのかもしれない。
 どうやら人は、人の形をしたものに自分を投影してしまうところがあるようだ。
 第1回目で、土偶には「再生」という人類に共通する願いが象徴されている。だから現代人が見ても魅かれるのだろう、と書いた。それは、例えば小説であったら、読者が小説中の登場人物の感情を想像したり、登場人物の体験と近い自分の近い体験を想起することに近いと思う。「されちゃってるわぁ」って感じ。完成した土偶を見る感覚は「ふわぁ再生されちゃってますぅ」って感じではないだろうか。
 それに対し、実際に土偶を作っている感覚は、小説でいうならば、自分が登場人物になってその小説世界に働きかけているような感じ。「させちゃってるわぁ」って感じ。自分が土偶を作ることは「わぁ私が再生させちゃってますぅ」って感じである。
 「されちゃってるわぁ」と「させちゃってるわぁ」。土偶は見る人だけでなく作っている人にも大きな影響を及ぼすものであった。ただ見ていただけのときにはわからなかった、実際に土偶を作ってみてわかったこと、それは何かと訊かれたら、これであると思う。

 次回は、土偶を乾燥させますぐう。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2014年2月25日号-

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