ちょっとプアンなタイ散歩 〜新婚旅行編〜 第8回


ふたりの背中(1)

吉野 歩
(第13号で「選挙事務所に混じる」執筆)
 
 
 

■ ロイクラトン祭り

 「腹、出たね〜!!」 改札を出て駆け寄った瞬間、待っていたヌイに爆笑されたのである。もちろん妊娠などではなく、純度100%の不摂生が原因だ。一方、ヌイは相変わらずスレンダーで、暑さも我慢して七部袖のジャケットを着用している。オシャレなのだ。オシャレ人ゆえ他人に容赦ない。3年ぶりの記念すべき再会だというのに、彼女にとっては「結婚おめでとう」より、「腹が出ましたね」という感想のほうが優先的な伝達事項だったのだろう。
 いつもの私なら、食事の直後である等の言い訳をするのだが、今日は違う。強力な味方である相方がフォローしてくれるんだから——と、後ろを振り返ると相方がニヤつきながら第一声を発した。「イエース、ルック アット ディス!」 妻を讃えるべき伴侶は、Tシャツごと私の腹の肉を摘み左右に振ってみせる。「オー!」 大げさなリアクションで喜ぶヌイ。
 ちょい待てコラ、養豚場のブタじゃねぇし。と若干不機嫌になりつつも気を取り直し、初対面の彼らを交互に紹介。デリカシーがなかろうが、私を食肉扱いしようが、彼らは私の「現在」を形成している大切なパズルのピースである。ふたりには仲良くなってほしい。
 

 
 
 今日は、新婚旅行2日目。待ちに待った「ロイクラトン祭り」だ。ヌイと待ち合わせたのはBTS(高架鉄道)の「モ チット」駅。近隣には大きな公園やマーケットがあり、休日の原宿駅に負けない人混みだ。
 このお祭りについては以前のタイ散歩でも少しふれたが、毎年11月の満月の夜、水の恵みに感謝しながら灯篭を川に流す行事である。タイでは、4月の水掛け祭(ソンクラーン)に次いで有名。バナナの葉や蘭の花を工芸細工のように組み込んだ灯篭には、蝋燭や小さな花火が乗っかっていて、それはまるで植物でできたデコレーションケーキのよう。実際に土台がパンになっていて、食べたくなるようなものもある。
 

 
 それが数百数千の群れとなり、広大なチャオプラヤ川をどんぶらこっこと下っていく光景は、幸せでもあり甘い喪失感も感じるようでもあり、一言では表現できない味わいがある。
 これを相方にも見せてあげたい! 結婚式のご祝儀でもないと海外に行けないようなボンビー自由業のワタクシ。あげられるものは何もないけど、この景色を君に贈りたいのだ。
 
 
■ それは、やりすぎではないのか?

 すでに日没を迎えた寺院・ワットアルンの庭では、たくさんの人々が灯篭を買ったり、肩を叩き合って笑ったり、タイ歌謡曲のステージに耳を傾けたりしている。ここから渡し船で、30分ほどチャオプラヤ川の上流まで運んでもらい、灯篭を流すのだ。我々もあーだこーだと得物を物色。相方の英語力は読み書き専門なので、込み入った話題(と言っても世間話程度だが)になると私が通訳に入る必要があった。結構忙しくて、灯篭を見ている余裕がない。
 それでもなんとか、ヌイは色とりどりのミニブーケみたいな灯篭を、私と相方は下に重心がある頑丈そうなタイプを共同で購入。以前、流した灯篭が途中で転覆したからと言って、何度も寺と川の往復をしてリベンジに付き合わされた悪夢を思い出したのだ。あのころは水中でお兄さんが2、3人立ち泳ぎしていて灯篭が沈まないように補助してくれたのだが、今日は見当たらない。慎重には慎重を重ねなければ。ちなみに「川に感謝を」との建前はあるものの、私の印象では、タイの人は「現世での自分の幸せ」を祈っているとしか思えない。だから、あんなに熱心なんだろう。
 
 さらに。この行為から幸せを得るためには「大切な下準備」がある。それは自分の身体の一部を灯篭の中に混ぜ込むのだ。あ、別に指を詰めたり耳を削ぎ落としたりする必要はないのでご安心を。使うのは、髪の毛や爪などの消耗品。はさみなどでちょっぴり切り取り、塩コショウの要領で上から振りかけたり花の隙間に仕込んだりするのだ。
 「アユミ〜、私がやってあげるよ」
 入念な振りかけ作業を終えたヌイが、私に向き直った。やっぱヌイは面倒見がいいなぁと気を許すも束の間。あっという間に、前髪をむんずとつかまれ、束で2cmほどジョッキリ。えー、そんなに?! 眉毛が著しく露出し、部分的に「だいごろう」になってしまったが、これも我ら夫婦の幸せのためである。私は涙を飲み、大勢のタイ人らと共に船に乗り込んだ。
 
 
■ 星空と火の空

 グガガガガアァァァァ。獣のいびきのようなエンジン音を立てて進む船。光を飲み込む黒い川から望むライトアップされた寺院、星空、そして——、あれは何だ?

 星より数段大きい光が、蛍の群れのように飛び交っている。あちらの岸からこちらの岸から、頭上を越えてどこへ向かっているのだろうか。正体をヌイに尋ねると、「あれもロイクラトンなんだ」と答える。火を点した紙気球のようなランタンを飛ばしているそうだ。昔はこの方法が取られていて、今だとヌイの故郷であるナーンやチェンマイなど、北部地方で主に行われているらしい。彼女のスマホ写真を見せてもらったら、このランタンはドラム缶を半分に切ったくらいの大きさで、人の手でやっと抱えられるくらいだった。
 「これ、火がついたまま民家や森に不時着したら、あっという間に大火事じゃ……」、なんてよそ様の国の危機管理意識を嘆いていたが、次第に口数が減ってくる。
 
 美しい炎なのだ。そのとき瞼に浮かんだ映像は、なぜかジブリ映画『火垂るの墓』に出てきた空襲シーンだった。雲ひとつない青空から、焼夷弾や燃え盛るトタン屋根の破片が、天女の集団のように舞い降りてくる。作品の主張とはだいぶ違うのに、私はそれを泣きたくなるくらい美しいと感じたことを思い出した。自分の肉体や命を奪うかもしれないものなのに、そこに身をゆだねたくなる。吸い込まれそうな感覚。
 相方も黙って空を見上げたままだ。微動だにしない。日ごろの深酒でよどんだ瞳にも、この炎の群れが同じように映っているのだろう。何となく分かる。

 エンジンの音が、ふいに止んだ。船が川の中央で停まり、辺りが急に静かになる。座席にいた20人ぐらいの人たちが、もぞもぞと動き出した。合掌して祈りを捧げる中年男性、点火した花火にはしゃぐカップル、携帯で写真を撮り合う女子、様々である。ヌイも頭を垂れて目を閉じ、何かをずっと呟いている。
 

 
 相方が、私たちの灯篭に火を点した。風に消されないように掌で覆う。この灯篭、本当は別々のものにしてもよかったのだけど、なんとなく「ふたりの」幸せみたいなのを願いたくて一つにした。こういうのって、文字に起こした途端にウソ臭くなるし恥ずかしくなるけど、せっかくなんで記念碑的に残しておきます。はいはい、幸せになりたいですよ。私だって。

 かくして灯篭は、転覆せず無事に川下に去っていった。お疲れ様〜、灯篭、線香、そして著しく失われた私の前髪。
 寺に戻る三人。特にしゃべる訳でもなく、でも不思議に歩幅やリズムが合って、見えないものが同調しているのがわかる。胸の中が温かい気持ちでタプタプだ。上機嫌、上機嫌。
 ——で終わればよかったのだが、そうは問屋が卸さなかったんですなぁ。これが。

(続く)

 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月20日号-

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