杉江松恋の、回り道から飛んでいく 第6回


僕には怖い本棚があった

杉江松恋
(第14号で「伊勢街道でしょう!」を執筆)

 
 
 

 もしライターという自分の仕事に客観的な存在意義があるのだとしたら、「良い情報をたくさんの伝えること」だと僕は思っている。
 書評は、それがいちばんわかりやすくできる仕事だ。書評の役目とは、1)本の内容を要約し、2)それが読むべきか否かの判断の材料を提供し、3)自分なりの読みを提供することだ。もちろん1、2、3の順番で優先度が高い。「自分なりの視点」はできれば入れたほうがいいのだが、なくても書評は成立する。でも、良い物の見方が含まれる書評は読んでいて楽しいものである。
 書評家がたくさん本を読んでいることを期待されるのは、この「物の見方」ゆえだろう。いくら本を多く読んでいても、それを表現にして出せなければ意味はない。「読みの技術」が書評家には問われるのである。技術で私たちをどんな風に豊かにしてくれるの? と読者は問う。
 

 

 同じことがすべてのジャンルに言える。そのジャンルについて何かを書く人、メディアから発言を許されている人には、技術によって情報の受け手を豊かにすることが期待されている。それができているならば、発言者の肩書きは何であっても「お客」は気にしないものである。たとえば大林千茱萸氏は大量に映画を観る人だが映画評論家ではなく、「感想家」と肩書きをしている。大林氏よりキャリアが短く、観ている映画の本数が少ない人で「評論家」を名乗っている人はたくさんいると思うが、その肩書きには実はあまり意味がない。受け手は「感想」も「評論」も同じ「情報」として受け止めるからだ。それが自分にとって有益かどうかしか、「お客」は気にしない。
 ちなみに、送り手が自分の発信するものを「評論」とするのは、そこに「論」が存在するからで、受け手のことを意識しているからではないだろう。しかし、このことは、今は措いておく。今言いたいのは人前でものを言う資格が備わっているかどうかを決めるのは自分ではなくて、情報を受け止める「お客」だということである。

 僕は小説については発言の資格があると自負していて、それに恥じないことを言おうと考えている。でもそれは単なる自己満足かもしれず「お客」からダメ出しを受ける可能性はいつもある。
 発言に含まれる情報がいいか悪いか。それは受け止める人が違えば変わってくる可能性がある。しかし変わらないものもある。事実誤認は事実誤認で、誰がやらかそうと「間違い」である。自分が言ったことに対して反対意見が出ても僕は別にそれほど落ち込まない。しかし書いたことが事実と反していたり、自分の誤読のせいで対象となる作品の大事な要素を見落としてしまっていたら、しまった、と思うだろう。それはやってはいけない「間違い」なのだ。
「間違い」はどういうときにも発生する可能性があるが、いちばん多い原因は未熟さだ。力がないから間違える。間違うことそれ自体は罪ではないが、いったん犯してしまった過ちを放置するのはダメだ。自分の未熟さに頬かむりをして間違った情報が拡散されていくのを見過ごすことは絶対によくない。誤った情報が他の正しい情報の価値を落とすことになりかねないからだ。その一点において、未熟さは批判されなければいけない。

 専門領域というものが有効なのは、守備範囲が明確であるときである。
 この分野だったら、あの人の書くものを読んでいれば大丈夫。
 情報を求める「お客」は、そういう安心感を求める。書き手の側からすれば、あやふやなことを書いて「お客」を惑わさないという信頼に基づく契約を結んでいるようなものだ。
 こうしてライターは、自分の得意なものに特化していく。

 僕はかなり偏ったライターである。
 娯楽小説の1ジャンルに特化しながらキャリアを積んできた。それが形になってきたと思うようになったのは、ごく最近のことである。

 ミステリーのことならマッコイに聞け。

 近著である『読んだら止まらない 海外ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)に版元がつけてくれた帯のキャッピコピーだ。
 このコピー、3年前なら遠慮していたと思う。私はそんなたいしたものではありません、と言って。しかし今回は受けた。
 うん、聞いてくれていいよ、と思っているからである。
 ミステリーのことなら聞いてくれ。なんでもいいから。そこでもしわからないことがあっても、ちょっと持ち帰って考えたら、きっと何か有益な情報を返すことができる。
 そういう風に最近は思うようになってきた。だから単著も積極的に出すことにしたのである。
 知識を蓄えることができた。その先どうするかは個人の勝手である。自分一人のものとして楽しむのもいいし、他の人と共有してもいい。僕は後者を選んだということだ。以前は、貯め込んだものを放出すると自分が空になってしまいそうな気がして躊躇っていた。しかし、違うことがわかったのである。放出するとそこに空きができてまた別のものが入れられる。
 そういう形で、さらに情報を入れることができる。
 貯め込んだものを出すことによって対価を得るのと、それによって新しいものを手に入れる機会を作り出す。まさに一挙両得なのである。ああ、なるほど。だから先輩ライターたちはいっぱい本を書いていたのか、と45歳にしてようやく気づいた次第。バカボンのパパよりも年上になってしまったよ、ママン。

 そんなわけで溜め込むだけではなくて吐き出すほうの仕事もちゃんとやらなきゃなー、と思っている今日この頃なのである。遅れ気味ではあるが、少しずつやっていきます。
 で、それとは別に進めていることが実はある。これまでは自分の領域ではないから、と敬遠していたものに接近する作業だ。具体的に言うと、自分の専門といっていいミステリーの隣接区域に手を伸ばそうとしている。いわゆる主流文学、個々のジャンルに限定されることのない外国文学全般を、改めて読もうとしているのである。
 そのために始めたのが、「君にも見えるガイブンの星」というイベントだ。
 これはその月に出る外国文学の新刊を(できれば発売前に)集め、先に呼んで口頭でレビューをするというものだ。これまで14回やってきたが、中途からは単に新刊を読むだけではなく、毎回1人作家を特集して、その邦訳作品を全部読んでみる、ということもやっている。採り上げた作家は、リチャード・パワーズ、ドン・デリーロ、コーマック・マッカーシー、ジャック・ケルアック、ウラジーミル・ソローキン、ジョン・アーヴィング、ミュリエル・スパーク、アリス・マンローなどの作家である。
 翻訳小説読みとしてはたいへん恥ずかしいことを告白するのだが、このイベントをやる前の僕は、ここで名前を挙げた作家の作品をまったく読んでいないか、代表作を1、2冊目を通しただけだった。つまりまったくのしろうとである。

 大きな書店に行くと海外文学の棚がある。その棚の半分以上が、僕にとってはなじみのない名前で埋め尽くされていた。あるジャンルの小説読みになると、書名を見ただけでだいたい内容がわかるようになる。作者や版元、帯やその背に書かれたコピーなどから「こういう趣向を狙ったものだろう」と推測できるようになるのだ(そしてそれは十中八、九当たる)。
 しかしジャンル「外」の本にはその芸当が通用しない。それどころか、本棚の前に行くと拒絶されているような気さえするのである。これは100パーセント僕のひがみだが、本が好きだと公言していながら、親しむことができない棚がたくさんあるということが僕には耐えらず、また自分自身が恥ずかしかった。
「君にも見えるガイブンの星」というイベント名は、もともと本好きが集まって語り合うことを目的とした「ガイブン酒場」というものから変更してつけた。「君にも」の中にはもちろん「僕でも」という意味がこめられている。本棚から拒絶されていると勝手に思い込んでいた僕でも、いつかあそこに迎えられることがあるだろう。そういう願いをこめてつけたタイトルだ。僕みたいな読者は他にもきっといる。同じような疎外感を抱いている人にも、ぜひ同じような読書体験をしてもらいたいと思っている。

 最初は自分自身を鍛えるために始めたイベントだったが、回を重ねるごとにぼんやりと見えてきたものがある。
 もしかすると、こういう風に読書体験を重ねて、自分から本棚に近づいていくような感覚は大事なものなのではないだろうか。一人で独占するのではなくて、この感じも他の人と共有したほうがいいのではないだろうか。そういう気持ちも湧いてきたのである。
 やるべきなんじゃないだろうか、『君にも見えるガイブンの星』の書籍化。
 今はまったく版元のあてもなく、漠然と考えているだけだが、今後の課題にしていきたいと思っている。これも「回り道」をすることで拾った、アイデアの種だ。他にも実はやりたいことの種があって、毎日それをいじりまわしている。

 今回もずいぶん長くなってしまった。
 最後に告知を一つ。
 来週の日曜日、2月23日の午前1時から、新宿ビリビリ酒場にて落語立川流の真打・立川談四楼さんの独演会を行う。
 午前1時は誤植ではなくて本当に深夜から始める。深夜落語会というのはあるが、だいたいが終電で帰れる時間に終わる体のものである。これは違って、終電で新宿に駆けつけてもらい、始発で帰す。落語会自体は午前3時で終わり、その後朝までは懇親会の時間になる。もちろんそれに参加しないで帰ってもらってもいいのだが、よそで飲みなおすよりは、同じ会場で居続けしてもらったほうが面倒くさくないはずである。
 そういう具合に深夜の社交場としての落語会をやる、という実験だ。
 談四楼さんや立川流のファン、落語好きの方だけではなく、珍しいものに興味がある人、新しいものが始まるときにそこに居合わせて歴史の証言者になりたいという人。そういう向きにもぜひ来てもらいたい。
 詳しくは以下のリンク先をご覧ください。杉江も会場にいて、お世話係をしている予定です。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=69186829

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月14日号-

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