ちょっとプアンなタイ散歩 〜新婚旅行編〜 第9回


ふたりの背中(2)

吉野 歩
(第13号で「選挙事務所に混じる」執筆)
 
 
 
<前回までのあらすじ>
夫となった“相方”を紹介するために、親友ヌイと数年ぶりの再会を果たした私。親交を深める意味もこめて、念願の「ロイクラトン祭り」に参加した我々3人だったが——

 
 
■ もはや隅田川花火大会だ

 行きはよいよい、帰りは怖い。これって「祭り」にも共通する部分があると思う。大規模な祭りで面倒なのは、何はともあれ帰るときだ。家を目指す怒涛の人混みをどれだけ出し抜いて、快適に帰るか。これにつきる。個人的には。
 ロイクラトン祭りも然り。この混雑ぶりは、もはや隅田川花火大会レベルだ。しかし、日本みたいに歩行者天国もないしDJポリスもいないもんなぁ。車道にはぞろぞろと人間がはみ出し、車やバイク、トゥクトゥクにバスなど大小入り乱れた乗り物が、肩をかすめて追い越していく。さらに、キャパオーバーな道幅を圧迫する食いモンの屋台群。これがもし村上龍の小説なら、血まみれ大混乱の定番フラグである。もう詐欺と言われようが鬼だとののしられようが、一刻も早くシャワーを浴び、ベッドでごろりとしたい。相方はしきりに携帯を取り出し時刻を確認している。ホテルに戻ったら、どの酒をあと何杯飲めるか計算しているのだ。
 大丈夫、まだ8時である。行きにかかった時間が1時間ほどだから、混雑ののりしろ乗っけても10時前にはホテルに着くでしょう。
 

 

 さて一応ではあるが、今回のロイクラトン・ツアー、隊長は現地人のヌイである。そのヌイが、先ほどから歩道の縁石に仁王立ちだ。どうも乗り物の運賃が高いのが気に入らないらしい。電車や地下鉄はこの付近にないので、駅があるところまで車に乗らなければならないのだが、タクシーやトゥクトゥクは、「今日は特別日だから」と通常の5倍近くの値段に跳ね上がっている。バスはいつまで待ってもやってこない。
 ヌイは、気が弱そうだったり、人がよさそうな運ちゃんを呼び止めて、早口で値段交渉をしている。交渉は決裂しっぱなしだ。
「もうタクシーでいいから帰ろうよ」、相方が私のわき腹を小突いて、隊長への直訴をしきりに要請する。はじめは何とか片言の英語でヌイと話していたが、神経が続かず面倒になったらしい。しかし私は、すでに物価感覚がタイに同化しているため、その要請に応じることはできなかった。そりゃ早く帰りたいけどさぁ、だって、たかだか15分程度の距離でタクシーが500バーツなんて信じられない!! 円換算ならたったの1500円ぐらいだけど、今の私には5千円から1万円ぐらいに感じるのだ。5000円て言ったらあなた、赤提灯で2回は飲めるじゃないですか!
 
 
■ カメ進みバス地獄

 そうこうしているうちに、ホテル方面に向かうバスがやってきたため、相方をなだめて3人で乗り込む。すすけている。クーラーなし、窓開けっ放し、排気ガス吸いっぱなしの、この素晴らしき質素倹約バスは、なんと本日はタダだそうな。ほくそ笑む私とヌイ。
 しかしそれは、「渋滞」と言う名の地獄の入口に過ぎなかった。
 30分経ってもバスは50メートルも進んでいない。冗談じゃなくて、本物のカメとスピード一緒なんじゃないだろうか。ちょっとしたモニュメントのある五差路はかなりひどかった。待ちに待った青信号。だが、バスやトラックなどの大型車両がちょっぴり進むごとに、そこにできた隙間からバイクやトゥクトゥクなどの小型系統が4台も5台もすべりこんでくるのだ。そして身動き取れないまま、また赤。
 
「鬼とののしられようが、我先に帰る」を実践する人たち
 
 誰か火炎放射器持ってこい。もしくはバスの運ちゃんよ、アクセル全開プリーズ。車間距離に余裕があれば、大きい車は(立っている客が全員ツイストを踊らされるほどの)暴力運転で、小さい乗り物たちを威嚇できるのだが、今日は完全に「小」の天下だ。バスの乗客はただ無表情で時間が過ぎるのを待つか、私とヌイみたいにダレた会話をするだけ。反対サイドに一人座っている相方は、こちらに時々首を向けては、肩をすくめて変顔をつくってみせる。ストレスがたまってきた兆候だ。
 一方、理解できない行動をする人たちもいる。どういう状況判断なのか、車に埋もれて立ち往生のバスに、わざわざ途中から乗り込んでくるのだ。学生グループや、家族親戚一同、「見つけた」とばかりにうれしそうに乗り込んできて、10分後には「チーム無表情」の仲間入り。諦めて降りていく人もいるが、新参グループも後を絶たないため、車内の混雑ぶりは変わらない。

 ヌイもこんな状況で毎日通勤しているのだろうか? まぁ、彼女の会社は都心にあるので電車と地下鉄が使えるんだけど。
「違うよ、私は会社まで全部バス。やっぱ2時間以上はかかるよね」
 そうなのか。では朝も相当早起きなのかと思いきや、彼女の起床時間は始業時間の1時間前。え、計算合わなくない?
「だってそれは“バスが遅い”わけだから仕方ないよね。だから毎日遅刻してるよ。ははははは」
 笑いごと——なんですよね。こんなに気持ちよく笑われると、もーどーでもいーさーという心境になる。もっとも、バスが正常に運行したとしてもその起床時間では完全に遅刻なのだが、指摘する気も失せた。
 今度はLINEに没頭しはじめるヌイ。このクソ混雑の中、スマホで“自分撮り”をし、より美しい角度を研究している。タイトル「渋滞と私」、いったい誰に送っているのだろう。立っている客の隙間から垣間見える相方の顔からは、すべての意志と感情が抜け、木彫りの仏像のように凝固している。私も、街路樹の脇に生えた巨大オジギソウ(みたいな植物)が揺れるのをただひたすらに眺めていた。オジギソウは両葉をぴたりとくっつけたまま、一向に開かない。テールランプや信号の色を反射して、へらへらと光るばかりだ。
 
 
■ 金ならいくらでもあるんだ!

 2時間経っても、やっと短い商店街を1つ過ぎただけ。結局、業を煮やした私は途中下車を提案。すぐさまボッタくりタクシーを捕まえて、ホテルまで直行した。12時を回っているので、帰りに合計4時間もかかったということになる。
 ヌイを見送り、何はともあれめでたしめでたし。ビールでも買って帰ろうとコンビニに足を向けたそのとき——。ギーッガチャン、ギーッガチャン。相方の顔が、必殺技を出す前のロボットのように変形しはじめた。眉が八の字に下がり眉間に皺が刻まれる。左側だけ高度をキープしたチンピラスタイルだ。おや、唇も歪みだしたぞ。ブイィィィーン、出力計がFULLを目指して急上昇。
「あのさぁー」。ついに相方ロボットが口を開いた。
 
「俺たちは旅行者なんだよ、遊びに来たの! ちまちまケチりに来たんじゃねーんだよ!! 金ならいくらでもあるんだっつーの!! 」

 瞬間、私の身体は無重力のまま宇宙に放り出され、遠近感がむちゃくちゃになった。どんなに手を伸ばしても相方に届かない。そうか、この人が求めているのはタイの仲間と親しむことではなく、純粋な「レジャー」だったんだ。その顔がぼやけて、全然知らない赤の他人のそれが重なる。スクンヴィットで春を買う白人男や、社内での上下関係が透けて見えるようなゴルフウェアの群れ、外国人向けにアレンジされまくった豪華リゾートホテルで「タイらしくて素敵♪」などとぬかすグラビア出身タレント等。ずっと心の奥で軽蔑し、距離を置いてきた人種だ。
 いや、やめてくれ、それは違うんだ。相方の言っていることは正しいし、その怒りもごもっとも。どんな理由付けをしようと、私たちは帰る場所のある旅行者だし、「快」の感情を得に来ていることは言い逃れようのない事実だ。ましてや彼は、有給休暇をどうにかやりくりして、結婚式や旅行の時間を捻出してくれている。どちらかと言うと、私はもっと早くそれを汲み取ってあげるべきだったのだ。
 それをいきなり「アタシの友達だ。さぁ仲良くしろ」だなんて、傲慢すぎやしませんかね?
 
 そう頭では理解しているのに、遠近感はなかなか戻ってこない。私は13年前からずっと、バンコクに「居に」来ている。なんてことない道を普通に散歩して、友達や道行く人とだべって、木陰で冷たいジュースでも飲めればそれで幸せだった。渋滞をはじめとするたくさんの面倒も、つべこべ言いながらも幸せの延長として受け入れてきたのだった。
 タイは「私だけの場所」として、大事にとっておくべきだったのかもしれない。宇宙服の酸素が薄くなってきたせいか、漠然とそんなことを考えていた。

(続く)

 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月27日号-

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