どす黒い私 2 鋼鉄のパン屋さん、いざ出陣!編  第9回


 
和田靜香
(第13号で「ホドがある! 新聞一面トップ どうして私が?!」を執筆)

 
 
 
突然の辞めます宣言に、店長は「ええっ?」と驚いた。「そんなこと、言われても困る」と怒り出し、「ちょっと、それは聞けないな」と早口で言う。12月下旬。店はこれからかきいれどき。こんな時期に辞められたら困る、と思うのはまぁ、分かる。でも、私も辞める気満々で「とりあえず、今日は少しゆっくり目でやります」とだけ言い、いつものように着替え、タイムカードを押し、薬をパクリと飲んでから店に出た。

私の唐突な辞めます宣言に、店長の機嫌はいつもにも増して悪くなった。こだわりの強い女性と私に一言も口をきかないどころか、全身からイライラ空気を針のように鋭く発している。あまりのことに日ごろは空気を読まないこだわりの強い女性パートちゃんも店長にまったく近寄らなくなり、厨房での作業の合間にちょこちょこ店に出てきては、私に「大丈夫?」と話しかけ、お昼に出た帰りには家からミカンとチョコを持って来て「これ、食べてね」なんて言う。彼女に冷たく当った自分が申しわけなくなった。それで、ああだこうだ言いながらも、その日は勤務時間ちゃんと働き、お客さんもけっこうやって来た。

そして帰り際、「そんなわけで。辞めたいのですが」とまた言うと、店長は知らん顔。でも、ここでひるむとダメだと思い、「でもあんまり調子よくなくて、今の状態はずっと胸苦しいんです。医者は、ストレスから血管が収縮して縮まり、心不全状態を起こすんだと言うんですよ」と勝手に言っていると、店長はその心不全という言葉に驚いたみたいで、パンを捏ねる手を止めて顔を上げ「えっ?」という。そして「そ、それなら休んでよ。年末は来なくていいから。休んで休んで」と言い、私を追い立てるようにして帰らせようとする。「えっ? 年末全部来なくていいんですか? 大晦日ぐらいは来ますよ」と逆に私もついついまた言ってしまうのだが、「いい。来なくていい。倒れられたらイヤだから、来なくていい」と、今度は一転、全面的に来なくていいになった。「そ、そうですか? じゃ、年末ぜんぶ来ないですよ」というと、店長はシフト表の私のところに全部×をした。私は辞めるとは言ったものの、年末年始ぐらいは悪いから行こうと思っていたのだが、心不全という言葉は店長を脅かしすぎてしまったらしい。
 

 

しかし年末のシフト表、実は私以外はほとんど誰も入っていなかった。大学生や主婦のバイトちゃんたちみんな「実家に帰ります」と、年末年始は休み。実家が近所のこだわりパートちゃんも「家の用事が」と言って、年末年始は休みにしていた。そのときだけじゃなく、実はクリスマス時期も誰もバイトが入ってなくて、店長1人で店をやったらしい。「クリスマスイブ、一年で一番フランスパンの売れる日です、その日に誰もバイトが来ないなんてうちの店はダメです。潰れます。仕方ないから私1人でやりますが、フランスパンでパン屋の評価は決まるのに、どうして誰も来ないんですか?」と、くどくどした店員への一斉メールがクリスマスイブ前に入ってきていたのだが、それにもどうやら誰も応えなかったらしい。今思うと、店長のイライラはこのあたりから爆発し始めていた。大事なときに誰も店員が店のことを考えない。どうしてこんなになってしまったんだ?そう1人、悶々していたんだろう。

そんなわけで年末年始、店を休み、ちょうど本業が忙しかったのでそれをやり、年明けは都知事選だなんだでわぁわぁしていると、また突然に店長からメールが着た。「そろそろ体調も良くなったのではないですか? 辞めるにしても、新しい人が決まるまで、手伝ってほしい」という。こんなこと、電話してくればいいのに、いちいちがメールだ。口下手なんだろう。でも、このとき、私はちょっと反省していた。年明け早々、自分の本業の方で編集者とモメて、自分の人間関係のマズさ、ちゃんと話し合えない下手くそさ、ダメさにうんざりしていた。色々な不満や言いたいことがあっても、いつもそれをきちんと言葉にして相手と話せず、その不満が溜まったままにして、誰かにグチグチ言い続け、結局は最後に破綻する。思えば私、そういうことを何度も繰り返してきた。店長のことこのままにしたらまた同じ。修復しよう。

そう決めて店に行った。店に行くと、店長はいつも通りに黙ってパンを作っていて、私を見て「ああ」とだけ言った。「体調は戻ってきたんですが、新しい人は決まらないんですか?」というと私をチラッと見て、「前より元気そうだね」とパンを捏ねてうつむいたまま言う。「うん。2人面接に来たけど、1人はダメで、もう1人はまったくバイトしたことない人でさ」と、人が集らないようだ。「じゃ、新しい人が決まるまで週末また来ますよ」というと、店長はパッと顔をあげ「ほんと? じゃ、来てよ」という。「わかりました」と、私は2週間程度休んだだけで、また店に戻ることになった。とりあえずまた働き、その中で店長と少しずつ話していこう、そう決めたんだ。

久々に行った店には新商品が増えていた。1月から2月にかけて、コンビニだとこの頃は「恵方巻」で勝負だが、パン屋だとバレンタイン・デー勝負になるのか。店にはまた甘いチョコレート系のパンが増えてきた。どうしてだか、この店は相変わらず甘いパンばかり。しかも材料費を抑えるためなのだろうか、似たような甘いパンが、形を変えて出されている。もう少しお惣菜のパンを増やせばいいのに。きんぴらごぼうパンとか、そういうの。そんなことを思いながら眺めていると、店長がどっかへ行った。そのスキにバイトの女子大生とベラベラ話す。
「店長、最近すぐにああしてどっか行っちゃって帰って来ないんですよ」
「え、そうなの? 店長と話とかする?」
「あんまり。夕方はお客さんも少ないし、パンも減ってきて、することなくてぇ。でも私ももう就職だから、辞めますから終わりだし、いいかなって」
と、からから笑う。
「他の人は?」ときくと、もう1人の大学生も辞めるという。そして、
「○○さんと店長の間がチョー悪くて」と、こだわりの強い女性のことを話し出した。
「えっ? やっぱり? なんか、店長、彼女に特に感じ悪いよね?」
「そうなんです。シカトしてて、何これ?って。○○さんて、ちょっと確かに変わってるけど、でも自分が雇ったんでしょう? たしか一番最初に雇ったのって○○さんですよね。それ自体どうかと思うんですけど、でも雇ったならもうちょっとなんとかすればいいのに」とまた、からから笑ってあっさりという。からから笑って、私みたいにそういうことに妙に腹を立てて、怒ったりしない。そんなことにこだわらない。だいたい、そんなこと、どうでもよくて、そんなとこに自分の何かを求めてない。いちいちそうした一つ一つに熱くなり、腹を立て、むしゃくしゃし、自己嫌悪に落ちたり、ワアワア騒ぐ自分と比べると、娘みたいに若い彼女の方がずっと冷静で大人だ。それは私に比べてもそうだし、店長に比べてもそう。

そして最後の大波乱が訪れることになる。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2014年3月1日号-

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