杉江松恋の、回り道から飛んでいく 第7回


落語ファンを名乗る資格はないと自分では思う

杉江松恋
(第14号で「伊勢街道でしょう!」を執筆)

 
 
 

 前回の最後に書いたように、2月22日25時(23日1時)から落語立川流真打・立川談四楼さんの独演会を新宿Biri-Biri酒場で行う。
 これは談四楼さんの発案で始まったものだ。最初は普通の時刻に始まって終わる落語会をお願いしたいと思ってお会いしたところ、会場をご覧になった談四楼さんが自ら「本当の深夜寄席」のアイデアを出してこられたのである。
 終電でかけつけて始発で帰る落語会。
 なんか秘密倶楽部みたいでいい。
 というわけでぜひ協力させていただきたいと思い、このたび会のお手伝いをしている次第だ。
 新宿Biri-Biri酒場というのは僕が定期的にトークイベントをやっている会場で、元はちゃんこ料理屋だったところを居抜きで引継ぎ、そのままの形で使っている(だいぶ改造されて原型からはかなり変わったのだが)。昼はランチ営業もしているところなので、ちゃんとした料理が出せるのが長所である。夜明かしのイベントというとクラブ(お姉さんが横に座らないほうの)にしろ映画館にしろ、飲食のほうはどうしても貧弱になってしまう。この会場であれば、落語を聴いて楽しんだあとにちゃんとしたつまみで宴会をすることも可能になるのである。それが他にはない特徴となるはずだ。
 ちょっとおもしろいことになると思うので、大袈裟に言えば伝説の始まりを見にくるつもりでぜひ足を運んでもらいたい。
 詳しくは、こちら。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=69186829

 さて、今回の話題は落語について。
 

 
 僕は落語ファンである。
 ただ、そのことは今まで表立って書いたことがなかったし、積極的に仕事にするつもりもなかった。唯一の例外は数年前に日本テレビでやった仕事で、『笑点絵はがきコレクション』という本を作ったのである。2002年に出したところ比較的好評だったようで、翌年新版が出た。その本で文章を担当したのが、これまでの唯一の落語仕事である。
 

 
 芸人仕事ということであれば、現在、「水道橋博士のメルマ旬報」という媒体で「マツコイ・デラックス」という連載をやらせてもらっている。ただしこれは芸人「本」仕事である。芸人が出した本を書評し、その中で語られている芸談や、芸人言行録を紹介するというのが趣旨だ。ただしこれも、芸人の一代記のようなものを除き、演芸評論は扱わないことにしている。
 なぜか。
 僕には芸人の芸がわからないからだ。
 わかるほど見ていないし、聴いていない。

 立川談志が2011年11月に亡くなったとき、いろいろな人が追悼文を書いたし、電波に乗る形で故人の評判を話した。その中には、どうしてこの人が談志を語るのだろう、と首をひねるものがあった(このへんのことについては談志の弟子、談四楼や志らくの著書に詳しく書いてあるので、探して読んでいただければと思う)。俗な言葉だが、いっちょがみ、というやつである。なんでもかんでも食いつけばいいというものではない。
 今はネット上で誰もが意見を表明できる時代だから、何か事件があればいっせいにそのことについての文章が書かれることになる。twitterなどのSNSを見れば、ニュースを見なくても誰かが亡くなったことはすぐにわかる。第一報が出た直後くらいから追悼ツイートが並び始めるからだ。
 これは僕もやってしまったことがあったので厳に自分には戒めているのだが、そんなになんでもかんでも悼まなくてもいい。自分に関係がない人にまで弔意を表す必要なんてないのである。追悼の気持ちがあるなら黙って胸に秘めていればいいだけの話で、喪章というものはそういうときのためにあるのだ。こっそりつけるべし。
 それと同じことで、芸能評論、芸人評伝というものは書くべき人と書くべきでない人がいる。
 かつて村松友視が『トニー谷、ざんす』を書いた際、小林信彦が批判したことがある。生前のトニー谷をよく知らない人間がいいかげんなことを書くべきではない、という趣旨だった。
 その論法で言うと、親交のなかった人のことは後年誰も書けなくなるわけで困ってしまうと思うのだが、小林が言いたかったのは「自身が力不足だと感じたら、他に書くべき人に遠慮すべきだ」ということだったのだろう。小林はよく、自分と同年代やそれより上の人に対して「○○は××(上の世代の芸人や俳優)のことを書くべきだ」という書き方をしている。ライブでしか見られない芸については、それをリアルタイムで追ってきた人が記録者にならなければいけない、という趣旨だとすれば小林の言い分はよくわかるのである。
 賛否両論あると思うが、こと芸人の芸に関しては、僕は小林の考え方を支持している。その小林も談志からすれば「わかってない奴」ということになっていたのだが(小林はその没後に一冊の芸論を書いたほどの古今亭志ん朝ファンだったので、それが気に入らなかったのかもしれない)。談志が評価する見巧者というのはたとえば故・色川武大で、兄貴分として慕ってもいた。「芸人と同じ哀しさがある」というのが、談志による色川の人物評である。
 かくのごとく、芸論、芸人論は難しく、到底僕などの力の及ぶ領域ではない。

 簡単に僕の落語歴を書いておく。
 僕が最初に足を踏み入れた寄席は東京・上野広小路の本牧亭だった。安藤鶴夫が直木賞を得た『巷談本牧亭』の題材となった、旧い寄席である。後年持ち主が建物を手放して別の場所で営業をするようになったため、2011年に閉場した本牧亭は安藤が書いたものではない。
 もともとの本牧亭は旧い建物で、僕が行ったときには下足番がまだいた。履物を預かり、札をくれるのである。木の階段を上っていったところに、縦に長い畳敷きの桟敷があり、そこに座布団を敷いて座る。初めて行ったとき僕はまだ小学生だったのでだらしなく座っていたら、「行儀が悪い」と見知らぬ老人に叱られてびっくりした。けっこうきつい言い方だったからだ。1970年に閉場した人形町末広について書かれたものを読むと、毎日やってくる常連客がいて主のようにふるまっていたことがわかるが、あの爺さんたちもそういうたぐいの客だったのかもしれない。
 僕がなぜ本牧亭に行ったのかというと、父が高校教師をしていて、その学校の卒業生に落語家になった人がいたからだ。今はもう真打の大きな看板になっているが、当時は二つ目だった。その人がおもしろがって子供だった私に二つ目勉強会の招待状をくれたのだった。だから初めて生で聴いたプロの落語家は、その二つ目だったということになる。

 それから好きになって高校生から大学生にかけてはだいぶ寄席の定席にも通った。家が三多摩にあったのでもっぱら行きやすかったのは新宿末広亭だ。そこで落語家だけではなくテレビに出ない色物芸人なども始めて観て、そのおもしろさと退屈さを知った。東京ボーイズのように落語そのものよりも楽しみにするような芸人もいれば、その場にいるのが苦痛になるほどつまらない人もいるのである。落語協会の定席では、まだ三遊亭あす歌といった現在の小円歌を知った。小円歌は圓歌の弟子で、三味線を弾きながら語る音曲師なのである。当時のあす歌はびっくりするぐらいの美人で、こういう人も芸人にいるのだ、と憧れた。

「師匠が女優にしてくれる、っていうから弟子入りしたんですけどね。騙されて芸人になっちゃった。師匠、あたしのことやっちゃおうと狙ってますから」

 高座の上で小円歌がそういうとどっと笑いが起きるのだが、僕は小円歌の顔をじっと見ながら、圓歌の気持ちはよくわかる、と溜息をついたものだった。いや、圓歌さんはそんなけしからんことは考えていないと思いますが。

 閑話休題。
 僕がいちばん熱心な落語ファンだったのは高校生のころだから、1980年代の後半だ。そのころは落語立川流ができた直後で、談志が好きだ、などと言うと落語ファンの先輩から、

「それは邪道だ」
「落語の本道は小円朝であり、圓生であり……」

 などとくどくど叱られるのであった(ちなみにそのころ小円朝も圓生も故人でした)。それがだんだん煩く感じられるようになり、快楽亭ブラック(当時は快楽亭セックス)などのアナーキーな落語会に行ったり、深夜放送で談志の番組を観たり、といった方向に逸れていってしまい、いつの間にか寄席からも足は遠のいていた(たまには行っていたのだが)。そして1992年に社会人になったあとは、リアルタイムで落語界の情報を追いかけるようなファンではなくなってしまったのである。
 そしていろいろあって現在に至る。その程度の落語聞きであり、ファンだなんて胸を張って言えたものではない。

 それがなぜか去年の暮れ、「あ、これからはちょっと落語を聴こう」と思ったのだ。
 きっかけはよく覚えていない。片付けをしていたら昔のアルバムが出てきたとか、そのレベルのどうでもいいことだったのだと思う。
 落語を聴こう。
 そう思ったら、ずっと昔に忘れてきたものを取りに帰るような感覚があった。よくわからないんだけど、それをすることによって何かを塞いでいる蓋が取れるのかもしれない。そこから何かが出てくるのかもしれない。なんだかよくわからないものが。
 いいねえ。なんだかわくわくしますよ。
 そんなわけで、僕は今ちょっとずつ1985年くらいの自分に戻ろうとしている。その途上で縁があって落語会のお手伝いをする話も持ち上がったわけだ。しかしそれはあくまでお手伝いだから、それによって落語界の内部に入るつもりもない。半可通がしたり顔で何かをする忌々しさというものは、自分でもよくわかっている。
 しかしまあ。
 何かおもしろいことがありそう、というのも確かである。
 もちろん演芸評論家になるつもりなどさらさらないのだけど、落語に関して何かをし続けていれば、自分の中で化学変化が起きるかもしれない。
 起きないかもしれない。
 どうなっちゃうかわからない。
 だけど、これが回り道をしてみるおもしろさなのだ。僕は落語のほうにもちょっと行ってみます。よかったら一緒にどうぞ。
 

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年2月21日号-

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