旧宅探訪  第11回

なぜか原宿♪ 3畳のアパート

 
下関マグロ(第14号で「僕の八〇年代エロ本仕事」を執筆)
 
 
 
 
 
1991年1月、事務所の人間にも内緒で原宿に3畳のアパートを借りた。90年の暮れだかに、脳天気商会の事務所から電車で茅ヶ崎へ帰ろうとしたとき、山手線が大崎止まりで帰れないことがあった。安いホテルかなにかに泊まったのだが、こんなんだったら、寝るだけの部屋を借りたほうがいいと思った。

誰にも言えなかったのは、茅ヶ崎に引っ越したことがおかしいと周囲から意見されていたからだ。しかし、まあ、夜遅くまで事務所にいたり、朝早く現れたりすることで薄々はバレていたようだ。

場所は事務所から歩いてすぐのところ。脳天気商会があったのが神宮前2丁目だったが、同じ2丁目だった。木造アパートの二階の角部屋。広さは3畳。


 

 

今と比べれば、当時の原宿に住むというのことは、そんなに不便ではなかったように思う。3畳のアパートは本当に寝るだけの部屋で、すぐに布団とコタツを買った。近所ではないが、銭湯は3箇所あった。よく行ったのは裏原宿、神宮前6丁目にあった銭湯。名前は忘れてしまった。いまはもうない。コインランドリーがあって、銭湯に行くついでに洗濯をした。それから鳩の森神社の先にあった鶴の湯という名前だったかな、原宿の銭湯が休みの日はこちらに行った。あと、青山通りまで出ると清水湯というのがあった。 清水湯には自転車で行っていた記憶があるので、安い自転車を買って使っていたのだろう。

最初は夜遅くなったときにだけ泊まるつもりだったのだけれど、そのうち平日はこのアパートで過ごし、週末、茅ヶ崎という生活をするようになった。

大家さんは同じアパートに1階の真ん中の部屋に住んでいるおばあさんで、そこへ毎月、家賃をもっていった。昼間、大家さんがいるときはドアが開け放たれていた。家賃を持っていくと、おばあさんはお茶を出してくれて、時にお菓子もくれた。玄関先に座って話をしたものだ。見たところ、年齢は70代くらいだろうか。

この木造の2階建てのアパートは、東京オリンピックの前ぐらいに女性専用のアパートとして始めたそうだ。東京オリンピック当時は、まだ周囲に高い建物がなくて、2階の部屋からは競技場が見え、マラソンのときなどは、みんなで観戦したそうだ。

有名人も住んでいた。ちょうど「うわさのチャンネル」に出ていた頃の木ノ葉のこがここに住んでいたのだそうだ。「テレビ局から帰ってくるときに会うと『おばちゃん、見てくれた?』って聞かれるから、見てないときでも、『ああ、見たよ、よかったねぇ』って言ってやると喜んでたよ」とおばあさんはうれしそうに話していた。あとは、お笑い芸人の西川のりおの付き人がここに住んでいて、家賃は西川自身が支払いにきていたそうだ。

昔は、住んでいる女の子も自分と年齢が近く、楽しことばかりだったそうだ。「今でも、時々、昔住んでた人がくるのよ。たいてい私の顔見て『おばちゃーん』と泣き出すのだそうだ。じゃ、悲しいことはなかったのかときけば、少し間をおいて「自殺した子のことかしらね」と言った。その女性は、あるプロゴルファーと不倫関係にあったそうで、男にだまされて自殺したそうだ。「とってもいい娘でね、大根の葉っぱを捨てようとしたら、『おばちゃん、これは細かく刻んで、油揚げと一緒にフライパンで炒めるとおいしいのよ』と言いながら、ちゃっちゃと作ってくれるようなやさしい女の子だったのよ」と涙目になった。

この住まいも茅ヶ崎の家も脳天気商会の閉鎖とともに出ることとなった。

しばらくして、原宿に行く用があってこの木造アパートをさがしたが、建物がどこにあったかわからなかった。いくつか新しい建物が建って、雰囲気が変わってしまったせいだろう。

北尾トロの撮影した動画はこちら→

 
 
 
 
動画撮影/北尾トロ  似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年3月16日号-

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