土偶をつくる  第11回

完成

 

めるし
(イラストも)
(第9、10号で「北千住大喜利ハウス」執筆)
 
 
 
 
 土偶が完成した。
 これまでの連載、粘土を採りに崖へ行き、縄を撚ろうと山へ行き、野焼きがしたくて市役所に電話をし、と、山あり谷あり崖あり、お堅い市役所職員あり、な土偶作りの道のりであったが、前回どうにか土偶を焼いて、なんとか完成した。
 さあ、その出来具合は。

 先ず、地元土偶のレプリカ。
 地元で採掘した粘土を使うので、折角だから地元で出土している土偶のレプリカも作ってみよう、と思って作ったもの。
 

 

 


 
 土塊だった物が、焼かれると、「みしっ」と堅くなった。
 縄での文様付けが上手くいかず、小枝でそれっぽく描いてみた縄目風文様、どうでしょう。
 
 地元土偶は、市の教育委員会の資料によると、両面に赤色顔料が付着しているとのこと。赤かったのか。ならば私が作ったレプリカ土偶も赤く染めてみよう。
 縄文時代の赤色顔料には、ベンガラと呼ばれる酸化鉄がよく使われていたらしい。それは何処に行けば手に入るんだ、と思っていたら、「楽天市場」で売っていた。自然派化粧品を自作する人が使うらしい。
 縄文時代にはインターネットどころか「市場」もまだ無かったかも。なるべく縄文時代と同じ方法で土偶を作りたいと思っているが、他の入手方法が分からないので、やむを得ず「楽天●●」から、塩と交換、は、してくれなさそうなので、クレジットカードで購入した。家にベンガラが届き、さっそく水で溶いて土偶に塗った。
 

 
 赤土偶。呪術的な朱になるかと思ったら、ポップな赤になった。ポップになった土偶は、そのポーズもなんだか、キース・ヘリングの絵の中の踊ってる人っぽくなってしまった。

 次は、オリジナル土偶。粘土をこねてて頭に浮かぶままに形をつくった。
 

 
 赤ん坊のイメージ。土偶は妊婦の姿の物が多く、それは再生を象徴しているらしいのだが、再生を象徴するのなら産まれた赤ん坊の形の物があってもいいのでは、と思って。
 焼いたらそれなりに土偶っぽくなった。
 土偶が出土している地元の遺跡では、現在も発掘作業が行われている。其処にそっとこれを置いてきたらどうなるかな、と思ったが、徒に考古学界を騒がせてはいけないと思い、やめといた。

 最後は、ハート形土偶。東京国立博物館で展示されているような有名土偶。そのレプリカを作ってみた。
 これまでの土偶2つは、両方とも手のひらサイズで板状だ。作るのは比較的楽であった。
 けれど、これはでかい。身長(偶長?)が30cmくらいある。しかも立体的な形状をしており、ほんと、作るのに骨が折れた。
 

 
 焼く直前に、首ちょんぱしちゃった。首ちょんぱだけでなく、脚ちょんぱ、腰ちょんぱもした。片乳も焼いてるときに欠けた。
 

 
 この股のあたり、いい色に焼けた。採掘したときは茶色かった粘土が、乾燥して白くなり、焼くとまたこんなきれいな色に変わった。トーストがきれいな焦げ色で焼けたときみたいに嬉しい。
 他の箇所は黒焦げ部分が多い。土偶師匠・三上社長に後日聞いたところ、焼成温度が400度くらいではこのように煤が着く感じになり、さらにぼうぼうと薪を燃やし700度くらいまで温度を上げると、炎の勢いで煤が飛ぶ感じになって、きれいな色に焼きあがるのだそうだ。
 焦げ焦げ土偶となったが、それもまた、この世に1つだけ感があっていいのではないか、と私は思っている。
 
 ハート形土偶の頭部は、後日改めて作り直した。
 

 
 アンパンマン的再生。満身創痍だし、支えてないと立てないが、なんとか全身揃った。
 土偶は再生を象徴しているといわれているが、制作過程においても、死と再生を繰り返すとは。
めるし「徹底してるね、土偶さん。」
土偶「ぐう。」
 顔が戻って、また私の話し相手となってくれそうだ。

 数年前から作りたいと思っていた土偶であったが、取り掛かってみたら、想像していた以上に難儀な作業であった。
 粘土の残りは物置で寝かせてある。なのでまた作りたいと思ったらいつでも作れる。
 きっとまた、作りたくなるだろう。たぶん、500年後くらいに。
 
 
 次回は、1万年後の東京に思いを馳せますぐう。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2014年3月18日号-

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