どす黒い私 2 鋼鉄のパン屋さん、いざ出陣!編  第12回


 
和田靜香
(第13号で「ホドがある! 新聞一面トップ どうして私が?!」を執筆)

 
 
 
 パン屋をクビになってから、そう言えば私、過去にクビになったことってあったっけ? と考えてみた。みたら、あった。しかも1週間でクビになったことがあった。

 あれは私が20歳のときだから、かれこれ28年も前だ。すっげー! 大昔じゃん。でも、そのことはつい昨日のことのように覚えてる。覚えているのでググってみたら、そのお店、今もあるっ! しかも今やその店は「老舗」として君臨してるらしい。その店について書いた一般の方のブログを見たら、店主も、その奥さんも健在らしい。すごい、すごい、すごい、名店だったのか!

 そのお店は乃木坂にあるフレンチ・ビストロで、本当においしいお店だった。ほんの数回だが食べさせてもらった「まかない」は、びっくりするほどにおいしかった。「まかない」なのに牛肉がドゥミグラス・ソースにからまり、当時貧乏だった私は牛肉なんて滅多に食べられなかったから、むさぼるように食べた。今も覚えてるんだから、相当においしかったんだと思う。いや、ただの飢えた子どもだったから覚えてるのか?

 働いている人も店主のフランス人、日本人の奥さん、若いシェフの方々、キッチン手伝いのオバさん、フロアのお兄さんと、今思えばなんだかバラエティ飛んだ面白そうな面々が揃っていて、今なら「こりゃ最高のネタだわ」とほくそ笑みそうなのだが、学生だった当時はそんなこと一瞬たりとも思わず、いや、思えず、試用期間の1週間でクビになってしまった。
 

 

 当時私は荻窪に住んでいたのに、どうしてこんな遠い、乃木坂の店などでバイトしようとしたんだろう?と思ったが、そうか、当時は「フロムA」とか、バイト雑誌華やかりし頃で、これもおそらく「フロムA」で探したんだと思う。20歳の私。今と同じく貧乏。就職試験に軒並み落ちまくっていて、先行きが見えず、とりあえずバイトしなきゃ!と焦って受けて、何がどうしてだか受かって採用された。私の仕事はフロアの補助とドリンクの提供。ちゃんとしたフレンチ・ビストロなのに、紅茶やコーヒーは私のような素人にいきなり入れさせたんだから、まだその店もシステムがちゃんと機能してなかったのかもしれない。コーヒーも紅茶もジュースも私の担当だった。コーヒーはフィルターに入れてお湯を注ぎ。紅茶も茶葉をポットに入れてお湯を注ぎ。さらにアイスティーは氷を山盛り入れたグラスに注ぎ、「紅茶がにごらないようにしてね」云々。レモンを輪切りにして添えて出来上がり。ジュースもパックのを氷を幾つか決まった数入れて注いで出していた。当然、何度やってもアイスティーは濁りまくり、どう見てもおいしそうではなかったし、コーヒーはどうしても濃くなってしまい、苦そうだった。

 キッチンで働いていた男性陣がどんな人だったかはあんまり覚えてないが、フロア責任者の男性がやたら気取っていたのは覚えている。いかにもギャルソンという服装で、「ウイ・ムッシュー」とか言っていた。そうだ。その店はオーダーはぜんぶフランス語じゃなきゃいけなかった。何せシェフがフランス人。でも日本に住んでるし、働いている人はみんな日本人だし、当然その人も日本語がペラペラなのだが、なぜかオーダーだけはフランス語。そして私にも、「アン・カフェ、なんとか〜」とか、言ったり、答えろと言われた。私はこれがまったく出来なかったんだ。

 その何年か後、フランスを旅して帰国した私は「フランス語かっけええ」などとミーハー気分で日仏学院にまで通ってフランス語を習うことになるのだが、20歳のときはフランスなんてあまりに遠い国で、どっちかというと嫌いな国で、フランス語なんてまったくちんぷんかんぷん。アン・ドゥ・トロワ・キャトル・サンク・シス・セット・ユイット・ヌフ……と、今なら(というか、日仏に通ってから20年経つ今だに)覚えているのに、当時はこの数字がまったく覚えられず、しかもいきなりフランス語で言えというのが、20歳の私には妙にこっ恥ずかしくて……何せ自意識過剰な20歳の女子ですから……ギャルソン兄ちゃんが私に「トロワ・カフェ・シルブプレ!」とかオーダーを伝えてくると、「あ、あ、ウ、、、イ、、、ト、トロワ? カフェ、、、」と、しどろもどろで小声でつぶやくようで。ぜんぜん元気なくて、いい加減で。数字がいくつかもよく分からなくて、ダメだった。これが「へいっ! あがり一丁!」だったら大声で言えたはずだ。それは恥ずかしくない。ただ、フランス語でなんて、気取ってるようで、フロアのギャルソンのお兄さんのブイブイした雰囲気にも目が点になっていたので、どうしてもうまく言えなかった。

 あぁ、20歳の小娘って面倒くさいっ。

 そんな私に店のマダムが(マダムっ?!)「和田さん、もっとちゃんと大きな声で」と何度も注意してきた。ドリンクを作って出す場所は、キッチンとフロアの間にあるカウンター。お客さんによく見える場所だから、明るく、笑顔で、シャキシャキとやってというのだ。当然だ。今なら、いくらでも笑う。いくらでもシャキる。でも、20才の自意識過剰には無理。そして1週間目の勤務後……ランチ勤務だった……マダムから「和田さん、あなたにはこの店は無理。辞めてください」ときっぱり言われ、1週間分のお給料をもらい、フランス人店主に「ごめんなさいね」と言われ、ギャルソンには「じゃあね」と言われ、私はあっさり店を去った。

 ああ。もったいない。まかない! 牛肉っ!

 クビになった私は途方に暮れた。1985年11月。人生は終わったとさえ思った。何せ就職試験だってぜんぶ落ちていたんだ。あんなバブルな時代に!しかも通っていた専門学校はものすごくいい加減なところで(今はもうその学校はない)学校にもあまり行ってなかった(だから毎日バイトしていたし)。このまま田舎に帰るか? でも私は物を書く人になりたい!東京にいたい! どうしたらいいの? どうしたらいいの? ワンワン泣いて。泣いて。泣いて……って、28年後の今もあんま変わらないのだが、あ、でも、当時は「おみくじ」引きまくったりはしておらず、ひたすら泣いていたら。そうしたらブ〜〜ンと郵便配達のバイクが私のボロアパートの前に止まった。当時は大家さんの一軒屋を無理やりアパート化した1階の6畳一間風呂無しに住んでいたのだが、その家のポストにポスッと何かを入れた。

 手紙だ。手紙大好きで文通相手が何人もいた私はガッと立ち、パッとポストを開けた。するとそこには1枚のハガキ。ピンク色の音譜のマークが派手に飛んだハガキで、そこには「湯川れい子」という差出人の名前があった。そして「就職は決まりましたか? もし、まだならうちでバイトしませんか?」とあった。

 うちとこ師匠は、20歳の自意識過剰な、フレンチ・ビストロでアン・ドゥ・トロワも覚えられない、いや、覚えようとしない、1週間でクビの、態度の悪い、どうしようもないガキんちょを拾ってしまったことを、このときまだ知らなかったわけだ。

 
 
 
 

-ヒビレポ 2014年3月22日号-

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