今朝はボニー・バック 最終回

うんこの友

ボニー・アイドル
(第11号で「原稿料よりバイト料が多くても、ぼくは断然ライターだ!」執筆)

 
 
 
業界紙の記者をしていた頃からフリー2年目辺りまでの約3年間で、サラ金会社3社とクレジットカード会社に120万円を超える借金を作った。
借りたカネのほとんど飲み代やデートに化け、残りは生活費に消えていった。サラ金のカードを打ち出の小槌のように錯覚し、浪費を重ねてしまったわけだけど、苦しいときに助けられたのも事実なのでそれほど後悔はしていない。それに、120万円のきっかけとなった最初のカードを作ったのにはそれなりのワケがあったのだ。
ぼくがサラ金に手を出したのは、フリーペーパー「うんこの友」を発行するためだった。

うんこの友は2008年7月に創刊した。
その頃ぼくは業界紙の記者2年目。仕事にも慣れてきて、特集企画や連載企画を提案したり、広告営業で新規クライアントを獲得したりと、それなりに充実したサラリーマン生活を送っていた。ただ、特定の業界のニュースのみを扱う業界紙に飽きがきていたのも事実だ。
業界紙は新製品情報や企業ルポはもちろん、政治の動向やトレンド、災害の影響など、森羅万象をその業界目線で報じなければならない。しかも読者や広告主は中小企業の経営者がほとんどなので、自ずと記事の内容も硬くなる。

読者や広告主に気を使わず、情報にすらならない、くだらない記事だけを書ける場があったら。フリーペーパー創刊の動機はこんなところだった。
そもそもぼくは椎名誠さんの「哀愁の町に霧が降るのだ」「新橋烏森口青春篇」「銀座のカラス」に影響されて業界紙記者になったところがある。椎名誠さんがデパート業界誌づくりに膿み、「本の雑誌」を創刊したように、ぼくも仕事のカウンターとなるような媒体がほしかったのだ。
 

 

業界紙のカウンターということで、フリーペーパーはタブロイド型の新聞形態にした。会社では記事の割り付けもしていたので、紙面づくりの約束事もある程度知っていたし。
紙名の「うんこの友」は、「トイレで用を足しているときに最適な読み物」という意味だ。元々は実家に住んでいた頃、兄キがよく使っていた言葉で、トイレに行くたびにぼくに聞いてくるのだ。うんこの友でイイのない、と。つまり、おもしろい雑誌やマンガを持っていないかということだ。
自費発行のフリーペーパーとはいえ、紙面のデザインには凝った。題字デザインはムサビ卒の女友達に、コラム欄のイラストは同じくムサビ卒の当時付き合っていた彼女に、DTPはグラフィックデザイナーの友達にお願いした。
ギャラも、彼女は別として、題字デザイン代を3万円、DTP代を1号につき1万円払った。

同人誌にするつもりはなかったので、記事はすべてぼくが書いた。バックナンバーには次のような見出しが並んでいる。
「先生とセックスに専念。メール画面に痕跡」(第1号)
「考察シリーズ① ランニングとタンクトップの違い」(第2号)
「部屋中クソまみれ、君島ブランドに並ぶ」(第2号)
「夏目漱石著『こゝろ』の先生の手紙を完全再現!!原稿用紙470枚超。巨大イカめし一丁あがり」(第3号)
「便所まで何マイル?便所からの距離と上下関係の関係」(第4号)
 
うん友バックナンバー。恥ずかしいので画像サイズ小さめにしました
 
レポ本誌の読者ならピンと来たかもしれないが、「『こゝろ』の先生の手紙を完全再現!!」は季刊レポ第8号に書いた「書いても書いても終わらねェ」の原型だし、「便所からの距離と上下関係の関係」はレポ9号の「人生とはトイレからの距離である、のか?」の原型である。また、「先生とセックスに専念」のネタは、ヒビレポの連載第7回「先生、セックス、専念」に使った。
ただ、あくまでも元ネタが同じだけで、うん友とレポに書いた記事では内容がまるで違うことを断っておく。
具体的にいうと、うん友版の「先生の手紙」のルポは、書き写した手紙は数枚だけで、ほとんどは白紙のダミーで作った。レポ版は手紙を一字一字すべて書き写してから、新たに書いた原稿だ。

余談だが、この原稿について、レポ8号が出たのち、ぼくのツイッターのアカウントに、「ボニー・アイドルの記事は某ポータルサイトのライター○○さんのパクリ」という内容のつぶやきを飛ばしてきた輩がいた。その@マーク付きつぶやきは、ぼくだけなく発行人である北尾トロさんのことも非難する内容だった。
すぐに件のポータルサイトの記事を確認した。確かに同じ「先生の手紙」を書き写す内容のルポである。記事がアップされた日付を見ると、2009年12月とある。レポ第8号が発行されたのは2012年6月だが、ぼくが原型の記事を載せたうん友第3号を発行したのが2009年3月。ぼくの方が早い。つまり、少なくともパクリじゃないことは証明できる。
うん友第3号の画像を@マーク飛ばしてきた輩に送ったものの、その後向こうからリアクションはなかった。
 
パクりじゃないことの証明になった「うん友」第3号
 
で、この「うんこの友」。作っているときは会社の仕事が手につかなくなるほど楽しかったが、ツラかったのは印刷が終わってから。つまり新聞の拡張作業である。新聞は手渡しじゃなく、喫茶店やバー、飲み屋、古本屋のフリースペースに置いてもらう設置スタイルを取ることにした。
しかし、なんせタイトルが「うんこの友」である。内容はさておき、飲食店にはいちばん置いてはいけない読み物だろう。特に、カレー屋には。
主に中央線沿いのお店を当ったのだが、実際「タイトルがちょっと」と断る店主も多く、普及活動は難航した。しょうがない。
ただ、最新号の第5号を発行する頃には13の店舗に置いてもらうまでになった。店側にとってはリスクしかないフリーペーパーだったはず。あのときはお世話になりました。

制作費に行き詰まったのは第4号からだったと思う。ぼくにとって最初のサラ金会社はプロミスだった。当時サラリーマンだったこともあり、借入額の上限は50万円。無事、第4号を印刷することはできたし、これで当分制作費にも困らないはずだ。
しかし、2010年5月に第5号を発行する頃には、うん友へのモチベーションはすっかり低下してしまっていた。なぜだろうと振り返ってみると、ぼくはその3ヵ月後にサラリーマンを辞め、フリーライターとして歩み出したのだった。
フリーになったら好きな媒体で興味のある記事だけを書ける。甘っちょろい考えだったが、本気でそう信じていた分、業界紙のカウンターとしての「うん友」はもう必要なくなったのだろう。

最新号の第5号を発行してから、この5月で丸4年になる。ということはフリーライター歴も約4年ということか。
好きな媒体で興味のある記事を書くためにつけたペンネーム「ボニー・アイドル」の仕事量は、本名名義でこなしている仕事の1/4以下。本名名義の仕事へのフラストレーションもたまってきた。うん友が復活する日も近いのかもしれない。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年3月26日号-

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