イメージの詩 最終回

バトルトークラジオ・アクセス

 
 
えのきどいちろう
(第12号で「山田うどんの青春性、そして僕の非・青春性」を執筆)
 
 
 
 文化放送の朝ワイドが終了したのが2000年春だ。僕は40代になっていた。週一の30分番組のオファーをいただいたけれど、ちょっとラジオは休むことにする。まる4年トンネルにもぐって生活してきたような感覚だった。ちょっと息抜きしたい。妻と3週間のインド旅行に出かけた。まぁ、もう大人になってからのインドだから立派なホテルを押さえての豪華旅行だね。行ったのはムンバイ→ゴア→コルカタ。ゴアの教会ではフランシスコ・ザビエルのミイラを見たよ。

 で、帰国してその夏は野球を見たりしてぶらぶらしてたんだ。原稿の仕事も大したことない。朝ワイド始めたときに「メイワクかけるとアレなんでいったん終わらせて下さい」と頼みに行って、かなり数をしぼっていた。それよりとにかく野球だ。あの頃は東京ドームのシーズンシート買ってたからなぁ。

 で、ファイターズの成績もパッとせず、秋になってTBSラジオ『アクセス』のオファーをいただく。『アクセス』の噂は聞いていた。評判をとってるニュース討論っぽい番組。確か最初は8月、神足祐司さんの日にゲスト出演したんだよな。ラジオは文化放送以来、半年ぶり。その出演回が気に入られたみたいで10月からレギュラー出演のオファーをもらったんだ。
 

 

 オファーは田中康夫さんが長野県知事になって降板するから代わりに入るという話だった。で、了解したら直前に田中さん続けるって言いだしたから隔週レギュラー(2週にいっぺん出演)ってことでどうかと事情が変わった。まぁね、当時、田中康夫の注目度って大変なもんだったからね。単なる長野県知事じゃなかった(当選がうちでとってた東京新聞の1面にのっかる長野県知事だもん)。そりゃリスナーの皆さんも関心あるでしょと思って、オファーの変更を呑んだんだよ。

 結局、『アクセス』は番組終了の2010年まで続けるからけっこう思い出深いものがあるんだけど、最初の頃はなかなか自分の番組って意識が持てなかった。出来上がった世界に途中から入るのは難しいね。最初の番組パーソナリティーはご存知、小島慶子さんなんだけどケンカ四つなんだよね。小島さんも僕もツッコミ。これはね、どうやったらいいか困ったな。結局、しょうがないからボケてみるようになるんだけど難しかった。

 まぁ、そもそもニュースコメンテーターとして僕が適任とは思えないから、コンセプトに合ってないんだけど、ラジオ経験だけは豊富だからそれを生かして別のところで役に立てたらいいよね。それをいつも探ってたな。例えばTBSでは2010年〜11年『ミミガク』、2013年『水曜ウオンテッド!』って番組を担当することになるんだけど、ニュースコメントもないし、自分で仕切れるからホントに気楽だった。

 ただ小島慶子さん、長野智子さん、長嶺由紀さん、伊藤聡子さん、渡辺真理さんとトップ級のアナウンサーとスタジオがやれたのは超財産だよね。道場で向かい合って、竹刀を合わせてみないとわかんないことってあるんだよ。その経験の前では自分の型なんて意味を失う。相方はボケ・ツッコミ的な役割だけじゃなくて、得意不得意、持ち味、必殺技等々、全員違うんだね。それを大事にしようって感じに最終的には落ち着いた。

 それからね、レポ的には大事な出会いを『アクセス』がつくってくれる。小島慶子さん時代に北尾トロがゲストでやって来るんだ。番組終わった後、何だか知らないけど午前2時くらいまでスタッフ交えて話し込んだ。トロさんの文章は読んでたけど、会うのはそのときが初めてだ。最後の頃は眠くなったのを昨日のことみたいに覚えてるな。
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2014年3月31日号-

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