ぜんざのはなし The final 第2回


 
島田十万
(第14号で「カジノディーラー『K』の日常」を執筆)
 
 
 
 
 嬉しいニュースは毎年恒例になっているという一門のクリスマス会で発表されました。
 吉笑さんは仕事でこられなかったそうですが、その日、笑二さん笑笑さんの2人は師匠のお宅でご飯をごちそうになっていました。
 シャンパンで乾杯のあと、オードブルのほか、ハーブの利いた鶏の丸焼きやサラダ、パンなど、師匠の手料理で2人はビールをしこたま飲んでいました。
 あまり落語のことは話題にならず、雑談が多かったそうですが、ゆっくりした時間がすぎて10時ごろだったでしょうか、
「笑二、入門して何年になるの?」
 師匠はなにげない軽いかんじで聞いてきたそうです。
「3年になります」と笑二さん。
「50席は覚えてる?」
「はい」
「じゃ、二つ目になっちゃえ。理事会に上げとく」
 師匠は世間話でもするように、普通に話したそうです。もちろん日ごろから師匠の独演会での開口一番や、一門会での高座を袖で聴いていて評価してくれたわけです。
 それがもう滅茶苦茶嬉しかったらしいのですが、笑二さんは「ありがとうございます」とニッコリした以外なにを話したのかよく覚えていませんでした。
 

 
 フワフワとしたまま宴会は終了し、笑笑さんと二人、師匠のお宅から約1時間半かけて高円寺まで歩いて帰ったそうです。
 12月27日には、談笑さんが「Twitter」に笑二さんを2014年6月1日づけで昇進させる旨をツイートしました。
 談笑さんのツイートが出たあとは話題が解禁になったのでしょう、リツイートリツイートの嵐でした。
 少し長くなりますが、その時の笑二さんのブログも紹介します。
 

「家元が亡くなった後、立川流では最低でも3年は前座をやらなければならないというルールが出来ました。
 私が入門した7か月後に決まったルールです。他の団体と比べてみても特別に過酷な新ルールという事でもないのですが、そのルールがあるのとないのとではモチベーションにかなりの影響がありました。
 それまでは、課題をクリアしたら何時でも昇進出来るというのが立川流の昇進基準であり、現に僕の一番近くにいる先輩の吉笑兄さんが1年半で昇進していたからです。
 新ルールが出来るまでの私は2年以内に昇進する事を目標にしていたので、どんなに足掻いても3年は前座をやらなければならないというルールが出来た時の落胆は大きかったです。
 それ以降、私が強く意識したのは、前座として他よりも圧倒的に突き抜ける事でした。
 3年間で充分に面白い前座としての評価を受けてから、満を持しての二つ目昇進を迎えようと決めました。
 ただ、その一方で、3年で本当に二つ目に昇進出来るのか?という不安も大きくありました。特にここ数ヵ月は吉笑兄さんに、
『私、来年二つ目になれますかね?』
『どうアピールしたら二つ目になれると思います?』
『兄さんなら私を二つ目にしますか?』
と、知らねえよ!と一蹴されるような質問を週に1回ペースでしていました。
兄さんは毎回
『大丈夫だと思うよ』
と言って下さいましたが、それに対して
『でも兄さんは師匠じゃないからなぁ』
と返していた私は、ただただ狂っていたのだと思います(笑)」

 

 笑二さんは、普段はニコニコしているだけで、感情をダイレクトに吐露するほうではないのですがやはり落ち着かない日々をすごしていたのです。
 本を読むと、ほとんどすべての落語家が、真打ちになったときよりも二つ目に上がったときのほうが嬉しかったと発言していますから、笑二さんにとっても格段だったのでしょう。ブログやツイッターでは興奮してうれしさが爆発しているようすが伝わってきました。
 正式には、前座は落語家ではありません。昇進していよいよプロの噺家になれるというところなのですから当然といえば当然でしょう。
 その後しばらくは晴れ晴れとした表情で高座を務めていました。はつらつとした感じが客席にもバンバン伝わってきます。1月、2月の「談笑の弟子!」では落語も好調でしたし、満員の客席もどこか暖かい空気が満ちていました。
 まもなく6月3日に下北沢で「二つ目昇進の会」を開催することを発表しました。
 そして3月の「談笑の弟子!」を終えたころから怒濤の日々が始まっていたのでした。
 そのスケジュール帳を見せてもらって、ボクはうなってしまいました。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年4月11日号-

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