明と暗の報告書 第5回

神社は変転する

木村カナ(レポ編集スタッフ)

湯島〜御茶ノ水界隈をぶらぶらとレポする当連載。
第5回の今回は、太田姫神社のことなど。

 御茶ノ水駅の東側、聖橋のたもとに、ぽつんと一本だけ、大きな木がある。
幹にしめ縄が巻かれているこの木のことが、なんとなく気になって、あるとき、近づいてよく見てみて、その木が太田姫神社の元宮のご神木であることを知った。

平日の朝の1時間だけ、出口専用で通行可能になる臨時改札口のすぐ横。
実は開いているところをまだ見たことがない。

 木に取りつけられた説明板にはこう書かれていた。

「太田姫神社
太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり
伊達家と徳川家が神田山を開削した時江戸城の結界
また鬼門の護り神として江戸城内よりこの地に移された
昭和六年(一九三一)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る
尚鐡道(「甲武線」中央線の前身)は堀の中にあり開通時
天皇家との間に堀幅を減じない 中で商売を営まない
環境を守るとの約束がある(明治期鐡道史より)

この木は椋(むく)の木 落葉高木 花は緑 実は濃紫」

 同じく、木に取りつけられているプラスチックの箱の中には、

「太田姫一口(いもあらい)稲荷 風邪咳封治御守」

と書かれた紙が入っていた。開いてみると、手書きのA4の文書のコピーを折り畳んだ中に、お守りではなく、その手書きの文書の内容をワープロで打ち直し、それが書かれた時期が「この文書は今から24年前の1987年の頃のものと推定できます」と追記してある、A4のコピーを八つ折りにした紙が入っていた。この2枚の紙片はいったい何なのか……どうやらこれ自体はお守りではないみたい。おそらく、太田姫神社とこの元宮の由来がわかるということで、1987年頃にお守りの外袋として使われていたらしい文書を、2011年に打ち直して、案内として転用、ここに設置している、のだ、たぶん。

 そうやって、この木の詳細を知り、「御守」文書を入手したのが、今年の冬のこと。
 そのときに撮影した写真の日付によれば2月末、ムクノキはすっかり葉を落とした姿であった。そうだ、この木のこととかを書こう、と思い立って、せっかくだから、春になってからの、新しい葉が出てきている様子を撮り直そう、と思って、また見に行ってみたら。
 説明板に書き込みがしてあった。


「一口(いもあらい)神社跡地」「(現名明治時代)」……
ずいぶんと乱暴な字である。

 うーん、これはどういうことなんだろう?と首をひねってしまったのは、たまたま古本屋で買って見ていた、江戸切絵図を紹介した本(※1)の中で、「太田姫稲荷」と書かれているのを確認していたから。切絵図に記されている年号は嘉永3年、じゃあ、この訂正の書き込みの意図とは……? 神社サイドによる公式な訂正だとしたら、こんな風には書かないのではないか。何者かが、自分の知識の方が正しい!との確信をもって書き加えたのだ、この3月か4月の間に。
 たしかに、この木の前を通る「淡路坂」、その説明板にも、別名として「一口坂」もあったと記載されている。そしてそこにも「太田姫稲荷が一口稲荷と称したため」と書いてある。

 ちなみに、淡路坂を挟んだ向かい側、ソラシティの敷地内には「蜀山人終焉の地」の説明板がある。大田蜀山人(南畝、1749-1823)がここに住んでいたそうだ。

 さて、駿河台下に移転した、現在の太田姫神社。敷地外の角にあるご神木の大きなクスノキが目印。ムクノキの説明板・現在の社殿前の縁起によれば、この場所に移ったのは1931年のこと。このクスノキはそこに元々あったのか、それとも、そのときに植えられたものなのだろうか。

通りかかるとたいてい、お参りしている人がいる。

 前回書いたように、御朱印集めをはじめたので、ここでも御朱印をいただこうとしたのだが、真新しい社務所には人気がない。社殿の前にこれらが置かれているだけであった。

新旧のスタンプおよびシャチハタのスタンプ台。

 これも御朱印、ってことに、なるんだろうか……?といぶかしみながらも、パンダ御朱印帳に、新旧両方をペタンと、自分で捺しましたとサ!

 湯島に住むようになってから、湯島天神〜神田明神〜湯島聖堂〜ニコライ堂が、ほぼ同じ線上に並んでいるのが、なんだかずっと気にかかっているのだ(※2)。太田姫神社もその線上に位置していて、しかも、その線上を何度も移動している。ただ移動しているだけではなく、名前も時代によって変わっている……? 神社というと、長い歴史と伝統とともに、同じ場所にドーンと鎮座ましましているかのように思っていたのだけれど。そのラインについて、ひとつ引っかかってきているのは、江戸城の鬼門封じおよび結界というキーワードである。そういうオカルトっぽい話が元々、大好きなので。っていうか、「一口」と書いて「いもあらい」って……難読、いや、普通は読めないだろこれ(※3)。
 ということで、そのラインを意識しつつ、行きつ戻りつしつつ、御朱印を集めたりもしながら引き続き、ぶらぶらとレポしていきますよ。

★4月第3週のあかりちゃん


巫女さんに甘えて、しまいにはごろごろごろん!

(※1)歴史群像編集部編『東京ざっくり探訪: 江戸切絵図と今』学研パブリッシング、2012年
(※2)昨年の『Withenkare』4号に書いたエッセイ「わたしのおうちはどこですか」でも触れている。
なお、今月のはじめに刊行された『Withenkare』5号にもエッセイ「本を食べて人のいのちをつなぐ方法」を寄稿しています。
http://witchenkare.blogspot.jp/
(※3)横関英一『江戸の坂 東京の坂(全)』(ちくま学芸文庫、2010年)の中に、「いもあらい坂と疱瘡神」という章があり、淡路坂についても触れられている。疱瘡神は芋が大好き、とは……?

https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=znWZk_wCdeJc.k0znbXsQH6y0

-ヒビレポ 2014年4月29日号-

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