夕陽に赤い町中華 第6回

メニューの研究(2)

 
北尾トロ(編集長)

 
 
 
 
 

 飯もののマストアイテムはチャーハンと中華丼だ。中華丼は丼界のタンメンというか、町中華では数少ない、野菜が前面に出たメニュー。タンメンとの違いは、中華丼は味の良し悪しが出やすい点である。
 中華丼は飯の上に野菜のうま煮が乗っかったもので、調理法が複雑でもなく、具材も大体共通なのに、店によって味が違う。実力差が出る。中華丼がうまい店は他のメニューもはずれが少ない(麺類を除く)。そして、中華丼がまずい店は何を食っても不思議とまずい。その理由が長年分からなかったのだが、このたび真剣に考えてみたところ、以下の仮説にたどりついた。
 

 

 スピード不足、である。
 まずい中華丼を思い起こしてほしい。味付けは好みの差もあるので考慮しない。というか、味そのものがまずいと思うことはそんなにないのではないだろうか。中華丼のまずさ、その原因は野菜の水っぽさであるとか、片栗粉の混ざり具合であるとか、全体的な冷め冷め感がむしろ強いのではあるまいか。

 我々はここで、うま煮について考える必要がある。スープに溶いた片栗粉を投入することで生まれる程よい粘りと旨みの封じ込めが、うま煮の生命線になってくるが、食べる立場で欠かせないのが、おもむろに蓮華あるいはスプーンで膜状のうま煮をこじ開けて飯と絡める時点での猛烈な熱さである。片栗粉によって生じるであろう皮膜効果で、うま煮はおいそれとは熱が冷めず、熱々の状態でテーブルに運ばれてくる。我々は飯と融合させながら感覚的にうま煮部分の温度を確かめ、やけどしないよう用心しつつ食べ始めるのが習いだ。それでも熱い。うわ、熱いなあ。そうやって徐々に温度を下げながら序盤をしのぎ、適温になった中盤からかきこむ速度が上がっていく。小さな椀でついてくるスープ(具はネギのみ)で緩急をつけ、舌を休ませ、後半は急速に冷めていく中華丼をしっかりと味わう。だいたいこれが平均的な食べ方だと思われる。

 まずい中華丼は熱くない。最初から食べやすいと言えば聞こえがいいがそうじゃない。運ばれてきたときから湯気が立ってないのだ。皮膜にも緊張感がないねえ。もっさり分厚くなってて、表面温度が下がってる。しかも、こういう店はだいたい飯も冷めかけているために、下からの熱の突き上げもない。そのため皮膜内のうま煮も元気をなくし、ずさんな調理のため片栗粉が固まっている場合もあったりして、とろりとしたスープが固形状になりかかっているような、おそろしい状態で出てくるのである。
 これはおそらく、調理とセッティングのスピード不足によるものだと推測される。中華丼制作行程を分解すると[野菜を炒める][スープや片栗粉投入][飯を盛りつけて待機][できたうま煮を注いで完成]となり、うまい中華丼は全体が流れるような動きで構成されているはずだ。一連の作業に無駄がなく、皿に盛られた飯の待機時間が短い。つまり熱が冷める隙がない。が、手際の悪い店では隙が生じ、飯の温度が下がってしまう。

 さらに根本的な問題として、鍋の振りが不十分ではないのかという問題提起もしておきたい。野菜がどうも水っぽいときがあって(とくに白菜)、炒め始めの鍋振りがいまいちパワフルじゃないのだろうと思えてならないのである。中華は強火×短時間でぐわっと仕上げるのに、パワー不足だと水分が飛ばない。あるいは野菜に火が入りきらない。で、そのままスープが投入され、片栗粉も入って…。ここで一休みしちゃうのかな。なぜだか極限まで熱が高まらないまま、またはスピード不足で熱が下がってしまい、それが冷めた飯にかけられて運ばれてくるのかもしれない。
 片栗粉は置くとしても、鍋振り速度、盛りつけ速度はすべての料理に関わる大問題である。町中華の基本と言ってもいい。だから、中華丼が熱々じゃなく、味も良くないようなら、一品料理でもなんでも不安になるのだ。中華丼は町中華におけるリトマス紙。一見の店にふらりと入り、力量を知りたいときにはこのメニューを注文するのがいい。中華丼が3分で食べられるような店なら、鍋振り速度がモノを言うチャーハンが、パラパラご飯で最高!なんてことは期待薄だ。

*今回、中華丼の写真が用意できなかったので、かつて当たり前のように存在したよくわからない和洋折衷店を。喫茶店なのに中華も平然と扱う節操のなさだが、あなどれない実力を秘めているのだ。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年5月11日号-

Share on Facebook