明と暗の報告書 第6回

ソコカラナニガミエタ?

木村カナ(レポ編集スタッフ)

湯島〜御茶ノ水界隈をぶらぶらとレポする当連載。
第6回の今回は、聖橋とニコライ堂のことなど。

 御茶ノ水駅の東側、秋葉原寄りの、白っぽい方の橋が聖橋である。改札口の名前にもなっているこの橋が完成したのは、90年近くも前の1927(昭和2)年7月、湯島聖堂とニコライ堂、二つの聖堂を結んでいることから、聖橋と命名されたそうだ。
 武田百合子のエッセイ「あの頃」には、終戦後まもない昭和23(1948)年頃、聖橋の上から、再開された隅田川の花火を見た思い出が書かれている(※1)。ビルとビルの間に東京スカイツリーが見えるポイントがあるくらいだから、もしかしたら今でも、隅田川の花火が見える、かも? 去年は大雨が降ってきて中止になってしまった隅田川花火大会、今年の夏、雨が降らなかったら、聖橋の上から今も隅田川の花火が見えるかどうか、できれば確かめてみたい。

聖橋の上から見たニコライ堂。



“Nikoraidoumae”というローマ字表記はわかりにくい、
でも、”St.Nicolas Cathedral”という翻訳もしっくりこない。
2020年の東京オリンピックに向けて、ローマ字表記を英語に変更するらしい、
“Nikoraidoumae”の標識もそのうち改変される?

 「ニコライ堂」は通称で、正式には「東京復活大聖堂」という。ミハイル・シチュールポフの原設計、ジョサイア・コンドルの実施設計により、1884(明治17)年に起工、1891(明治24)年に完成。1909(明治42)年に新聞連載された夏目漱石『それから』には、主人公・代助が「ニコライの復活祭」を見に行った経験を友人・平岡に語るエピソードがある。「彼[代助]は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる」(※2)。その最初の建物は1923(大正12)年の関東大震災で破損、それを修復したのが、現在のニコライ堂で、外観・内装が創建当時とは異なっているという。その復興工事の開始が1927(昭和2)年9月、工事が終わったのが1929(昭和4)年だというから、聖橋が完成した当時、ニコライ堂は被災後そのままの、無残な状態だったはずだ。

 午後の時間帯には、正教の信者以外も聖堂に入って、内部を拝観することができる。清掃・維持管理費の300円を入り口で支払い、いただいた黄色いローソクを献火する。高い天井、壁や祭壇には多数のイコン、厳粛かつ壮麗な、そこだけが日本じゃなくて、なんだかもう、まるっきりヨーロッパ。
 (信者ではない拝観者は、手前の大きな柱よりも奥には立ち入れないことになっている。聖堂のいちばん奥、ドーム状の屋根の真下にあたる場所には、大きな祭壇が設けられている。ロシアのフェミニズム活動家グループ、プッシー・ライオットは、2012年、モスクワの救世主ハリストス大聖堂に突入、祭壇前でプーチン政権を批判するゲリラライブを敢行し、逮捕された。彼女たちのドキュメンタリー(※2)をテレビで見たけれど、プッシー・ライオットと同じぐらいに過激なパフォーマンスを日本でやるとしたら、ニコライ堂突入ではなくて、たとえば、本場所中の国技館でいきなり土俵に上がって歌い出す、とかになるんだろうなあ。)

 現在のニコライ堂は、高層ビルにすっかり取り囲まれてしまっていて、小さく埋没して見えるけれど、建造された明治の頃には、このあたりでいちばん高くて大きい建物であった。建築中のニコライ堂の様子、さらに、その屋上から撮影したパノラマ写真が伝わっている。わたしの手元にあるのは『写真で見る江戸東京』(※4)だが、「ニコライ堂 パノラマ」でインターネットを検索すると、同じパノラマ写真を動画やVRパノラマで閲覧することができるので、ぜひさがして見てみてほしい。実は、このパノラマ写真、撮影時期や撮影者がはっきりせず、諸説があったりもして、そうした謎も含めて、すごく面白い。周辺の風景はすっかり変わっているけど、あまりにも変わってしまっていてびっくりするけれど、その写真が撮影されたのと同じ場所に、およそ120年後の今でも、ニコライ堂はそびえ立っている。
 
 
 
★レポ編集部だより
猫モーがやってきた!

http://youtu.be/eVL6-YpGa7w

4/22火曜日、西荻の北尾トロ事務所に、投薬のために宿泊していた北尾家の愛猫・モー。
「レポTV」#148の本編冒頭のほんの一瞬しか写っていなかったので、あらためてモーの紹介と写真を。

北尾トロ『中央線で猫とぼく あの日、あのコと目があって』(メディアファクトリー、2008)の表紙の写真の猫がモーです。

わたしも会うのはこの日が2回目でした。
前に会ったのは、モーの足の骨折の快気祝いのときだったから、約7年ぶりの再会!



もう松本の北尾家に帰ってしまいましたが、この日は久々にモーに会えて、とってもうれしかったです。

(※1)『遊覧日記』収録。「聖橋の欄干のまん中へんについている飾りの凹みのところに脇腹を挟んで(冷たくていい気持ちなのだ)」という記述の「凹み」は、身長157cmのわたしの脇腹よりも、だいぶ下の位置にある。百合子さんは小柄だったんだなあ、と思った。
(※2)夏目漱石『それから』は青空文庫で無料で読めますよ。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card1746.html
(※3)BS世界のドキュメンタリー「モスクワ パンクバンドの反乱(原題:PUSSY RIOT A PUNK PRAYER)」 http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/140128.html
(※4)芳賀徹、岡部昌幸『写真で見る江戸東京』新潮社とんぼの本、1992年

https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=znWZk_wCdeJc.k0znbXsQH6y0

-ヒビレポ 2014年5月6日号-

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