買ったなら読め! 第6回

葬式やらない宣言2

 
海江田哲朗
(第12号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
 島田裕巳の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は、案外フェアな立ち位置で葬式のあり方を伝える本だった。

 まず、日本の葬儀費用は平均231万円で、アメリカ44万円、イギリス12万円、韓国37万円など諸外国に比べて段違いに高いこと。僕が感覚的にとても苦手な戒名ランクや檀家制度の解説。社会が時代とともに変化し、家の葬式から個人の葬式へと移り変わっていること。簡略化の流れが、葬式だけではないこと。だが、葬式を頭ごなしに否定するものではない。

〈人類が大昔から葬式を営んできたのも、そこに一定の役割があったからである。人は、誰かかかわりのあった人が亡くなれば、それを弔いたい。少なくともその死を確認して、けじめをつけたい。葬式への参列ほど明確なけじめの機会はない〉

 このように葬式の意義を認め、そのうえで家族葬や通夜と葬儀・告別式をセットにしたワンデーセレモニーなど、最近増えてきたスタイルを紹介している。各々、自分が納得し、残された家族の負担が少ない形式のほうがよろしいのでは、というやんわりした提案だ。


 
 僕の希望に近いのは、直葬ってやつだな。直葬とは、亡くなったあといったん自宅に遺体を安置。近親者だけで通夜を行い、遺体を直接火葬場に運び、荼毘に付すやり方だ。通夜の過程を省いても構わないが、火葬には死後24時間経過が必要なため(死亡診断をミスってたら大変だから)、どこかでワンクッション置かなければならない。あとは精神的に参っているとき、葬儀屋に丸めこまれないように、きつく念押ししておくだけである。

 いろいろ面白いことを考えているのに、死んだら全部吹っ飛んじゃうのが残念だ。意識だけはどうにかならないかと思うが、どうにかなったところでそれがなにって気もする。

『葬式は、要らない』へのアンサーブックである。一条真也の『葬式は必要!』(双葉新書)。この際だから、真っ向から主張がぶつかる本書も買い求めた。著者のプロフィールを見たら、大手冠婚葬祭互助会の社長でやんの。そのへんのスタンスを明確しているのが、いっそすがすがしいよ。

 前半こそ、葬式イイ話を挟みつつ、ソフトに進行していたが、後半に入ると急激にギアチェンジ。この切り替えが見事だった。〈葬式は贅沢で構わない〉〈戒名には残された者の愛があふれている〉と持論を展開。映画『おくりびと』をはじめ、使えるものは全部ダシに使って、葬式の必要性をゴリゴリ説く。『葬式は、要らない』にも触れ、ロマンだかなんだかよくわからないことを書いていた。で、あとがきには〈葬式やめますか? 人類やめますか?〉ときたもんだ。呆れるのを通り越して、笑っちゃったね。

 僕は30歳のときに、親しい友人を喪っている。セガッチョといって、高校時代からの付き合いだった。ともに上京し、彼の上石神井のアパートに泊まりに行ったり、交流が続いていた。ある日、ケータイに電話したら彼のお母さんが出て、何がなんだかわからなかった。あれ、なんで福岡におるはずのお母さんが出るっちゃろかと。亡くなったのはその前日。原因はぜんそくの発作と聞いた。

 そういや、あんとき葬式なかったんだよね。僕らは上石神井の小さな斎場ですでにお骨になっていたセガッチョと対面し、アパートまで泣きながら鼻水をだらだら垂らして歩き、形見分けをさせてもらい、とぼとぼ帰った。僕の手には、犬のフンみたいなどうでもいいキーホルダーが握られていた。葬式をしなかったのは、ご両親の考えらしいと、あとでうっすらわかった。

 葬式やってくれりゃよかったのに、とは一切考えなかった。ほかの連中はどうだかわからないが、僕は、彼のいなくなった世界にだんだん慣れていくしかないんだなぁとぼんやり思った。で、その通り、10年以上の歳月を経て、慣れてきたのだ。

 たぶん、葬式なんかで無理やり区切りをつけられてもいやなんだ。だいたい、けじめってなんだよ。自分なりに慣れていくペースってもんがある。僕の「葬式やらない宣言」、ついでに「人の葬式もこれからどうしよっかな問題」はそんなところにも理由があるのかもしれない。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年5月9日号-

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