ぜんざのはなし The final 第6回


三方一両損

 
島田十万
(第14号で「カジノディーラー『K』の日常」を執筆)
 
 
 4月の「談笑の弟子!!」@高円寺は笑笑さんで幕を開けました。
 せっかく暮れにテレビをぶっ壊したというのに今度はゲームにはまっていたとか、ゲームが止められないとか。
 こんなマクラで客席はガンガン沸きましたが、笑笑さん、大丈夫かぁ?
 そのあとに高座に上がった吉笑さんは「偽目撃者」。まったくこの人は、人とおなじ言葉を使いながら、なんでこんなにものを見るアングルが違うのか?いつもの吉笑ワールド全開でした。

 そして笑二さん。
 昇進のことを知っている客も多いですから、会場には終始あたたかい空気が流れています。
 学校寄席に行ってきた話とあわせて、小ヒットをかさねる感じで話を進めてゆくと会場全体がゆるくほぐれてくるのが分かります。そして財布おき忘れ事件。
 結局はトイレに財布をおき忘れた、というだけの話なのですが、それが可笑しい。
 

 

「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりではらわたはなし」という川柳から本編に入りました。
 口では荒っぽいことばかり言うけれども腹の中にはなにもなく、さっぱりとしているという江戸っ子の気性を言ったことばです。
 このほか「見栄っ張り」「短気」「涙もろい」「粋、いなせ」「単純」「あけすけ」などが江戸っ子の特徴でしょうか。落語は基本的にすべて江戸っ子、江戸の噺なのですね。
 もうひとつ、「宵越しの金はもたない」っていうのもあります。ケチは笑われるしカネに汚いのは嫌われる。

 そして本編に入った瞬間、マクラからの流れが自然で違和感がないからでしょうか、会場の全員が同時にスッと前にのりだすような恰好になりました。
 とくにこの日は「談笑の弟子!!」始まって以来の大入り。50人は超えていた客席がひとつになったのです。

 財布をひろった左官屋の金太郎が、入っていた書き付けを見て大工の熊五郎に届けます。
 拾った三両をネコババしちゃおうなんて気はさらさらない。正直な江戸っ子。
 ところが、熊五郎は書き付けと印形は受け取るが、カネはいらないと言う。手前の不注意で落としたカネだから受けとれねえ。潔癖な江戸っ子。
 その上双方が喧嘩っ早い。これも短気な江戸っ子。
 大家さんまで巻きこんで裁判沙汰になってしまい、それを大岡越前が上手にさばく。
「三方一両損」という噺です。
 なんで三方が一両損するのか?は聴いてのお楽しみですが、後味のいい噺。

 ボクの左前の女性はマクラからゲラゲラ声を出して笑っています。右手前方のオジさんは笑い声をこらえるように真っ赤になって膝たたいています。
 一蓮托生、会場全体が同じ舟に乗り合わせたような一体感に包まれました。
 演者がちょっと客をくすぐって船をゆらす、客もそれを感じとって反応する。演者がもう少し大きくゆらす、客が笑いで押し返す。ゆれは、どんどん大きくなる。それを演者は見逃さないでドンと一発ギャグをかます。
 舟はゆれにゆれて大ゆれになる。
 客と演者が交互に櫓をこぐみたいになってきた。
 もうこうなってしまえば、少しの風でも、なにをやってもウケる。大ゆれにゆれ続ける。

 腹を抱えて笑っていると、自分の日ごろの暮らしをふりかえって、もういいかなと思えたりする。勘弁してやるかな、なんて思う。日常の細々考えているものなんかなんてこともない。下らない。どうでもいいよ、今日までのことは水に流してやろうかというような気持ちになってくる。
 体がフワフワと楽になっていくような気がする。
 映画を観て感動するのとはちょっと違うんですね。
 ボクは映画が好きでわりとまめに劇場にいきます。大きいスクリーンを観ながら暗闇でウオンウオン泣いたりすると元を取った気になる。
 なんだオレが悪かったよ。甘えているんだ。子供ってことだな。なんて気がつくと反省している。
 いつのまにか暗いモヤモヤが解消されてシャキッとする。映画はどこかで泣きを期待するところがありますね。
 考えてみれば映画は、情報を一方的に受けとるのみでこちらの反応は一切関係ない。客が一人だろうが100人だろうが、ウケようがウケまいが、ぜんぜん関係ない。

 落語はそこがちがう。客の反応が演者にも影響をあたえます。実際には演者の思うままかも知れないけれども、自分も参加しているような気分にしてくれる。一緒にその場をつくったような気になれる。ここが落語の醍醐味のひとつじゃないでしょうか?

 もしかして笑二さん、この噺をやりたくてわざと駅に財布を忘れてきたんじゃないか?と思うほど客席はゆれました。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年5月12日号-

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