ぜんざのはなし The final 第8回


師匠と弟子

 
島田十万
(第14号で「カジノディーラー『K』の日常」を執筆)
 
 
「吉原に……」
 昇進の会のためにいくらぐらいかかるのか?という質問に、笑二さんは静かに言いました。
「吉原に、毎日行っても一ヶ月は通えるくらいですかねぇ」 
 着物は上等なのとそうでないので値段もピンキリでしょうが、吉原だってピンキリでしょうから結局いくらだか分かりません(笑)。
 先に、着物は師匠にもらったと書きましたが、師匠のお古、お下がりではありません。
 入門前には、見習いとして研修期間があります。落語家だからといって毎日面白おかしく暮らしているばかりではない。辛いことも厳しいこともあるわけで、それを一通りよく観察して、それでも落語家を目指すのかどうか考えろ、という期間です。
「その一ヶ月間は楽屋で見ているだけなのです。辛い時だったかもしれませんね。何もしてはいけないんです。身内ではないので、楽屋にいても見ているだけ。当然ですけど何があっても手を出すわけにはいかない。じっと前座さんの働きとか師匠方の姿を見ていました」

 
 その一ヶ月がなんとか過ぎたある日、
「着物持っているの?」師匠に聞かれました。
「持っていません」と答えると、浅草の着物屋に連れていかれました。
「もし落語家を辞めるようなことがあれば返してくれ」と言って師匠が支払いをしてくれたのがあの萌葱色の着物なのでした。

 着物を買ってもらったその足で、初めて師匠の家に伺い「道灌」の稽古をつけていただきました。
「道灌」は古典落語の中でも登場人物が少なく、短い噺なので前座噺の代表とされているうちのひとつ。立川流では前座が必ず最初に教わる演目です。
 演芸の世界で師匠と弟子というのは独特の関係があります。学生時代の教師と生徒というのとはぜんぜん違う、もっと絶対的な関係なんです。
 師匠は、師匠の一存でいつでも弟子を破門することができます。
 授業料を払って、勉強を教わる学生時代の先生と生徒とかいう関係とはまったく違います。職人の親方とアシスタントというのも違う。アシスタントならば親方の仕事を手伝うことが可能だろうし、いくらか親方の収入に貢献できるかもしれない。
 それが落語家の師匠は弟子から得るものは何もないのです。噺を教え、しきたりを教え、仕事を与え、小遣いを与え、見返りといえば着替えを手伝ってもらうくらい。一方的な関係なんですね。
 だから、師匠は弟子に対して何の責任も持たない。
 弟子が一人前になれば自分のお客を持っていく可能性まである。自分で自分のライバルを育てるようなものという人もいます。
 ただし、だからこそ弟子は絶対的な信頼を持つことができるんでしょう。
 以前ラジオで志らくさんが家元談志のこんな言葉を紹介していました。
「努力なんてのはバカと才能のない奴に与えられた最後の希望だ。芸能は才能が八割、才能があるやつがどれだけ努力できるかが勝負で才能のないやつがいくらやってもムダなだけ」
 二つ目に上がったとしても師匠から才能がないと判断されれば、破門されることもありうる。どちらかといえば、二つ目に上がってからのほうが厳しくなるらしい。
 どこまで行っても厳しい世界なのです。

 最初の稽古をつけてもらってから2週間ほどして、必死で覚えた「道灌」を師匠の前で披露することになりました。
「いま思いだしても汗が出るほど緊張し、震えましたね。ようやく、なんとか話し終えると、師匠はメモを見ながらアクセントやイントネーションに訛りのある30箇所ほどを指摘してくれました」
 あれから3年。笑二さんはなんとか第一段階をクリアして昇進となりそうです。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年5月26日号-

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