買ったなら読め! 第11回

自分の知らない東京

 
海江田哲朗
(第12号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
 僕は東京がよくわからない。

 九州は福岡で生を受け、幼い頃は父の転勤により、神奈川の川崎、千葉の柏と移り住み、10歳のとき福岡に戻った。18歳、僕の大学進学と父の転勤が重なり、家族一緒に上京。埼玉の浦和でしばらく暮らした。奇遇にも、すべてJリーグのある街である。20歳を過ぎた頃、父と母は仙台へ赴くことになり、弟とふたりで千葉の市川で生活した。26歳で結婚してからは江戸川区の葛西、立川と巣を移し現在に至る。

 つまり、大都会東京の周縁で生活し、出たり入ったりしている人間だ。それなりに年月をかけて都内を歩き回ったので、生活に不便はなくなった。電車の複雑な路線図はおおよそ頭に入っているし、あそこに行けば何ができるかを知っている。だが、下町と山の手の風土の違いなど、漠然とわかったような気になっているだけで、本当のところはわからないのだ。感覚的に距離を感じる。やはり、どこまでいっても自分は九州の人間なんだなぁ。それは別に恥じているわけではない。東京生まれ東京育ちの知り合いと接していると、年月では埋められない「違い」があるのを感じるだけだ。

 その点、大学時代の後半から、友人のツテに恵まれて出版社のマガジンハウスでバイトできたのは有意義な経験だった。所在地は東京のど真ん中、銀座である。雑誌『ダカーポ』(2007年に廃刊)の編集部に配属され、原稿やイラストの受け取りであちこちに走らされた。都電にも初めて乗った。主たる仕事は、おつかいである。預かり物の扱いにさえ気をつければ、いろんな場所に行ける楽しいバイトだった。社員食堂で昼と夜の食費を浮かせられるメリットもあった。


 
 そこに、日本一時給の高い男と呼ばれるFさんという編集者がいた。夕方4時くらいにぶらっと来て、7時頃には飲みに行ってしまう。で、そのあとは麻雀というのがお決まりのコースだった。僕は出版業界にもぐり込みたい色気だけは人一倍あって、出来の良いバイトではなかったが、一部の編集者や先輩ライターが気にかけてくれた。

 ある日、Fさんがにやにやしながら僕に話しかけてきた。「歌舞伎町に行くぞ。付き合えよ」。それで銀座からタクシーに乗り、新宿へ。車内でFさんはこんなことを言った。

「新大久保のたちんぼ(街頭に立つ娼婦)を買いに行ってこい。おまえさん、ライターやりたいとかぬかしているらしいな。それくらいできなくてどうすんだ」

 話のつながりはまったく理解できなかったが、そういうものかと思った。バカであり、ピュアなのである。なんにもできないので、せめて度胸のあるところくらいは見せなければと平静を装った。その手の遊びはしたことがなく、内心はびくびくしていた。

 歌舞伎町の会員制高級バーに入り、ママさんを交えてしばらく世間話をしたあと、3万円を渡された。新大久保のホテル街を歩けば、なんぼでも声をかけられるという。では、行って参りますと店を出た。とぼとぼ歩き始めると、後ろからママさんが追いかけてきた。

「無理しなくていいから。ぶらっと一周して、お茶でも飲んで帰ってらっしゃい。病気をもらったら大変だし、トラブルもよくあるの。あのへんの人を甘く見たらダメよ」

 僕が粋がっていたのは、すっかりお見通しだったんだ。この日会ったばかりの若造がどうなろうと知ったこっちゃないはずなのに、わざわざ忠告しに来てくれた。店のカウンターで止めなかったのは、こちらへの配慮なのだろう。やさしさが身に沁みた。

 ママさんにお礼を言い、とりあえず行ってきますと別れた。こうなったら出たとこ勝負だ。十分に注意して、無理だと思ったら引く。どんな形であれ、3万円は使っちゃおうと思った。ところが、である。ホテル街を歩けど歩けど、それっぽい女性がひとりもいない。けばけばしいネオンの光と路地の暗さ、肩を寄せ合って歩く男女。それに眼つきの危ないチンピラとすれ違うだけである。わずか30分後、僕はバーに舞い戻っていた。

 見てきたものをそのまま話すと、「ンなわけあるかい」とFさん。「おめーは手のかかる奴だな。来い」と一緒に店を出た。再び新大久保をぐるぐる歩き回り、「あれれ、ほんとにいねえな」である。のちに判明したのだが、その日は幸か不幸か、警察の手入れのあるタイミングだったらしい。僕は、ツイてないなぁと口では言いつつ、ほっと胸をなで下ろした。

 いま思えば、自分の深いところで東京を感じたのはあれが初めてである。新大久保界隈の怪しげな雰囲気。得体の知れない闇の深さ。そこで生きる人々の影。奥には、なめてかかる人間を造作もなくひねる世界があり、それもまさしく東京の一部だということ。こっち側とあっち側の境界線ははっきり引かれているように見え、じつはあやふやに溶け合っていること。生々しい感覚は、いつまでも僕のなかに残っている。

 今回は前置きが長すぎた。僕が東京を知りたい、知らなければならないと考えだしたのは、Jリーグの東京ヴェルディというチームを継続的に取材するようになってからである。サッカークラブは地域と結びつき、人々の手によって育てられるものだ。現状、東京ヴェルディは地域との関係性に弱点を抱えるクラブだが、それでも東京の古層と無関係ではないだろう。
 

 
 川本三郎の『東京残影』(河出書房新社)。著者は映画評論、文芸評論の手だれと知られ、都市にまつわる多数の著作もある。元新聞記者で、妻夫木聡と松山ケンイチの主演で映画化された『マイ・バック・ページ』の原作者と紹介したほうが、通りはいいかもしれない。恥ずかしながら著者の本を手にするのは初めて。優れた書き手としてお名前は存じ上げていたし、その仕事ぶりが称賛されるのは何度も目にした覚えがある。それで、東京を知るうえでちょうどいいやとずいぶん前に買ったのだった。ぱらぱらっとページをめくり、文章の高級感に気圧されたか、自分にはまだ早いと差し控えていたように思う。

 読み始めて、すぐに後悔した。なんで僕はもっと早く、その気にならなかったのか。ここには自分の知らない東京がたくさんある。ひたすら文字を眼で追い、流れに身を委ねる読書の快感が静かにやってきた。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年6月13日号-

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