夕陽に赤い町中華 第11回

半チャンラーメン御三家(1)

 
北尾トロ(編集長)

 
 
 
 
 
 町中華の人気者に、半チャンラーメンがある。ラーメンとチャーハン小がセットになった炭水化物波状攻撃メニューだ。この元祖がどこなのかは諸説あるところだが、有力視されているのが神保町の「サブちゃん」である。もともとあったラーメンとチャーハンを組み合わせただけなんだから、元祖と胸を張られても困るわけだが、現在の隆盛を考えれば、セットにしてメニュー化した功績は認めざるを得ないだろう。

「キミは行ったことないでしょう。『サブちゃん』は店主が高齢で、いつ店を閉めてもおかしくない」

 下関マグロに急きたてられるように神保町に向かった。ついでに神保町の半チャンラーメン御三家を案内してくれるという。なんじゃその御三家。そんなにうまいのか?

「半チャンラーメンが看板メニューになっている老舗の中華屋で、それぞれ人気があるんだよ。まずここ。『成光』(なりみつ)。ここは昔きたことあるでしょう」
 


 
 もちろんだ。20代半ば、ぼくはこの近く(専大交差点)の編集プロダクションでアルバイトしたことがあるのだ。下関マグロともそこで出会った。かれこれ30年前の話になる。編集なんかやったこともなく、当時はさほど興味もなかった若造にとって、楽しみといえば飯だった。その編プロでは、そばなら増田屋(まだあるみたいだ)、中華は銀龍(もうないみたいだ)と出前先が決まっていた。時間がないときは仕方がなかったが、気分転換を兼ねて外で食べることが多かった。で、編プロから最も近い町中華が「成光」だったのだ。その後改装したようだが、当時は古ぼけてパッとしない中華屋だったと思う。何を食べたか記憶にないし、店内の様子も思い出せないので、数えるほどしか入ったことがないかもしれない。食に関しては恐ろしく記憶力のいいマグロ氏も覚えていないらしい。
 可もなく不可もない普通の町中華。こういう店がその頃の神保町界隈にはちょくちょくあった。それがひとつ、またひとつと姿を消すうち、普通の中華屋だった「成光」に風格と存在感が出てきた。そしていま、昔を知らない世代が老舗中華屋として評価する。この日も混んでいた。継続は力なのだ。

 さらに古いのが「伊峡」である。神保町の先で靖国通りをちょっと曲がった路地に、昭和のたたずまいを残した店舗がある。ここを見て、半チャンラーメン御三家とは、長年商売してきて、半チャンラーメンが有名な店のことなんだなと察しがついた。「成光」や「伊峡」にはカレーやオムライスはない。定食もそんなに力が入っておらず、ぼくの考える町中華とは少しずれている。言い方を変えると、半チャンラーメンがなかったら魅力が半減する店と言ってもいいだろう。昭和の時代からよくがんばっているという評価がそれに加わる。

 ぼくらの世代にとってなんてことのないメニューである半チャンラーメンは、昭和の後期を代表する町中華メニューと捉えられている節があるね。ぼくらはラーメンライスに郷愁を感じるが、下の世代は半チャンラーメンがそれに当たるのかもしれない。
 がんばってる感を高める要素に、神保町の食事情がある。ここはカレーの町とも言われているけど、中華目線で見ると、都内屈指の本格中国料理店エリアなのだ。新世界菜飯、三幸苑、漢陽楼などなど、目立つところにいくつもある。路地に入れば入ったで、敷居の低い中国料理店というんでしょうか、そういうのがあって、高級店に二の足を踏む客を呼び込んでいる。他の町で町中華がやってることを中国料理店がやってる。味は本格、値段は庶民的。定食なんかもある。つまり日本の町中華が定着しにくい町なのである。
 そこで互角以上に戦うためには、ラーメン専門店になるか、つけ麺などの和風中華で行くかが手っ取り早い。実際、そういう店が多い。そういうキビシイ環境の中、半チャンラーメンという武器を駆使して生き残ってきたのが「成光」や「伊峡」、そしてこれから行く「サブちゃん」。昭和の味でサバイバルしてきたことで、御三家とリスペクトされているのではないだろうか。

「じゃあ『伊峡』で食べてみるかね。『成光』でもいいよ」

 ん? マグロの誘い方が歯切れ悪い。『サブちゃん』は見ておくべきだと言いながら、他の店をすすめるのはどういうことなんだ。逆に『サブちゃん』で食べたくなってきた。

(つづく)
 
 
 
-ヒビレポ 2014年6月15日号-

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