夕陽に赤い町中華 第12回

半チャンラーメン御三家(2)

 
北尾トロ(編集長)

 
 
 
 
『サブちゃん』前には行列が3人。カウンターのみ〜7席の小さな店とはいえ、並んでまで食べようとする人がいる。同行の下関マグロ氏によれば、昔から行列店だったそうだ。入店し、半チャンラーメンを頼んだ。
 推定70代後半か80代。高齢のサブちゃんはもう鍋を振らず、湯切りもしない。ほぼ喋ることもない。時間の感覚がゆっくりになっているのか、麺は明らかにゆで過ぎである。チャーハンはうまく混ざっておらず、ところどころ白い。味の評価をあえてするなら「・・・」ということになるかなあ。
 しかし、そういううるさい客はここにはいない。皆、無事に料理が完成すればそれでいいのだ。味はともかく総合評価で別格の地位にいる貴重な店なのだ。食べにくるというより動くサブちゃんを確認しに来る。ああサブちゃんがんばってる、おれもがんばろう。そう思って金を払う。神田神保町で少なくとも30年以上店を張り、皆に愛され、それでもなお厨房に立ち続けることの凄みに感銘を受けるのは男だけだ。ま、そのような感慨を抱くのは男に限られるのか、女性客はひとりもいない。分厚すぎるチャーシューを残してしまったぼくも、しびれるような思いで席を立った。『サブちゃん』体験、しといてよかった。
 

撮影/下関マグロ


 
『サブちゃん』だけでなく、町中華全般に高齢化の波は押し寄せている。そば屋はそれなりにやっていけても、町中華は苦しい。理由の一つは少子化だと考えられる。町中華を支えてきた主力メンバーは、元気な胃袋を持つ男どもだが、中高年にさしかかると町中華の強い味がキツくなってくるのである。好きだから完全には離れないとしても、来店ペースが落ちる。かといって若い男は少ないから客数の維持が困難になる。我が子に継がせるのは無理だろう、自分の代で店の歴史を終わらせよう。未来像が描けなければそういう発想にもなろうというものだ。

 戦後70年、焼け跡世代が作り上げた町中華第一次全盛時代を昭和30年代としてみよう。店で修業した衆が独立開店し、数を増やす昭和40年代は焼け跡息子世代も後を継ぎ、第二次黄金期を迎える。独立組、息子世代は団塊世代あたりか。で、親になったのがその前後とすれば、子どもたちが成人するのは平成に入るあたりと考えられる。
 当時は景気が良かった。商売は大変だし、まして町中華は小さな飽きない。それよりは一般企業に就職する人が多かったことだろう。こういう店の店主は、60代半ば〜70歳前後に達している。平成に入ってから町中華が盛り上がったことはなく、たいていは夫婦とか少人数で店を切り盛りしている。職人は育たない。
 一部、後を継いだ子どもたちが、いま40代半ば。踏ん張りどころを迎えている。ラーメン屋とかつけ麺屋に転身したところもあると思え、純粋町中華の灯は、年々か細くなっていくばかりだ。鍋を弱火にかけたままにして、注文が入ると中心部にたれを注いでかき混ぜて出す『サブちゃん』流チャーハンを見てそんなことを思った。ちなみに、このチャーハンはファンたちの間でリスペクトの気持ちを込めて”まだらチャーハン”と呼ばれている。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年6月22日号-

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