わたしの日本ぽつぽつ北上記 第2回

yoshika

大牟田市[その1] 祖母と父、そしてお墓

 

佐藤温夏
(第16号で「どうしても柔道には惹かれてしまう」を執筆)
 
 
 
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 父方の祖母が94歳で死んだ。持病のぜんそくをこじらせて10年近く入院生活を送り、最期は眠ったまますっと息を引き取った。ちょうど私がお盆休みで札幌の実家に帰省しているときのことだった。
 祖母は九州は大牟田の出身で、幼いころ、炭鉱技師だった父(私の曾祖父)の転勤で北海道の内陸のまち、上砂川町へやって来た。その後、一家は札幌へ移り住み、祖母は女学校を出たのちに中学教師だった祖父と結婚。この2人の間に生まれたのが、私の父である。
 祖母はうつくしいものが好きで、私にとっては、風雅な着物をさらりと着こなすおしゃれなおばあちゃんだった。短歌を詠むのが趣味で、私家版の小さな歌集をまとめたりする、ハイカラなところのあるひとでもあった。時折、こちらがびっくりするくらいの気の強さを見せることがあったが、「そういうところ、よしか(私のこと)はそっくり」と父にも母にもよく言われたりした。


 
 そんな祖母が寝たきりになったころから父は、大牟田へ行かないといけないなぁ、とたびたび口にするようになった。祖母の名代として親類縁者にあいさつに行きたいということらしい。日ごろ、親戚づきあいに関して、お世辞にも熱心とはいえない父の口からそんな発言が出て少し驚いた。
 行ってきたら? 父が言うたび私はすすめた。しかし、あまのじゃくな父である。ことはすんなり運ばない。うーん、と言ったきり、いろよい返事が返ってくることはなかった。なんなら私、一緒に行こうか? とスペシャル帯同プランを提案しても、やはり、話は前に進まなかった。

 札幌からは遠すぎるのだろうか。しかし、そういう理由(または言い訳)は成立しなかった。なぜなら父は九州へは、仲間とともにゴルフ旅行に出かけたりしていたからだ。会社員時代はあちこち出張で動いていた人だから、移動に慣れていないというわけでもない。それに、ゴルフに行くならその帰りに一人寄ってくることだってできたはず。なのに、実行に移していないということは、それほど切迫感を覚えていないのだろうし、なんだかんだで億劫なのだろうとも思った。たとえば父に気の強い姉がいたりなんかしたら、ほら○○、なにぐずぐずしてるの、さっさと行くわよ、なんて引っ張り出してくれるかもしれない。けれど、父はひとりっ子。そうしたお膳立てベースの展開は望むべくもなかった。ということで、気の強い娘であるところの私がその役を買ってでるしかないと、長女の責任感をも稼働させ、その後も何度かそれとなく誘ってはみた。しかし、返ってくるのはやはり、うーん、という返事とも言えない返事だけだった。

 そうして月日は流れ、結局、父が大牟田を訪れることのないまま、祖母はこの世を去った。葬式を出し、四十九日を済ませ、やるべきことが一段落してしばらくしたころ、思いついて父に尋ねた。ねぇ、大牟田とは連絡取れた? 行かなくていいの? すると父はぽつりとこぼした。おばあちゃんをさ、大牟田の墓に入れてやりたいんだよなぁ。
 
 ぬぬ? お墓とはこれまた新しいテーマである。それって分骨ってこと? 大牟田にお墓なんてあるの? 半ば驚きながら聞き返すと父は言った。そりゃお墓はあるさ。おばあちゃんの両親も入ってる。でも、今はどうなってるのか、全然わからないんだよね。
 
 なるほど。これで事態はだいたい飲み込めた。どうやら大牟田に関する情報はまったくアップデートされていないようだ。分骨といっても、それ以前に親戚筋とはいっさい連絡が取れていない。
 父によると、大牟田の親戚で名前と住所がはっきりとわかっているのは、祖母が元気なころ、年賀状のやりとりをしていた母方筋の女性、一人だけということだった。祖母の死去を知らせるため、父はその親戚に手紙を送ったものの、4カ月経っても返事がなく、電話もしてみたがつながらないという。祖母は4人きょうだいの3番目で、上の2人は札幌ですでに死に、下の弟は東京にいるが、こちらも高齢でほとんど連絡は取っていない。大牟田の親戚がいまどうしているかという基本情報から、お墓がどこにあって、だれが守っているのかといったことについて、手がかりは得られていないということだった。

 これはもう、直接行って確認するしか方法はないのではないか。行ってみようよ。私は父に提案した。ところが、やはりというか何というか、父はまたも同意しなかった。そして、ぼそっとひと言、こう言った。なんかさ、あんまり行きたくないんだよね。
 ちょっとちょっと。たった今、分骨したいって言ったじゃん。行かないとお墓に入れることなんてできないよ。そもそも前から行かなきゃいけないって言ってたよねぇーーそう口の先まで出かかった。だが、さすがにちょっとばつの悪そうな表情を浮かべた父をみて、おなかのなかに引っこめた。

 おそらく父は激しく逡巡しているのだろう。分骨というアイデアは浮かんだものの、これは祖母本人の遺言でもなければ、ましてや先に死んでいる祖父(父の父)の了解を得てもいない。こんなに大事なことを、子の一存で決めていいものなのか。だいたい遺言でもないのだし、本人はそんなことよろこばないかもしれないのだ。ひとりっ子の父は、そんなこんなをひとりで考え、決断をくださなければならない。そう考えると、大牟田行きをせっつくのはどうにも無粋に感じられて、この話はそれきりになった。
 
 このお墓話をしたのは、祖母の逝去から4カ月後、年末年始に帰省したときのことだ。そこからさらに3カ月たち、季節がひとつ巡るころ、毎年恒例の福岡出張に出ることになった私ははたと思いついた。そうだ、仕事が終わったら大牟田に足をのばしてみよう。何もお父さんと一緒じゃなくていい。とりあえず私が行ってみればいいんだ。

 (次回につづきます)

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-ヒビレポ 2014年7月11日号-

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