こしょこしょ話 第3回

sumimoto

母娘のパンツ

 
住本麻子
(第16号で「東京駅でプチ帰省」を執筆)

 
 
 
女性が性について語ることに対してハードルが下がってきた今、言いたいことがある。いや、むしろ聞いてみたい。それはパンツのことだ。

どんな人にも、多かれ少なかれ下着の好みやこだわりはあると思う。女性ならばセットでなければだめとか、レースは少なめがいいとか、ティーバックしか履かないとか(私のことではない)。男性ならばブリーフかトランクスか、等々。

しかし私が聞きたいのは、そういうことじゃない。私が聞いたいのは、ずばり、誰かとパンツを貸し借りできるか? ということなのである。

兄弟姉妹であれば、洋服の貸し借りは日常的なのかもしれない。親戚同士でもお下がりをあげたりもらったりすることもある。
また昔テレビで兄弟の多かったという貧乏アイドルが
「小さい頃はパンツの争奪戦で、ノーパンで学校に行くこともあった」
と話すのを聞いたことがある。

しかし成人してから他人のパンツを履いたことがあるだろうか?
というのも、私は最近母親からパンツをゆずり受けたのだ。新品ではなく、何度か履いたあとの使用済みのやつを、だ。しかも生理用パンツ。

 

元々帰省中に生理が来たりするとやむを得ず借りることがあった。ノーマルパンツで我慢してもよいのだが、生理用パンツはやっぱり安心感が違う。
「ないの? じゃお母さんの履けば?」
と母に言われてためらったのも最初だけ。無精な私は、帰省の折に「念のため」の生理用パンツを入れておくことをしなくなった。実家に帰るたびに、私は母のパンツを履いた。

そんなある日のこと、いつものように「貸して」というと、「あげるよ」と言われた。
正直いらない。けどいらないよ、と散々借りといていうのも何だか失礼な気がする。
「え、なんで? いいよ…」と断ろうとすると、
「もういらないから」という。

これは少なからずショックだった。
まず母親が閉経したというショック。もう妊娠することはないだろう……とわかっていても、母親が女として終わってしまったような気がする。他人から見ればとっくにおばちゃんでも、私にとっては今でも憧れの、おしゃれで素敵なオトナの女性だったのだ。
それから生理痛等の煩わしさから解放されたという羨ましさ。そうか、忘れてたけど生理っていつか終わるんだ。生理の度に女に生まれたことを恨めしく思っていたけれど、永遠に続くわけじゃないのだ。

そんなことをぼんやり考えているうちに「遠慮しなさんな」という母に押し切られ「それじゃおひとつ…」とかなんとか言ってもらってしまった。おへそまで布がたっぷりある、安心型のやつだ。すごいダサいやつだ。やっぱりこれはいらん。

こんなダサいパンツ履けるか…と思ったものの、あると履いてしまうのが人間だ。洗濯機を回し忘れたとき、一度助けられてしまうとバンバン履いてしまう。抵抗もなくなる。重宝する。内側からおばさんになっていく。しかし自分から言わなければ人に知られるものでもないので、改める気もしない。

そんなある日、私は友人と「親とは仲がいいか」という話をしていた。
「いやーもう私はすごい仲いいよ。お母さんとパンツ共有できるくらいだよ」
と言ったところ、相手の顔が凍りついた。もうそれこそ、きったねーパンツを見る目で。そして「え……」とだけ言った。私は「あははやばいよねあはは!」と言って急いで話を変えた。勝負に勝って女として負けた。パンツはそれ以来も変わらず履いている。

これはファーストインパクトに過ぎない。少し古い本だが、上野千鶴子(社会学者)の著書に『スカートの下の劇場』という、パンツと人間について深い調査と洞察を持って論じている本がある。パンツの奥深さ、そして人間の性の奥深さについてわかる本だ。そこでは洋服を交換する姉妹について述べているのだが、ここでも私は傷づいた。こんなにパンツに造詣の深い上野先生ですら、パンツを共有する姉妹には出会っていないというのである。
 
photo1-
 
「いままでのところ、聴き取りをした範囲では、パンティまで共有しているという人はいない」!!!

だから私は聞きたいのだ。
あなたは他人のパンツを履けますか? 誰のパンツを履いていますか?
すごく気になるので、もしそういう人がいたら一報ください。ツイッター(@ask_smmt)のDMとかで。

上野先生の後続研究として、他人のパンツを履くってはどういうことなのか、いつかレポしますんで。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年7月17日号-

Share on Facebook