わたしの日本ぽつぽつ北上記 第4回

yoshika

大牟田市(福岡県)[その3] ファンタジーのゆくえ

 

佐藤温夏
(第16号で「どうしても柔道には惹かれてしまう」を執筆)
 
 
 
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 カーナビさえあれば、迷うことなく親戚の家まで行ける。どういうわけか、この小旅行を計画したときの私は、そう信じこんでいた。住所を入力し、ナビの案内どおりに進んでいけば、親戚の家の玄関前にクルマをつつつーっと横付けできる。そんなふうに夢想していたのである。しかしこの計画は、大牟田市に入ってまもなく終焉を迎えた。目的地を設定しようとしたら、父からもらった親戚宅の住所が、ナビの地図上に存在しなかったからである。
 かろうじておなじ町名はある。しかし、丁目以降の数字が合わない。何度か入力をやり直してみたが、やはり、ない。

 こういうことはカーナビの地図情報がふるいままだと、往々にしてあるものだ。でも、この場合においては、おそらくその反対。祖母が親戚と年賀状のやりとりをしていた10年以上前の住居表示のほうがずっとふるくて、教えてもらった親戚宅の住所は、現実世界から消えているのだと考えられた。平成の大合併もあったし、地域の再開発だってあったかもしれない。それに、もしかすると祖母のもっていた住所は10年といわず、とんでもなく昔のものの可能性だってある。その間に、住居表示が変わっていても少しも不思議はない。町名が残っているだけ、まだマシだといえるかもしれなかった。


 
 そういうわけで、カーナビ頼みの親戚宅&お墓捜索作戦はあっけなく終了したのだが、それでも、少しでも近くに行くため、親戚宅の住所に似ている住所を目的地に設定して出発した。ばくちに近い方法が致し方ない。そんな乱暴なやり方で20分ほど走ってたどり着いたのは、見渡すかぎり畑のなかに民家が点在している、なんともつかみどころのないところだった。このときまで、もしかしたらうまいこといって、ごく近所まで行ってくれるかも、なんて思っていたけど、そんなうまい話はないと、ここで本当に覚悟が決まった。

 さてこれからどうする。頼れるものはもう何もない(当時、スマホの地図アプリはぼんやりした情報しか表示せず、まったく役に立たなかった)。私たちはクルマを降りて、しばらく歩いてみることにした。
 
 あたり一帯はひろびろと畑が広がっていた。目の前には細い川が流れており、ごく最近護岸工事があったばかりのようだ。両サイドにあたらしく道を通したようで、アスファルトがてらてら光っている。建ち並ぶ家々を一軒ずつよく見てみると、古い木造の家屋と、比較的あたらしいモルタル造りの2階建てが混在していた。家々の並びかたをみると、行儀良く区画整理された新興住宅地というわけではなく、畑を切り売りしていくうちに、少しずつ人の住まいが増えていったという印象だ。鬱蒼と葉の茂る小さな雑木林がところどころにあり、それがあたりの空気を深くしていた。

 近くに来ているんでしょうかね……。不安げにAさんに尋ねると。どうなんやろなーという答え。Aさんもこのあたりには、なじみがないようだった。

 ふと見ると、川の向こうの大きな二階屋で、庭木の手入れをしているひとの姿が目に入った。それをみとめたAさんはその家にむかってずんずん歩きはじめた。あわててその背中を追いかけると、Aさんは私が追いついたところで、庭先の初老の男性に話しかけた。

 あのう、ちょっとすいません、このあたりで○○さんという方のお宅を探してるんですが……。

 いきなり行動に出たAさんに驚きながら、私は不審者と思われぬようとなりでとっさに背筋を伸ばした。庭先のおじさんは、怪訝な表情を浮かべたものの、セールスでも宗教の勧誘でもなさそうな私たちを見て、一応は信用してくれたらしく、心当たりがないと言って、家の中にいた奥さんにも聞いてくれた。しかし、やっぱりちょっとわかんないねぇ、というのが答えだった。

 空振りである。けれど、収穫はあった。現在地の確認ができたからである。おじさんによれば、ここは親戚宅のある町名とおなじでまちがいないということだった。

 そうとわかれば、動くのみ。私たちは本格的な聞き込み調査を開始した。一軒一軒、現場近くの民家を訪ね、情報を収集にあたる、刑事ドラマに出てくるお決まりのあれ、のようなものである。一度はやってみたいとあこがれていたが、いざにやってみると、やはりドラマのようにコトはすいすい進まなかった。
 当然だが、東京みたいに住宅が密集していないし、不在の家があったり、玄関が奥まったりして呼び鈴を押すのがためらわれたりして、時間がかかるわりにはかどらない。たとえ、どなたかがいらしたとしても、そんな名字は聞いたことがないとか、引っ越してきたばかりでよくわからない、というつれない返答ばかり。結局、有力な手がかりはひとつとして得られぬまま、10軒ぶんほど歩くともうぐったりだった。

 これにはまいった。正直なところ、ナビはだめでも、足で探せばどうにかなるさ、と思っていたからだ。父によると、お墓は親戚の家の敷地内か周辺にあるはず、ということだった。そこには祖母の両親も入っているというから、かなり古くからの住人であることはまちがいない。だから、ちょっと聞いてまわれば、あ、その方ならこの先、○軒目のお宅ですよ、なんていう情報が得られるだろうとたかをくくっていたのである。

 甘かったなぁ。私は自分の準備不足を激しく後悔した。カーナビ頼みという計画しかり、地図帳なし&事前調査なしという態度しかり。どこか本気度が足りないというか、他人事のようで、当事者感が薄かったのではないかと思えた。
 いや、そうではない。ちょっとセンチメンタルな気分があったのだと思う。炭鉱開発という目的ではるばる北海道にやって来た祖母とその家族にまつわる開拓物語は、私にとっては、ロマンあふれる一種のファンタジーだ。大正末期か昭和初期という時代に、どうやって大牟田から北海道までやって来たのか。そんなことを考えるだけで胸が躍った。それが、私の来訪によって、超現実的な展開を与えられてしまうかと思うと、自分が野暮に思えてきたし、夢から醒めてしまうような気もして、もったいないような思いもあった。

 そう考えると、親戚宅に近づくのをなるべく後まわしにしていたみたいな、自分の行動が理解できる。
 じつは、福岡を出てからここに来るまで、ちょっとまわり道して柳川に立ち寄り、名物のうなぎのせいろ蒸しを堪能したり(美味でした)、大牟田に入ってからも「大牟田市石炭産業科学館」に寄り(休館日だったけど)、近くにあった鉱山の記念モニュメントを見たり、歴史紹介の小径のようなところを散策したり(趣がありました)、祖母や、会ったことのない曾祖父母について思いをめぐらせたりして、思いっきり旅情に浸ったりしていたのである(Aさんは、はよしたほうがえーぞ、と何度も急かしてくれた)。大牟田市内に入ってから親戚宅の住所をカーナビに入力しようとしたのはこんな寄り道をしていたからだ。

 時計を見ると、もう4時をまわろうとしていた。帰り道のことを考えると、日が暮れる前には大牟田を出たい。4月というのに、25度ちかくまで気温が上がって日中は暑いくらいだったが、だんだん風が出て肌寒くなってきた。決断は早めのほうがいい。Aさん、そろそろ引き上げましょう。もう十分です。ありがとうございました。しんみりとした気分でそう言おうとしたとき、道の先のほうで何やらうろうろしていたAさんが、一軒の平屋の前へとする〜っと歩きだした。そして何かを確認してこちらを振り返った。顔には小さな笑みが浮かんでいる。それを見て私はすぐさま駆けよった。玄関先を見上げると、そこには、祖母の旧姓が書かれた表札がかかっていた。
 
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(次回につづきます)

 
 
-ヒビレポ 2014年7月25日号-

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