こしょこしょ話 第5回

sumimoto

ペーパーズ

 
住本麻子
(第16号で「東京駅でプチ帰省」を執筆)

 
 
 
あまり大きな声で言えることではないが、私の部屋はお世辞にもキレイとは言えない。たくさんの書類で埋め尽くされている。授業のレジュメ、バイト先からの給料明細、かわいいデザインのフリーペーパー、美術館のチラシ、演劇フライヤー、何かのコピー、何かのメモ……とにかく紙が捨てられない。まだお別れの時期ではないような気がしている。いつかきれいにファイルで分けられると思っている。そうしてゴミも宝物も着々と堆積していく。
新聞を購読していたこともあるのだが、捨てる手間が面倒でやめてしまった。うず高く積もっていく新聞紙を見ると、読みたいよりも恨めしさが勝ってしまうのだ。可愛さあまって憎さ、百倍。まだ紙の新聞は残るだろうね、と普段は言い言いしている私も、ついに先日、某新聞社の電子版に登録してしまった。これは便利だよ。便利すぎて悲しい。紙でがんばれなくて申し訳ない。

しかしいつかは意を決してこれらの書類、書類というか紙類、紙類というかもっとこう、愛おしいこの諸々のペーパーズと向き合わなければならない。既に私の部屋の紙類は臨界点を超えていて、寝るところも食べるところもなく侵食されまくっている。いや、全部私が悪いんですけどね。紙のせいみたく言ってすまない。優柔不断な私が悪いのだ。最初はいつも古紙回収に出すつもりでいるのだが、もうそんな悠長なことは言ってられない。束にしてくくって指定の曜日に出す、そういうことが面倒だからここまでにしてしまったのだ。そういうことを言っているから延ばし延ばしになる。捨てるオア残す。ゴミ袋を手に冷酷非情の仕分け人とならねばならない。

しかしゴミ捨てすら楽しくさせてしまうのがペーパーズの怖いところ。例えばこの紙。


 
photo1-
 
これは二三日前に講演会で出会ったK君のメールアドレスを書いた紙だ。K君はよその大学の二年生で、あふれんばかりのやる気と具体的にはどうしていいかわからない苦悩を過積載したような子だった。でもそれをカッコつけたりせずに人に見せられるところが好感を持てる。講演会後の飲み会でもみんなに可愛がられていた。
帰り道でメールアドレスを交換しましょう、と言っても「あ、はい是非、あでもいま充電切れちゃって、書きますね!」と歩きながらオタオタしながら筆箱を出し、ビルの入口の階段になっているところをテーブルにして一生懸命書いてくれた。イイ、若いってイイ、嫌味じゃない若さってすごくイイ。ちなみに彼はその「階段になっているところ」に筆箱を置いてきてしまったらしい。おっちょこちょいだ。もうそれさえイイ!

アドレスの登録は済んだので、この紙はいらないな、と思って改めて見るとこの紙は何かの裏紙のようだ。ふとひっくり返してみたところ、「優しく温かな笑顔を忘れません」という文章が。
 
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「今でも鮮やかに浮かんでくるのは、ご近所の方々とパークゴルフを楽しんでいた夫の姿です」……よくよく読んでみると、どうも葬儀の会葬礼状のコピーらしい。K君よ、なんという裏紙を使ってるんだ。ここまで来るともうイイかどうかちょっとわからない。こればっちり故人の法名まで書いてあるよ。
しかしこういうものって、悪いとは思いつつつい読んでしまう。手紙や日記を盗み見るのが楽しいように、個人的な書き物は例えモノクロでも人それぞれの色が出る。じっくり読むと、楽しい友だちがいたこと、子煩悩だったことが滲む文章だ。あたたかい故人の人柄が、よりあたたかなその妻の言葉でつづられている。妻の言葉からは、夫に対する愛着が伝わってくる。もちろん私だって、こういう文章を業者が聞き取りで構成していることぐらい想像できる。でも業者も意外といい仕事するのだ。ないことは書けないし、付け焼刃の言葉ではこういうとき、その「場」で浮いてしまう。今年の三月、私は祖父を送ったが、そのとき葬儀関連の仕事をしている人たちは、語りすぎない、ほどよい言葉の紡ぎ方を知っていると思った。言葉は現実には追いつかないのに、言葉が過ぎてしまうとダメなのだ。きっとこの会葬礼状もそうなんだと思う……。

なんて、部屋にある紙を拾って考えていた。ゴミも宝もいとしい、私の部屋のペーパーズ。掃除はなかなか、終わらない。
 
 
 
-ヒビレポ 2014年7月31日号-

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