わたしの日本ぽつぽつ北上記 第5回

yoshika

大牟田市(福岡県)[その4] たまさかの九州弁トーク

 

佐藤温夏
(第16号で「どうしても柔道には惹かれてしまう」を執筆)
 
 
 
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 表札には祖母の旧姓が墨文字でおおらかに揮毫されていた。ここが探していた親戚の家なのだろうか? ちょっと想像と違うような気がする。では、どんな家を想像していたのかと問われたら答えに窮する。そもそも何もイメージしていなかったし、心の準備がまったくできていなかった。要するに、土壇場になってちょっと焦っていたのである。とうとう来てしまったという寂しさみたいな気持ちと、早く親戚に会ってみたいという期待があった。
 
 とにかく確認するしかない。Aさんに促されるようにして、私は呼び鈴を押してみた。しかし、反応はなかった。もう一度押してみた。しばらく待った。やっぱり反応はなかった。どうやら不在のようだった。
 ここまでの流れからいって、そう簡単にコトが進むとは思っていなかったが、かすかな期待が裏切られた気がした半面、心のどこかでほっとしている自分もいた。


 
 さて、ここからどうする。親戚の家だと確認するためには何か手がかりが必要である。
 家から受ける印象は、壁などを見ると比較的あたらしく、この数年の間に新築または改装されたと思われるたたずまいだった。玄関まわりはさっぱりと掃き清められていて、なだらかなスロープがしつらえられている。道路に面した庭には小さな花々が咲き、芝生は刈り込まれており、雨戸はぴたりと閉じられていた。しかし、不在なだけで、人が住んでいないという感じはしなかった。しかし、親戚かどうかを確認できるヒントのようなものはなかった。例えば自転車にフルネームが書かれたシールが貼ってあったり、ポストに名前が書かれていたりしていればいいのだが、そうしたものはいっさいなかった。

 どうしたものかなぁ。家のまわりをあてもなくウロウロしていると、突然、家の奥のほうにある、大きな灰色の石の塊が目に飛び込んできた。
 ? まさかと思って見てみると、それはまぎれもなく墓石だった。Aさんと私は顔を見合わせて小走りで近づき、墓石の真ん前に立ってみると、祖母の旧姓で「○○家代々の墓」とくっきりと刻まれているのが確認できた。

 見つかっちゃった。あっけに取られたような思いで墓石を見上げていると、裏手に回ったAさんが、おいおい、来てみ、と呼んだ。急いで行くと、墓標には、父から教えられていた曾祖母の名前が彫られているのがうっすらわかった。間違いない。これが、探していたおばあちゃんの実家のお墓なんだ。

 お墓には、黄色や赤の菊の花がたむけられていた。墓石も、ごく最近新調されたもののように見え、全体にきれいに掃除されていた。
 驚いたのはそのサイズだった。高さは3〜4mくらいあり、霊園などによくある一般的なお墓の数倍ある。石の柵で囲い、数段ある階段で上がっていかなければ、墓石にたどりつけないようなつくりになっていた。
 場所も新鮮だった。私にとっての一般的な墓とは、やはり霊園や寺院の墓地にあり、区画どおりに行儀良く並んでいるものである。しかし、ここは、そうした埋葬専用の場ではなく、ほとんど自宅の裏庭である。昔は自宅の敷地内に墓を作るのは当たり前だったらしいが、目の前のそれもまさにそんな感じで、かなり昔からそこにあったことをうかがわせる立地だった。
 しかも、その証明といっていいのか、大きなお墓の周りに、年月にさらされ風化したぼろぼろの小さな墓石をいくつも発見した。高さ50cmくらいの小さな小さな墓石で、石をおおざっぱに切りだしたような形で、いかにも素朴である。墓標を見てみると、やはりほとんど風化していたが、天保とか文化とか、そんな驚くような年号が彫られていて面食らった。
 
 事態は急展開を迎えたと言っていいだろう。それらしき家、お墓、おまけに時間の流れを漂わせまくりのぼろぼろの墓石……。旅の目的は親戚宅とお墓探しだったのだから、ほとんど目的を達成したと言えるかもしれず、喜ぶべきなのかもしれなかった。けれども私は、そんなのんきな気分には浸れなかった。初めて来た大牟田で、これまでの人生で意識したことのなかった祖母の実家筋の先祖が眠っているであろうお墓に手を合わせているなんて、にわかに信じがたかった。
 
 しかも、話はここで終わらなかった。

 名残惜しいような気分で、お墓をあとにしようとしたときのことである。お隣の家のほうから、ふら〜っと人影が表れた。まずい。怪しまれる。身構えたとき、すでにAさんは一歩前に出て、その人に話しかけていた。

 なんという機転、なんという行動の速さ。家を見つけてくれたときもそうだが、Aさんのここぞというときの動きは、どこか動物的なカンみたいなものが働いているみたいで、状況を必ず好転させるのだった。実際、Aさんは、そのおばあさんが怪しむ先に、人懐こい笑顔を浮かべながら、こちらの事情を説明しただけでなく、博多弁×大牟田弁による会話で、あっという間に先方の信頼を勝ち取ってしまった。方言の力である。ここで私がかしこまって東京弁なんかで説明していたら、こういう展開にはならなかっただろう。おばあさんはなんと、ちょっとあがらんね、と我々をお宅に招き入れてくださったのである。すでにおまけ状態となっている私は恐縮しつつも、ご親切にすっかり甘えて、Aさんの後ろについてお宅にあがり、出していただいたお茶をすすった。正直、とても疲れていたので、ありがたかった。

 もちろん、Aさんはおばあさんとただ世間話に興じていたわけではない。親戚についての情報を聞き出してくれたのである。
 私にはとても再現不能な九州弁トークによって判明したところによると、やはり、その平屋は、探していた親戚の家で間違いないということだった。
 その親戚は現在はひとり暮らしで、数年前から入退院を繰り返しており、今回もつい4日前に病院に入ったばかりだという。日ごろは関東に住む息子家族のかわりに、大牟田在住の遠い親戚が世話をしているそうだ。しかし、近くに住んでいないので、町内会のことや防犯、そして私たちのような不意の訪問客などがあれば、そのおばあさんが長いつきあいのよしみでその応対を引き受けているということだった。
 
 なんということだろう。残っていた謎がこれでさっぱり解明されてしまった。しかも、隣家のおばあさんからの証言というかたちで。これまで、仕事上、さまざまなびっくりエピソードに遭遇してきたが、このたびのこの展開も、それらに負けず劣らずのレベルに達しているような気もした。それに偶然に偶然が重なって、物事が転がっていってちょっと怖い。でも、とりあえずそこは考えないようにして、とにかく目の前の事態を受け入れることに集中した。すると不思議なことに、なんとなくすべてが収まるべきところに収まった気がして、ほどよい心地良さを感じられたりもするのだった。

 帰りぎわ、親戚の世話をしているという遠い親戚(ややこしい!)に渡してもらうよう、祖母の死去についてと、札幌の連絡先を書いたメモをおばあさんにことづけ、何度もお礼を言って、失礼した。
 

 さて、その入院している親戚と会えたかどうかだが、結局、病院には立ち寄ったものの面会はできなかった。
 介護施設を兼ねているらしいその病院は、あらかじめ登録された人しか面会は許可できないとのことだった。当然、容態などについての個人情報も、いっさい教えてもらえなかった。もし容態がそれほど深刻なものではなく、会話ができるくらいであれば、お見舞いに来たことだけでもお伝え願えないかと、祖母と父の名前を書いたメモを渡してもらうよう頼んでみた。しかし、当然ながら、そうしたものもいっさい受け取れないということだった。
 そりゃそうだよね……。このご時世に、いきなりやって来た人の面会を許可したり、メモを渡してと頼まれて、簡単にOKする病院なんてあるはずがない。それに、もしも面会できたとしても、ただ驚かせるだけで、かえってよくないかもしれない。私はこれがしおと、おとなしく引き下がった。時刻はもう6時を回っていた。

 病院を出てしばらく走ると、カーナビの勧める経路とは異なる方向に、福岡方面を示す道路標識が出てきた。有明沿岸道路という、自動車道を通るルートのようだった。前年に開通したばかりということで、当然、ナビの地図には存在していなかった。
 この道路、行ってみましょう。Aさんの了解をとりつけてその道を行くと、まもなく海を渡る大きな橋に乗った。有明海から気持ちのよい風が入ってくる。風に吹かれながら、札幌のことを思った。きょうのことを報告したらなんて言うだろう。あの父のこと、驚きはするだろうがあくまでもリアクションは抑えぎみにするだろうな。そんなことを思いながら、福岡に向かってクルマを走らせた。
 
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(大牟田編、終わります)

 
 
 
 
-ヒビレポ 2014年8月1日号-

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