初めまして津島ですけど、いい年なんで大人やってます。  第9回

tsushima

旅の感覚の個人差(前半)

 
津島千紗
(第16号で「探偵失格」を執筆)
 
 
 
 海外の旅にはいろいろなスタイルがある。

「航空券だけ取ってホテルなんか予約しないし現地の安宿で十分。世界中から集まったバックパッカーたちと相部屋に泊まるのこそ旅の醍醐味」
 など得意げな顔して言っちゃう系の人の場合、たいがい
「インドの夜行の二等列車で14時間移動する」
「日本円にして二十円のことで現地の人と本気で怒鳴りあいの喧嘩をする」
「砂漠の真ん中で寝袋で一泊する」
くらいは平気であるし、なにかと武勇伝が豊富である。そして、
「別に前人未到の地じゃないし普通に行けるでしょ」
 などといちいちムカつくコメントをしながら、ものすっごい得意げにイキがっていることが多い。

 私のことである。

 そういう旅を、普通にできる人とできない人がいるということを、こういう人は基本的に理解していないし、自分の持っている旅のスタイルを崩そうとしない。人に合わせるという発想がまずない。

 この手のタイプの女に出会ったら、「そういう経験をするのが大好きだ」「自分と価値観が合う」と感じない限り、この女とは一緒に旅行をしないほうが身のためだ。全力で避けた方がいい。

 こんな女と旅をしたせいで、異国の地の夜行バスのターミナルで、真っ青な顔をして突然
「ああ、もう無理や、無理や無理や無理や・・・・あかん、これあかん・・・・」
 とブツブツ言ってしゃがみこんで動けなくなってしまった男がいた。

 私の人生で、人が限界を感じて本当に文字通りの顔面蒼白になって突然しゃがみこんだ瞬間を見たのはこのときがおそらく最初で最後である。

 ほんっとうに人が限界のときって、しゃがむんだな。


 
 という話を今回したい。若干、得意げにイキがっている箇所がちょいちょい出てくるのはご容赦いただきたい。

 その年、私は新卒一年目のシステム系の企業の会社員であった。待ちに待った夏休みに向け、私はなんだかトルコな気分だった。
 時折、「今の気分はここしかない!!」と行き先が決まるものである。

 
 しかし、めんどくさいことが起こった。その当時付き合い始めたばかりだった銀行員の彼氏(便宜上、銀助とでも呼ぼうか)が一緒に行きたがったのである。別に彼と行きたくなどないので、単純に邪魔である。
 彼が英語ができないのは知っていたし、聞くと
「海外に行ったのは大学時代に友達とソウルにツアーで行った一回だけ」
 とのことである。どう考えても、上記のような私の旅のスタイルには、邪魔になりそうだ。
 それに、仕事をそんなに休めないと言い出した。もう、そんなんだったら、ついてこなくてよろしい。私は切り捨てた。

 しかし、銀助はトルコ行きをあきらめなかった。こういうタイプの人間は、逆に
「自分では行けないけど、英語できる旅慣れた人と一緒なら・・・」
 などと考えて乗っかってくるパターンも多いのだ。

 私の譲歩した条件は、「現地集合、現地解散」である。これまで、友人と何度もやっていた手法だが、別に、出発や帰国の日、飛行機の便自体を合わせる必要など全くないと思う。先に行ける者はそうすればいいし、残って旅を続ける者はそうすればいいのだ。

 銀助は「無理無理無理!!! 一人で飛行機乗って海外なんか行けない!!」と大騒ぎしたが、「だったら来なくていい」と私は全く折れなかったので、結局、「現地集合現地解散」方式がとられることとなった。

 トルコまでの直行便は高いためマレーシアのクアラルンプールを経由するマレーシア航空の航空券にして、クアラルンプールにも数日間滞在し、そこで銀助と落ち合うことになった。「クアラルンプール集合、イスタンブール解散」である。カップルの旅行とは思えないほど異様なクールさが漂う。

 私の方の日程は気付けば会社を十三連休になっていた。よくわからないが、気付けばそうなってしまったのだ。上司の許可を得ないで勝手にそういうことをしたので怒られたが平気だった(ちなみに十月には会社を辞めた)

 銀助は一人で飛行機に乗ることにビビりまくり、事前に成田空港に下見に行きたいと言い出した。場所や雰囲気を知っておきたい、などわけのわからないことを必死で言っている。
 当時、東京の西側に住んでいたので成田空港は電車でけっこう遠く私は怒って説教をしたが銀助の懇願は続いた。結局、私が譲歩したのは
「去年車の免許をとったけど全然運転してないしたまには練習したいから、レンタカーやガソリン代を全額出してくれるなら、自分が運転する」
 という案だったが即採用された。ちなみに、先発での私の出発当日も、彼は成田まで見送りに来て、チェックインの様子や、保安検査入り口に行く流れなどを一部始終チェックしていた。

 また、当時の私の携帯は海外で使用できないガラケーだった。銀助は、現地で連絡が取れなかったら困るから頼むから機種変更してくれと懇願したのだが、そんなことに何万円も使いたくない私はやはり拒否した。
 結局、銀助は私に、海外で使用できる携帯をもう一台買い与えることになった(余談だが、この携帯は翌年五月、一人で上海の動物園でパンダを見ていたところ、ポケットからスラれた)

 一人で旅立つと、やはりテンションが上がり、現地クアラルンプールでは順調に自分の旅の感覚を取り戻していた。
 銀助が到着するまでの二日間、私は世界中のバックパッカーが集まる安宿街の安宿で欧米人と相部屋に泊まり、日中はバスに乗ってカニの漁村を見に行ったり、レンタサイクルでジャングルのような巨大な森や水田地帯を駆け巡ったり、イスラム寺院を見学したりと非常に精力的にクアラルンプールを楽しみまくっていた。

 二日後、銀助の到着する時間に合わせて、約束通り空港に迎えに行ったのだが、私はやはり「めんどくさい」と感じ苛立っていた。そんなことしている暇があれば、私は何時間だって街を歩いていたいのだ。しかも、時刻をとうに過ぎてもなかなか出てこない。「遅い・・・」と苛立っていたところ、買ってもらった携帯が鳴った。
「もしもしい〜? マレーシア着いたんやけどぉ〜。空港来てくれてるぅ? ああ、そう? 来てくれてるの。じゃあ、よろしくぅ〜今から向かいまぁ〜す」
 などと無事にマレーシアに一人で辿りつけたことと、私が約束通り空港に来ているのを確認できたことで、かなり銀助は安心して浮かれていた。イラッとした。電話なんかしなくていいから早く出てこいよ!! そこからしばらく待っていると、ようやく満面の笑みの銀助がふらふらと出てきたのである。

 て、手ぶらだ・・・!!

 厳密に言うと、手提げの日常遊びに行くぐらいの大きさのバッグを手に持っている。キャリーケースやトランクなど普通の旅行者が持っているはずのものを持っていない。
「どうしたの!? 荷物受け取ってないの!?」
 と聞くと、預けた荷物を一人で受け取るのが怖いし(ターンテーブルのしくみのことか?)、預け方などもよくわからないので(チェックインの際の私の行動を見ていたはずだが・・・)、機内に持ち込める小さなカバンのみにしたとのことである(中身はシャツや下着など着替え数枚)。てか、荷物も受け取っていないのに何にそんなに出てくるのに時間がかかったのか?

 まあ、いい。早く市内に戻って遊びたい。空港から市内への往復も二度目のため、私は慣れた様子でとっとと銀助を案内した。彼はもちろん初めて見る土地であり、なんやかやと感想を述べたり、驚いたりしていた。

 行き先は、すでに私の旅の拠点化した安宿街である。私の荷物を安宿に置かせてもらっていたので取りに行った。
「え!? こんなところに泊まってたの!?」
と安宿の外観を見て、彼はかなりショックを受けていた。そこの一階では顔見知りの外国人の男の子と突然話し始めたことにも彼は驚き、後で「昨日同じ部屋だったスウェーデン人だ」などと説明すると、得体のしれない外人の男と同室で泊まっていたことに引きまくっていた。そもそも、「外国人と英語で話す」という経験がないという人にとっては、そういった「外国人と英語で話す」ということ自体が結構な衝撃だそうだ。

 また、私はその宿の近くでとても安く、良さそうなホテルを見つけ、良かれと思って二人部屋を予約しておいたのでそこに案内をしたが、そこでも彼はこんなところに泊まるのかと驚き、引いていた。私の感覚では、相部屋でもない個室でシャワーもトイレも室内にあって清潔で、十分すぎたのだが、感覚が違う人もいるということをまだまだこの時点で私は理解していなかった。

 この日はもう遅かったので、軽く街を歩いて食事をしただけで終わったかと記憶しているが、当然、私のチョイスにより、いいレストランなどではなく屋台である。
 しかし銀助は、タイガービールなどを飲み、おなかがすいていたのか、いろんな料理を頼みたくさん食べて、この時点ではまだまだ元気だった。

 なお、翌日の市内観光にて撮られた私の写真がこちらである。現地の女性風のコスプレ衣装まで手に入れ、どこからどう見ても調子に乗っていることがこれでおわかりいただけるであろう。
 
写真-9-1
 
次号へ続く

 
 
 
-ヒビレポ 2014年8月26日号-

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