わたしの日本ぽつぽつ北上記 第10回

yoshika

金沢市(石川県)

時をかける母娘

 
佐藤温夏
(第16号で「どうしても柔道には惹かれてしまう」を執筆)
 
 
 
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 前回は神奈川県の小田急線の車内での小さな出来事を書きました。今回は、ちょっと南下しますが、生まれて初めての旅となった、3歳のときの家族旅行について思い出してみようと思います。

 この旅行は、富山に住む母の友人の結婚式に家族で出席するために計画されたものだった。残念なことにその富山でのことはまったく憶えていないのだが、その帰りに足をのばした金沢での出来事であれば、わりとはっきり思い出せることがふたつほど、ある。


 
 ひとつはペーパードライバーの母が、レンタカーで久しぶりの運転に挑戦したら、坂道発進に失敗したこと。3歳の私にはその状況は当然理解できていなかったが、ずずずーっ、ずずずずーっとゆっくり後退していくクルマの後部座席から、運転席で焦りまくってギアをぎこぎこやっている母の背中や、助手席の父がなんだかんだと指示を出している横顔を見て、これはどうやらあってはいけない事態である、と察知した記憶はある。

 もうひとつも母がらみ。富山での結婚式を終えて金沢に移動したその夜、母が旅館の部屋でぶっ倒れ、あわや救急車騒ぎになったのである。
 まくらが変わると眠れないタイプの母は、睡眠不足にさいなまれながら、家族で結婚式出席という一大イベントを無事に済ませたことで、ほっとしたらしい。貧血を起こして旅館の部屋で起き上がれなくなった。ただちに父が旅館のひとに相談して救急車を手配しようかとなったが、すぐ隣が病院だということで、結局、往診という運びとなった。駆けつけてくださったお医者さんの診断によるとやはり過労。しばらく安静が必要ということになった。このあたりのてんやわんやぶりは、映画の1シーンのようにうっすらと記憶に残っている。薄暗い部屋で横になっている母、心配そうにしている父、白衣のお医者さん、そして、忙しく出入りする旅館のひと……という具合だ。
 ただ、自分がどうしていたのかまったく記憶にない。そこで先日、母に尋ねてみたら、3歳らしい、まったく空気を読んでいない行動を取っていたことが明らかになった。
 往診のあと、寝ている母のそばに座り、「だいじょうぶ?」「だいじょうぶ?」と、それはそれはしつこく尋ねていたそうだ。3歳の己に味方すると、おそらく看病しているつもりだったのだろうと思う。しかし、嘔吐と倦怠で身体がきつくてしかたない母はたまったものではない。「気持ちはうれしいけどとにかくつらかったから、しばらく放っておいてと思ってたわよ」。

 しかし、母はこの娘の看病地獄から早々に解放された。翌日、私は日がな1日、旅館の子と遊んで過ごしたからだ。父と私は予定していた観光は取りやめたのだが、旅館を営むご家族が我々一家を心配し、私を預かってくださったのである。

 ここからは自分で思い出せる。旅館の子は、ひとつかふたつ年上の女の子で。紺色のジャンパースカートを着ていた。私は彼女に連れられ、私は旅館の中の住居スペースに通してもらっておもちゃで遊んだり、敷地内でおにごっこをしたり、館内を探検したりして過ごした。まだ3歳で、幼稚園にも通っていなかった私にとって、初めて遊んだ、近所に住む友達以外の子だった。彼女はそんなに年が離れていないのに、すごく大人っぽく映った。親が働いているのを見て育ち、しかも家業が旅館経営ということで、人の往来に慣れているような、さっぱりとした雰囲気があった。私といえば、まだひとりっ子で、母親のあとをくっついて歩くような、引っ込み事案だったので、彼女が1日中ほとんど放っておかれているのに泣きべそもかかず、楽しいことを見つけて過ごしているのを目の当たりにして、小さなショックを受けたような記憶がある。もちろん、3歳の脳みそでこんなふうに言語化して考えられていたわけではない。しかし、このときの経験は、親と離れて遊ぶという一大事ということもあって、すべてが衝撃だったらしく、感じたこと、受けた印象をよーく憶えているのである。だから今、そのときの感覚を忠実になぞってみるとこんなふうだったと思う。
 とにもかくにも、私は彼女との時間がすっかり楽しくなって、夕方になってさよならするときには、明日も、あさってもこの子と遊びたいと思ったほどだった。

 それにしても、こうして振り返ってみると、若干3歳にして、旅の醍醐味を思いきり味わっていることに気づく。旅先ではアクシデントはつきもので、それは多くの場合、思いもよらない出会いや経験につながり、忘れがたい出来事になるということを、人生初の旅ですっかり体験している。

 さて、母によると、我々家族はこの翌日には帰路につき、金沢空港から千歳空港へと向かったそうだ。当時、この路線はまだ給油が必要で、途中、飛行機は山形空港を経由したという。給油の間、乗客は一旦、機外へ降りなければならなかったが、母の体調はまだ思わしくなかったため、航空会社に事情を説明して、私たち家族は機内に留まらせてもらったという。「誰もいないがらーんとした機内で、3人だけ座ってたのよ」。そんなことがあったとは。これはまったく憶えていなかった。
 航空機の給油なんていまは国際線でもしなくなった。それに、今だったらそんなに体調が悪い人は飛行機に乗せてくれないのではないかと思う。40年近く前の話だが、ずいぶんのんびりしていたものである。

 その後、金沢へはプライベートや仕事で何度か訪れている。でも、あの旅館をたずねたこともなければ、この家族旅行そのものについても、とりたてて思い出すようなこともなかった。ところが、数年前に金沢を旅したとき、その記憶を刺激する事態が発生した。私も宿泊先でぶっ倒れたのである。母と同様に疲れがたたり、高熱を出してしまった。そして、ホテルのベッドでうんうんうなりながら、あのときのことがいっきに呼び起こされたのである。こういうこと、ずっと前にもあったなぁ……と。どうして同じ金沢で母も娘も倒れるかなぁと。
 そう思うと、悪寒と頭痛で身体はきつくいのに、しばらく笑いが止まらず困ってしまった。このときは夫に看病役をさせていたから、うなされながら笑う私を見て、高熱のあまり気が触れたのかと思ったそうだ。
 
 おかげさまで翌日、病院で太〜い注射を打ってもらい、体調は快方へ向かいました。40年の時を超え、母娘ともども金沢の医療機関にはたいへんお世話になりました。

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-ヒビレポ 2014年9月5日号-

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