こしょこしょ話 第11回

sumimoto

茄子という肉

 
住本麻子
(第16号で「東京駅でプチ帰省」を執筆)

 
 
 
夏の始まりの頃、私はアパートの大家さんが茄子を育てていることに気づいた。1メートルくらいのプランターに苗が四、五本植わっていて、既にいくつか、かわいい実をつけ始めている。小ぶりでかわいい茄子だ。他所様の鉢ではあるが、植物が育っていく様を見るのは楽しい。それからというもの、私は出がけにその茄子の成長を見守ることに密かな楽しみを見出していた。

しかしその穏やかな楽しみは、その茄子が急激に大量の実を付け始めた頃に打ち砕かれる。家庭菜園でこんなに大量の茄子が出来るというのか。一個くらい盗んでもばれやしないだろう(※本気)。しかし二十一世紀の東京大都心で野菜泥棒とは、いくらなんでも憐れだ。ああでも、みずみずしくてすごく美味しそう……等々、私の朝の密かな楽しみは、欲望と理性が葛藤する苦々しいものとなってしまったのだ。

私は茄子が大好きだ。「大豆は畑のステーキ」とはいうが、茄子こそは野菜の中の肉だと思っている。煮てよし、焼いてよし、揚げてよし。お肉やご飯との相性もよいし、むしろ麻婆茄子なんて茄子を引き立てるために肉があるようなものである。私はこんな野菜をほかに知らない。メインディッシュ野菜、茄子。そして私の名前は、麻婆茄子を略して麻子という。といっても差し支えないだろう。違うけど。

しかしこんなに豊作なら、アパートの住人に対し万が一おすそ分けがあるかも……と私は思いついた。いや、待っているだけじゃだめだ、愛を示さなくては。しかもごく自然に。大家さんが水遣りをしているときに、「立派な茄子ですね」と言おう。そして大家さんが偶然影で見ている可能性を考えて、プランターの前を通るときはじっと見つめ声をかけよう。「今日もかわいいね、茄子」「今日も立派だね、茄子」。私は惨めな欲望と理性の葛藤を、目的を持ちつつも節度ある大人の行動へと転換させることに成功した。そして本当に大家さんから五本の茄子をせしめることに成功してしまった。実際本当にもらってしまうと、私が思っている以上に物欲しそうな顔をしていたのではないかと恥ずかしい。しかしもらってしまってはしょうがないので美味しくいただくことに……しようとしたのだが、問題が発生した。


 
この中長期的な作戦がついに実を結んだのが、一週間の旅行に出かける二日前。結局茄子をひとくちも喰らうことなく、冷蔵庫に一週間眠らせることになった。採れたて、完全に意味なし。そもそも野菜の賞味期限がイマイチわからないので、茄子の状態が終始気になってしまい旅行にも全く集中できなかった。旅行から帰った私がまずしたこと、それは言うまでもなく茄子の調理である。

「皮が硬いから、工夫してね」という大家さんの言葉に従い、まずは焼きナスにすることにした。家にはガスコンロがないが、問題はない。オーブンで十分ほど焼き、水で冷やしてから、半分にして中身を裂くようにしてちぎる。味付けは醤油、酢、わさびだ。
 
IMG_0427-
 
うまい。幼い頃は、私はこの焼きナスがあまり好きではなかった。まず見た目がふにゃふにゃしていて、種も妙にグロテスク。皮がないことで捉えどころなくなる食感も苦手だった。大人たちは何をそんなに嬉しそうに食べているのか……と横目で見ていたものだ。しかし今ならわかる。ふわふわとして、それでいて確かな食感がある(幼い頃はこれを感じ逃していた)。酢醤油のすっぱさ、わさびの辛味との相性が絶妙で、お酒を誘う。あっという間に一本を消費してしまった。

悲しいことに、この時点で残りの茄子はもうしなび始めていた。もう私と茄子に残された時間は少ない。茄子はスーパーで溢れるほどあるが、これらの茄子とはもう二度と出会えない。できるだけおいしく頂いてやりたい。そうだ、普段あまり食べないような調理をしてやりたい。でも正直めんどくさい調理はしたくない(というかできない)……と、私はまたここでつまらぬ葛藤をしてしまった。おかげで調理はしないくせに、すっかり茄子づいてしまったために「グリーンカレー」や「茄子と挽肉のスパゲッティ」など、外で茄子料理むだに消費してしまった。これではいけない。茄子をおいしく調理する前に茄子に飽きてしまう。

そこで二品目はなすの天ぷらにした。付け合せは蕎麦。天ぷらに集中するために、蕎麦はすぐに食べられるものをスーパーで購入。飽くまでも茄子がメインである。変化を付けるために、とろけるチーズを挟んだりもした。
 
IMG_0439-

とろけるチーズを挟んだものはとても美味しかったのですが、
チーズがでろでろにはみ出てしまい、
見るに耐えないので奥に隠してあります

 

とてもうまい。茄子の天ぷらは、かぼちゃやピーマン、さつまいもといった他の野菜の天ぷらとは一線を画すと思っている。もちろんそれらも十分美味しいけれど、油を吸った肉厚な茄子は、もはやタンパク質に勝るとも劣らない。海老や鱚の天ぷらの方に近いのである。チーズとの相性はいうまでもないだろう。塩気の効いたチーズは茄子とよくなじむ。こちらも勢い、二本消費してしまった。

実はここまでの二品で欠かせなかったものがある。それはわさびの存在だ。最後までわさびと添い遂げさせてやりたい……そう思った三品目はこちら。わさび入り浅漬けである。
 
IMG_0442-
 
柔らかく十分にしなっており、それでいてほどよい歯ごたえが残る。ご飯との相性は抜群である。ほんのりあまいほかほかのご飯に、冷たくてぴりっと辛いわさび入り浅漬け。我が家には急須があったら、ぜひお茶漬けにしたかった。私は思うのだが、素晴らしい料理・素晴らしい食材とは、おしなべて、〈相反するもの〉を抱えているのではないだろうか。甘さの中に辛さがあったり、柔らかいのに歯ごたえがあったり、野菜なのに肉のようだったり。きっと茄子の奥深さ、懐の広さはその矛盾にあるのだ。大事なことを茄子に教わった気がした。ありがとう茄子。大家さんも。ここで二本を消費、計五本を全て消費した。

これで全ての葛藤と苦悩を払拭し、茄子も美味しくいただけてよかった、と思って冷蔵庫を開けると、また茄子があった。不思議。茄子の呪いかな……と思ってよくよく考えてみると、唾液をだらだら分泌させながら大家さんの家の茄子を眺めていた頃、堪えきれずにスーパーで茄子を買い込んだことを思い出した。ちなみに明日からまた帰省で家を空ける。一周して、再び茄子は巡ってきた。冷蔵庫のオレンジ色の光の中で、「差別すんなよ」と言いたげな茄子。苦悩は続くらしい。

 
 
 
-ヒビレポ 2014年9月11日号-

Share on Facebook