笑いたい読書  第2回


赤ちゃん感覚をもう一度

 
木村カナ(レポ編集スタッフ)
 
 
 
「季刊レポ」17号の鼎談「どうする、笑う本棚大賞」において、大宅賞に持っていかれてしまった「こっち側」の面白い本のうちの一冊として、えのきどさんが星野博美『転がる香港に石は生えない』 (文春文庫)を挙げている。『転がる香港に石は生えない』、それから、読売文学賞随筆・紀行賞を受賞した『コンニャク屋漂流記』 (文春文庫)も、たしかに面白かった。しかし、オモロおかしいノンフィクションということであれば、わたしは『島へ免許を取りに行く』をぜひ推薦したいと思う。というか、わたしが読んで笑ってしまったのは、その2冊よりも断然、この本だったのだ。
 
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星野博美『島へ免許を取りに行く』集英社インターナショナル

 

 
 生まれも育ちも東京の著者が、いろいろあって落ちこんで、どん底の気分になっている最中、40代半ばにして突如、車の免許を取ろうと思いつく。しかも、通学ではなく、合宿免許に挑戦しようと決意する。運転免許というと、10代・20代のうちに取ることがなぜだか世間の常識みたいになっていて、ましてや合宿免許なんて、若者しかいないんじゃないの、と思ったら、合宿免許に限って、25歳または30歳までと入校資格に年齢の上限を設定しているところが多いのだそうで。年齢制限がなく、希望条件も満たす合宿免許所を探し求めた結果、ネットの検索結果に浮上してきたのが長崎県の五島列島にある「五島自動車学校」。そこは実に不思議な教習所で、所内に馬がいるのだという。全国唯一の乗馬体験ができる自動車学校……なんじゃそりゃあ! そんな場所が本当にあるのか?と、一瞬疑ってしまったが、ちゃんと実在する。

五島自動車学校
http://www.ds-gotoo.com/

 トップページに掲げられた、教習コースの向こうに、きれいな青い海が広がっている写真。そして、動物好きの星野さんの心をわしづかみにした「五島自動車学校のゆかいでかわいい仲間たち」の紹介ページ! 現在掲載されているメンバーは、ウマ・イヌ・ヤギ・ニワトリ・ネコ。「緊張や勉強で疲れたあなたを癒してくれる」「心なごむ乗馬体験」、「人が大好きなワンちゃん」に「犬のように後を追っかけてくる猫」って! いったい何なんですか、このリゾート地のような、ほとんど牧場みたいな、まるでこの世の楽園のごとき自動車学校は!

 うわーん、遠くったっていい、わたしもどうせなら五島自動車学校で免許が取りたかった……と過去形になるのは、そうです、普通自動車免許を実は持っているのです、と言うと、たいていものすごくびっくりされる。しかもオートマ限定ではなく、マニュアルだったりする。しかし、ペーパードライバーゆえのゴールド免許となってすでに久しい。身分証明書としてもごくごく稀にしか機能していない我が免許証、持ち歩いている意味なんてもはやほとんどないのでは? でも、更新だけは忘れずにするのだ、当然のごとく。

 さて、五島自動車学校に入校した星野さんは、第一段階の技能教習で、予想を上回る苦戦を強いられる。40代という年齢的な問題もあるんだろうけれど、わたしが自動車学校に通ったのは2000年の秋から冬にかけてのこと、思いっきり20代だった。それなのに、星野さんの体験を読んでいると、その時々の気持ちがいちいちよくわかってしまう。20キロ出したらもう恐怖を感じる、みきわめのハンコがなかなかもらえなくて、卒業どころか仮免までたどり着けるかどうかすらも不安になる……共感できすぎて、そうそう! やっぱりそうなるよね!と、当時の記憶がどんどんよみがえってきて、やりきれなくない気持ちになりつつも、でも、笑いがこみあげてきて止まらない。年齢でなければ、何が問題だったのかって、適性ってやつなんでしょうね。運転適性検査についてはこの本の中にも当然出てくる。星野さんの場合は「肝に銘じます」ぐらいで済んだように書かれているのだが、わたしはそれが五段階評価のE、最低の最悪だったのだ。
「あなたには大きな事故を起こす可能性があります。」
 と、適性検査の結果票にはっきりと印字されているのを目にしたときは、さすがにショックだった。

 ずるずるとはてしなく五島滞在が延びてきそうな気配に落ちこんだ星野さんは、所内の厩舎に入り浸って、ここに馬がいて本当に良かった、と思う。犬の散歩にも行く。アニマルセラピーの効果絶大、ああ羨ましい。そっくりな状況に陥るも、動物のいない、敷地が狭くて、てんで眺めの良くない、都内の教習所に通学していたわたしは、誰かと話す機会もなくて、待ち時間には、学科の自習をするか、持参した本を読む以外に、やることがなかった。なぜか筒井康隆の『虚構船団』をずっと読んでいたのを覚えている。そうそう、宇宙船に閉じ込められて頭のおかしくなった文房具たちがくんずほぐれつ……って、乗馬よりももっと意味不明っ! そんな暗ーい記憶に比べると、五島自動車学校の生活は、あまりにも素晴らしく、魅力的に見えてしまう。

 第一段階で苦労したわりに、仮免の試験に一発で通って以降、星野さんの教習はスムーズに進んでいったようだ。路上教習の途中で、牛をわき見する余裕すらも出てくる。わたしもだいたい同じような感じで、仮免には一度落ちたけれど、路上に出てから卒業までは意外にも早かった。何事も慣れが大事ということなんでしょうか。その、慣れるまで、が非常につらかったわけですが……最初から難なくできちゃう人はできちゃうんだな、これが! ギギギギギ……できない側のこの気持ち、そういうできちゃう側の人には、きっと永遠にわからない。だが、本書に描かれているように、向き不向き・得手不得手を乗り越えていくのは、苦しいけど楽しかったりもするのだ。ああそうだ、自分も40代になった今だからこそわかる、そういう体験は確実に減っている。

「どうせ何もできない。がんばっても誰も誉めてはくれない。だからがんばらない。新しいことに挑戦もしない。いつの間にか自分の人生は「……ない」という否定形に支配され、ナイナイづくしのナイナイ星人になっていた。
 何かができるって、こんなに楽しいんだ。そして、人から誉められるとはこれほど嬉しいことだったのだ。何十年も忘れていた感覚だった。私は車という未知の世界に自分を放り込んだ。いまはちょうど、はいはいから立ち上がろうとしている赤ん坊なのだ。
 もしも二十歳そこそこで免許を取りに来たら、これほどの喜びは得られなかっただろう。まだ自分には輝ける未来が待っていると勘違いしていたし、できないことのあまりの多さにうちひしがれていなかったから。赤ちゃん感覚を味わえただけでも、もうけものだったのかもしれない。」

 いい年の大人が、初心者として「赤ちゃん感覚」に戸惑いながら右往左往している姿は、はたから見たら滑稽、情けなくて、みっともないのかもしれない。すぐに結果を出せないとつまらなくなってしまうのは、スピード社会だからなのか、それとも、年をとるほどにせっかちになるせいなのか。でも、残り時間が見えてきてるからこそ、やりたいことをやればいいのだ、なんて気もしてきている。

 この本を読み終えたら、久々に車を運転したくなってしまったのだが、まずはペーパードライバー教習からやり直さないと、危なくってしょうがない……いや、そもそも運転すること自体が危険なのだ、何しろ、適性検査でE判定を叩きだしてますからね! まあ別にクルマじゃなくてもいいのだ。現状維持ではない何か、今までにやったことのない、新しいことがやってみたくて、うずうずしている。そうだなあ、海江田さんの「四十の手習い」を見習って、楽器なんてどうだろう?
 そういえば、我らが北尾トロ編集長の『猟師になりたい!』(信濃毎日新聞社)も、50代半ばにして免許取得に挑んだ体験記であった、免許は免許でも運転じゃなくて狩猟だけどね。途中経過をさんざん聞いているのに、それでもあらためて読んだら、やっぱり面白かった! 日高トモキチさんによるイラストも愉快で、ついつい笑っちゃいました。
 
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北尾トロ『猟師になりたい!』(信濃毎日新聞社)

 
 
 
 

-ヒビレポ 2014年10月9日号-

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