出版業界今昔モノ語り 第1回

shinbo
 
 
新保信長(「乱筆乱文にて失礼いたします。」連載中)
 
 
 
 
 

気がつけば編集・ライター生活も世紀をまたいで28年。
その間、テクノロジーは大きく進化し、
仕事で使う道具や仕事の進め方もずいぶん様変わりしてきた。
この連載では、そんな出版業界の仕事環境の変遷を、
道具=モノを軸に振り返ってみたい。

 

【その1】ワープロ
 
 ここで言うワープロとは、ワードや一太郎などのPCソフトではなく、ワープロ専用機のことである。といっても、2003年には全メーカーが生産を終了しているので、若い人は見たことも触ったこともないかもしれない。
 日本で初めてワープロが発売されたのは1979年。東芝のJW-10という機種で、お値段なんと630万円! 机丸ごと1個分ぐらいのサイズで、10メガ程度の記憶容量しかなかったという。翌80年から81年にかけてNEC、沖電気、富士通、キヤノン、リコーなど多くのメーカーが参入するも、やはり100万円以上はする超高級品で一般人には縁のないものであった。
 しかし、この手のハイテク製品は日進月歩。小型化、高性能化で普及が進むにつれて値段も坂道を転がるように下がり、85年にはもう10万円を切る機種が続々登場する。そんななかでベストセラーとなったのが、12万8000円の東芝ルポ50(JW−R50F)だった。
 3.5インチフロッピーディスクドライブ内蔵、表示は40字×2行の大画面! って、どこが大画面やねんと思うかもしれないが、当時の廉価ワープロは1行表示とか10字×2行とかが当たり前だったのだ。記憶容量も少なくて、同機の場合は4800文字。ツイッターで34回つぶやいたら終わりである。それを超える文章を書くには、ファイルを分けて一度フロッピーに保存しなければならない。上位機種では9〜12インチ程度のCRTディスプレイで記憶容量が大きいものもあったが、それらはまだ数十万円と高嶺の花であった。
 それでも安部公房や星新一、小松左京といった新しモノ好きの作家はいち早く導入していたらしい。かく言う私も比較的早く、初めてワープロを買ったのは1986年、大学3年のときだった。細かい機種名は不明だがキヤノンのキヤノワードで、確か20万円以上したのをローンで買った。我ながら勇気ある買い物である。

 
 当時やってた企画会社のバイトの関係でA3まで印刷できる機種が欲しくてそれにしたのだが、大きい割にディスプレイは貧弱で20字×1行とかそんなもん。文節ごとに変換しなければならず変換スピードも遅かったが、こっちもキーボードに不慣れでタイプスピードも超遅かったから、お互いさまというか何というか。
 そんな状態では考えながら文章を打つことはとてもできず、とりあえず手書きで書いたものを打ち込む“清書マシン”として使っていた。卒論もこれで清書&印刷したものを、きれいに製本して提出した。中身のなさを見た目でカバーしようという作戦だ。1行しかないディスプレイでも、コマンドを駆使すれば表組も作れるようになっていた。ただし、今のワードやエクセルなら3分でできるようなことに1時間以上かかる感じで、「こんなんだったら手で書いたほうが早いわ!」と何度思ったかわからない。が、おかげで自己流ながらキーボードを打てるようになったので、苦労はするものである。
 その後、新卒で入った会社を10カ月で辞めた私は、新聞の求人で見つけた編プロへ。そこで初めて「自分の書いたものが雑誌に載る」という経験をしたのだが、それが各社ワープロの性能比較表だった。「書いた」というか、カタログデータを引き写して当たり障りない寸評を加えた程度のものにすぎなかったが、それでも嬉しかったのを覚えている。
 80年代末から90年代初めの雑誌編集部では、共有のワープロが何台かあり、個人で所有している人は持ち込みもする、というのが一般的だったように思う。編集部によってはパソコンも共有のものがあったが、ワープロとしての使い勝手は専用機のほうが上だった。当時のパソコンのワープロソフトは変換するたびにいちいち辞書フロッピーを読みに行ったりして、とにかく遅かったのだ。その点、ワープロは辞書がROMで内蔵されていたので、まだしもマシだった。
 作家からの原稿はまだ手書きのものが多かったが、編集者やライターは、一部の年配者や頑固者を除き、すみやかにワープロへと移行していった。何文字×何行ときっちり決められた文字数で書かねばならぬ人間にとって、ワープロほどありがたいものはない。推敲が容易という点でも、ワープロは革命的なツールであった。
 私ももちろんワープロ派で、最初の会社を辞めたときに買い替えた文豪ミニ7H(87年10月発売で標準価格19万8000円)を愛用していた。パーソナルワープロで初めて48×48ドット印字を採用し、40字×24行の10インチCRTディスプレイ、3.5インチフロッピードライブ2台搭載で、表計算ソフト用フロッピーも付属するスグレモノだ。
 ちなみに「スグレモノ」とは、当時のモノ情報誌でよく使われたフレーズ。あんまり使えなさそうな製品でも、とりあえず「スグレモノ」と書いておけば丸く収まる魔法の言葉である。しかし、この文豪ミニ7Hは本当になかなかのスグレモノで、編プロから関連出版社に移籍し、91年にフリーとなって94年にSPA!編集部に契約で入ってもまだ使っていた。途中で買い足したほぼ同機能の文豪ミニ7HGと合わせて、結局、98年ぐらいまで普通に使っていたのだから、完成度の高いマシンだったと言えるだろう。
 とはいえ、その頃はまだメーカーによってデータのフォーマットが違い、印刷所のほうも受け入れ態勢が十分でなかったため、ワープロで打ったものを印刷し、指定を入れて入稿するパターンがほとんどだった。メールもまだ普及していなかったのでライターから原稿をもらうのもFAX。いずれにしても入稿形態は、データではなく紙である。それをオペレーターが入力するのだから、今考えれば二度手間もいいとこだ。たまにテキストデータをフロッピーに入れて渡すこともあったが、その場合はDOS変換とか、特別な記号を入れるとかしなければならず、それはそれで面倒くさかった。
 ワープロの出荷台数のピークは、90年前後。以後、パソコンの普及に反比例するように急激に減少していく。ちょうどバブル経済の膨張と崩壊に歩調を合わせるかのようなワープロの栄枯盛衰は、当時駆け出し編集者だった者として懐かしくもあり物悲しくもある。
 
 
【参考サイト】
IPSJコンピュータ博物館
ワープロの歴史
キヤノン通信 7号 ワープロ進化史

 
 
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2015年1月2日号-

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