出版業界今昔モノ語り 第2回

shinbo
 
 
新保信長(「乱筆乱文にて失礼いたします。」連載中)
 
 
 
 
 

気がつけば編集・ライター生活も世紀をまたいで28年。
その間、テクノロジーは大きく進化し、
仕事で使う道具や仕事の進め方もずいぶん様変わりしてきた。
この連載では、そんな出版業界の仕事環境の変遷を、
道具=モノを軸に振り返ってみたい。

 

【その2】写植
 
 世間一般で「しゃしょく」といえば、社食=社員食堂を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、出版業界において「しゃしょく」といえば、写植=写真植字のことである。
 写真植字とは、白抜きの文字盤に光を当て、レンズを通した文字の像を印画紙に焼き付ける仕組みのこと。写真と同様の原理で印字することから、写真植字と呼ばれるわけだ。活字と違って、レンズを換えるだけで文字の大きさを変えたり、平体や長体、斜体に変形させたりできる。字間や行間の調整も活字より容易なため、70年代ぐらいから活字に代わって印刷用の版下製作の主流となっていった。
 私が初めて写植というものに触れたのは高1のとき。友達のお父さんが写植屋をやっていて、そこで同人誌用のタイトルや見出しを打たせてもらったのだ。初体験としてはかなり早いほうだと思う。確かリョービ(メーカー名)の手動写植機で、1文字ずつ文字盤を合わせてはガシャン、ガシャンと打つタイプ。打った位置が表示板にドットで示されるだけで、組み上がりは印画紙を現像してみるまでわからなかった。
 大学時代には写植・版下屋で1年ほどバイトした。専門のオペレーターが打ち出した写植(印画紙)を切り貼りして版下を仕上げる仕事である。84〜85年頃のことで、雑誌では『BOX』(プレジデント社/現在は休刊)と『CDジャーナル』(音楽出版社)の版下がよく回ってきた。そこで使われていたのは前述のような手動写植機ではなく、電算写植機(ワープロの親玉みたいなもの)だ。ただし、当時のその会社ではまだページ丸ごとレイアウトどおりに出力するようなシステムはなく、本文はロール状の印画紙に印字されて出てくることが多かった。それを切り出して、レイアウト指定と照らし合わせ、アタリのラインが引かれた台紙の然るべき位置に貼る。

 
 その際、わりとよくあるのが、本文の写植が指定のスペースに収まりきらないこと。いわゆる「ハミダシ」というやつである。特に『BOX』で頻発していたが、あれは何故だったのか。同誌はADが岡本一宣(日本を代表するグラフィックデザイナー)だったし、おそらく先割り(デザイン先行で、それに合わせて原稿を書く)だと思うのだが、それにしてはダイナミックにはみ出していた。スケジュールがギリギリで、デザインと並行しておおよその文字数で原稿を進めていたのかもしれない。
 が、あんまりいつもいつもハミダシだと、版下を作る側もやる気が目減りする。私は根が真面目なのできっちり貼っていたが、先輩方のなかには「どうせ再校で全部やり直しになるんだから」と、多少ズレたり曲がったりしても気にしない人もいた。そういう現場を見ていたから、編集者としてもライターとしても文字数はきっちり合わせるよう心がけている。
 校正紙が戻ってきたら、赤字に従い修正する。小さな修正なら数行のブロックで打ち直された写植を貼り直す。1文字だけトルツメ(削除して詰めること)とかだと、打ち直しではなく手作業で詰める場合もある。数文字単位の修正では、その部分の印画紙の表面だけを薄皮を剥ぐように取り去って、上から修正された写植の薄皮を貼るという技も。このとき培ったカッターとピンセットの技は、編集者になってからも大いに役立った。
 大手出版社だと、編集者が写植や版下をいじることはないかもしれない。せいぜいマンガ誌の編集がフキダシの写植を貼るぐらいか。しかし、私が91年にフリーになる前まで勤めていた中堅出版社では、編集者が版下を修正するのは当たり前。色校や青焼き(印刷前の最後の校正)段階で誤植が発見され、写植を打ち直す時間も予算もない場合、修正のないページの版下から使える文字を探してきて、それを切り貼りすることもよくあった。中小出版社はたぶんどこもそんなものだったのではないか。私が勤めていた出版社の場合、同じビルに懇意の写植・版下屋が入っていたので、本当に切羽詰まって校正紙を出す時間もないときは、「ちょっと来てー」と電話で呼ばれて、電算写植機の画面を見ながらその場で修正を指示する“画面校正”という奥の手もあったほどだ。
 中小出版社では、ちょっとしたレイアウトや写植指定なら編集者がやってしまうことも多かった。ゆえに、書体見本帳と級数表(文字のサイズ見本がプリントされた透明のシート)は必携。当時は「写植といえば写研」と言われるぐらい写研というメーカーの書体が標準で、その見本帳に使用された「愛のあるユニークで豊かな書体」というサンプル文は業界の人間なら誰もが知っているフレーズだった。
 しかし、90年代半ばぐらいから徐々にDTP化の波が押し寄せる。98年に刊行した『できるかな』(西原理恵子/扶桑社)ではまだカバーや帯を版下で入稿していたが、2000年頃にはもうかなりの部分がデータ入稿になっていた。つまり、写植を切り貼りして版下を作るという工程が不要になってきたのである。
『SPA!』で私が担当していたモノクロ特集ページでは、かなり遅い時期までタイトルだけは写植でバラ打ちしたものを使っていたが、それもいつしかなくなった。写植・版下製作からDTP組版へと移行できたところはいいが、設備投資ができなかったり新しい技術に対応できず廃業の憂き目にあった業者も少なくないという。
 DTP化は書体の勢力分布にも大きな影響を与えた。写研から分かれたモリサワというメーカーは、写研をWindowsとすれば“写植界のMac”みたいな存在だったが、アドビと提携したことでDTP化の波に乗ってシェアを拡大。逆に写研は、他社システムにフォントを提供しなかったため、今ではほとんど使われなくなっている。私は写研の書体なら見本帳を見なくても指定できるが、その知識も今や無用の長物だ。
 確かにDTPは便利だが、手軽にできてしまう分、雑になりがちだ。雑誌なんかで字詰めがバラバラになってたりするのを見ると本当にガッカリする。もちろんオペレーターの技量にもよるが、フォントや組版の美しさでは、やはり写植のほうが上だろう。
 最近になって金属活字を使った活版印刷が見直されているという話を聞く。ならば写植も少しは見直されてもいいと思うのだが……と調べてみたら、今でも写植を扱っている業者はいくつかあるようだ(参考:http://ryougetsu.net/link_inji.html)。もしまた同人誌を作る機会があれば使いたいので、そのときまで頑張っていてほしい。

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2015年1月9日号-

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