出版業界今昔モノ語り 第4回

shinbo
 
 
新保信長(「乱筆乱文にて失礼いたします。」連載中)
 
 
 
 
 

気がつけば編集・ライター生活も世紀をまたいで28年。
その間、テクノロジーは大きく進化し、
仕事で使う道具や仕事の進め方もずいぶん様変わりしてきた。
この連載では、そんな出版業界の仕事環境の変遷を、
道具=モノを軸に振り返ってみたい。

 

【その4】携帯電話
 
 1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災発生。あれから20年の節目ということで、今年は記念番組や特集記事も多いようだ。
 あの日、私はちょうど『SPA!』の特集の入稿で編集部にいた。徹夜の入稿作業が終わり、ふと窓際に並んだテレビに目をやると、どの画面も炎上する町の空撮映像を映している。いったい何事かとボリュームを上げたら、神戸で大きな地震があり、大規模な火災が発生しているというではないか。
 編集部に居合わせた人たちがテレビの前に集まってくる。詳しい状況はわからないが、とにかくとんでもないことが起こっているようだ。実家が大阪で、中学・高校は神戸の学校に通っていた私にとっては他人事じゃない。そのまま家に帰る気になれず、テレビのニュースに釘付けになっていた。

 しばらく見ていると、どうやら大阪はそれほど被害がなかったらしいことがわかってきた。とはいえ、やはり実家のことは気にかかる。災害時は不要不急の電話は慎むべし、という常識は知りつつも、ここで実家に電話しないのも人としてどうなのか。そう思って、編集部の電話からかけてみたら、案の定つながらない。まあ、一応電話はしたから義理は果たしたし、たぶん大丈夫だろう……と自分を納得させる。
 と、そこで誰かが「携帯ならつながるんじゃない?」と言い出したのだ。しかし、当時はまだ個人で携帯電話を持っている人は少なかった。何しろ前年に端末の買い切り制が始まったばかりで、それまではレンタルしかなかったぐらいである。料金も高かったし、あの時点で携帯電話を持っていたのは、かなりの新しモノ好きと言えるだろう。
 ところが、その新しモノ好きが、たまたま編集部にいたのである。今はモバイルサイト制作などの会社を経営するU氏の私物の携帯を借りて、再び実家に電話。そしたら見事につながって、両親の無事が確認できたのであった。ありがとう、U氏!

 
 それが私の携帯電話初体験ということになる。専門的なことはわからないが、おそらく普及率の低さが幸いし、災害時でも回線に余裕があったのだろう。逆に2011年の東日本大震災のときには、通話もメールもつながりにくかった記憶がある。
 それから3カ月後、やはりSPA!の取材で神戸に行った。テレビや新聞では見ていたものの、現場に立つと被害のすさまじさを肌で感じる。半壊したビルに瓦礫の原と化した商店街。その風景のなかでやけに目についたのが、携帯電話会社ののぼりを立てたテントである。聞けば、自宅やお店が倒壊し固定電話が使用不能になったため、連絡手段として携帯電話を買い求める人が多いのだとか。なるほどねーと思いつつ、瓦礫のなかにテントで店を出す関西人の商魂にも感心した。
 実際、この時期一気に携帯電話の普及が進んでいる。総務省近畿総合通信局の統計によれば、94年末の兵庫県の携帯電話契約数は21万8000件。それが95年末には51万9000件と倍以上に伸びている。もっとも、この時期伸びたのは兵庫県だけでなく、全国的に倍増しているのであるが、ちょうど価格的にも性能的にも手が出しやすくなってきたところに震災が拍車をかけたということは言えるのではないか。

 私が携帯を初めて買ったのもこの年だった。当時はまだレンタルという選択肢もあり、そちらのほうが初期費用は安かったが、思い切って買い取りを選択。通信会社はIDO(現au)、端末はモトローラのフリップ式のやつにした。『WIRED』の「携帯電話の歴史に残る『世界を変えた』12台の名機」にも選ばれているマイクロタック(89年発売)の進化型だったが、筆箱ぐらいのサイズ感でバッテリーは待ち受けだけでも半日持たず、ちょっと長電話でもしようものならあっという間に充電切れ。なので、予備のバッテリーは必須だった。もちろんメールやウェブ閲覧、カメラなどの機能はなく、ひたすら通話のみ。ディスプレイも電卓のような白黒液晶1行で、電話帳機能もなかった。
 その頃、周りの編集者やライターたちも、続々と携帯を導入し始める。ちょうど95年にPHSのサービスが開始されており、料金の安さからそちらを選ぶ人もいた。ただし、当時のPHSは通話性能が低く、いくらかけてもつながらないもんだから、PHSユーザーのライターとかには「早く携帯にしてくださいよー」とよく言っていたものだ。

 日本初の携帯電話が登場したのは1985年。懐かし映像などでたまに出てくる肩掛けタイプのショルダーホンだ。従来の自動車電話をバッテリーごと持ち歩けるようにした感じで、重さはなんと3キロもあった。87年には片手で持てる本当の意味での携帯電話が発売される。それでも900グラムほどあったというから、ちょっとしたダンベルだ。
 89年に前述のモトローラのマイクロタックが登場し、94年に買い切り制開始。NTTドコモ、IDOに加え、デジタルホン、ツーカーセルラーなどの業者が新規参入することで競争が激化、価格は下がり端末は小型化高性能化していく。
 総務省の統計データで携帯電話の普及率(総人口に対する契約数)が50%を超えたのは2001年9月。子供やお年寄りも含めての数字なので、社会人ならたぶん8〜9割が所持、編集者やライター、カメラマンに限れば、この時点で携帯を持ってない人は、もうほとんどいなかったのではないか。
 机に向かって原稿を書くことを主たる業務とする小説家や漫画家、イラストレーターなら、携帯なしでも支障ないかもしれない。が、取材や打ち合わせ、ロケなど外に出る仕事が多い人間にとって携帯は命綱。特に会社で電話番してくれるような人がいない個人経営のフリーランスにしてみれば、携帯電話が移動オフィスのようなものだ。携帯のない時代は、出先の公衆電話から留守電を確認したり、いろんな連絡したり、今から考えればよくやっていたものだと思う。

 10年ぐらい前にはまだ、まず事務所(自宅)に電話して、不在なら携帯にかけるというのが一般的で、いきなり携帯にかけるのは失礼、みたいな空気があったのが、いつしか最初から携帯にかけるのが当たり前になっていった。最近、フリーの人からもらう名刺は、携帯番号とメルアドだけで、固定電話の番号が書かれていないものも多い。なかには固定電話そのものを廃止してしまった人もいる。私はまだFAX用に回線は残しているが、固定電話をかけることはほとんどないし、かかってくることもまずない。というか、今では“急ぎの連絡以外はまずメール”という感じなので、携帯もあまりかけないし、かかってもこないのであるが。
 ちなみに私の携帯は、3台目までがモトローラ、2000年のアナログ方式終了に伴い京セラか何かのやつに替え、そのあとインフォバー、MEDIA SKINを経て、今のiida G11に至る。スマホは必要ないので使ってません。
 

【参考サイト】
年代流行/携帯電話の歴史
総務省/情報通信統計データベース 
携帯電話の歴史に残る「世界を変えた」12台の名機
 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2015年1月23日号-

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