借りたら返す! 第1回

心の端っこに引っかかったまま

 
海江田哲朗
(第12・13号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
 日常のふとした瞬間に、それはひゅっと浮かび上がってくる。居間でテレビを見ているとき、電車に揺られているとき、何の前触れもなく浮かんできては、袖口あたりをちょちょいと引っ張る。

 あの本、借りっぱなしにしちゃったなあ――。
 借金という約束だったはずだけど、催促がないのをいいことに知らんぷりしている――。
 若いころ何くれとなくお世話になったのに、すっかりご無沙汰だ。お元気にされているだろうか――。

 当方、物や金銭の貸し借りは、それなりに律義にやってきたつもりである。借りたら返す。約束は守る。これ、人として当然。自分の取り柄の少なさはわかっており、対人関係でせめて不義理はしないように努めてきた。

 しかし、それでもあるんだな、返しそびれてしまったものがいくつか。タイミングを逃したり、うっかりしてしまったり。いや、アレについてはちゃんと返すと口では言ったものの、完全にその場しのぎだった。ううむ、厄介なものを思い出しちまった。できれば、あの事実は丸ごと闇に深く葬りたい。

 記憶の断片が心に居座る時間はたいして長くはない。ぽっかり浮かんでは、いつのまにか消えている。しばらく素知らぬふりをしていればいい。これまでそうしてやり過ごしてきたように、今後もその方針を貫くことは充分に可能だ。このまま放置したところで、互いに取り立てて不都合はないだろう。だが、このリピートが一生つづくのか。そう思うと、やや気鬱である。慙愧の念に堪えないというほど大げさではないが、心残りには違いない。


 
 よし、いっちょやってみるか。過去に借りたものを手当たり次第に返していくのだ。なかにはすぐに清算できないケースもありえるが、善後策はそんとき考えよう。相手によっては貸したこと自体を忘れており、いまさら返すと言われても迷惑かもしれない。けれども、そこは一歩も引かない覚悟だ。どうしても返したいんだとがぶり寄る。もしかしたら、シリーズ企画にかこつけて、その人たちに会いたいだけのような気もしてくる。

 待てよ。「おまえには違う形でお返ししてもらったからもういいよ」なんて好都合な展開があったらどうしよう。まあ、その際はおとなしく引き下がるのもやぶさかではない。それでもなんらかの形でけじめをつけるのが望ましい。

 手始めに、本やCDといったオーソドックスな物からいってみようか。すべり出しはなるたけマイルドに、だんだん身体を馴らしていきたい。

 疎遠になった人に対しては、連絡そのものが気恥かしく、ためらわれる。きっと相手だって着信に身構える。留守電になったらメッセージを吹き込むべきか、否か。最初のひと言は「おう、元気?」とフランクな口調で緊張をほぐし、「じつはさ、借りっぱなしにしているものがあって」と速やかに用件を伝える。どの道、不自然さは隠せまい。かくかくしかじかの事情だと、つまびらかに話してしまえばよい。めんどくさそうな態度を取られたときは、こっちにだって考えがあるよ。人の気も知らないで、あんたとはこれっきりだと電話を叩っ切ってやる。どんだけずうずうしいんだよ!

 実際、ダイヤルを押す手が震えるね。いまなら引き返せるか。ムリだな。レポ編集部にやるって言っちゃったもん。早くも気が重く、うまく乗り切れるかどうか甚だ心もとない状況だ。

 なお、今回のタイトル「借りたら返す!」は、本誌12・13号で執筆した劇団カクスコの公演名から拝借している。

 
 
 
-ヒビレポ 2015年4月6日号-

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