レポは日暮れて 第2回

kitao
あずさに乗ってレポTVへ

 
北尾トロ
(えのきどいちろう&北尾トロの交互連載)
 
 
 
 激変ですよ、えのきどさん。ぼくはこれまでの人生で20回以上は引っ越ししてるけど親の都合で移動していた子供時代を別にすると、2012年8月に東京の国分寺から長野県松本市に引っ越したときほど生活の基盤が変わるのを実感したことってないです。東京ヤんなった(当時は石原都政)とか放射能おっかないとか、理由はいろいろつけられるし、どれもあるのだけれど、一言でまとめると、勢いや流れに乗っかっちゃった感じがする。よーし、家も叩き売るぞーなんてね。考えたらいい大人なんです。もう少し落ち着いて行動しろと言いたくもなります。

 まあその一因として(良い意味でだけど)レポは絶対あったな。ライター同士ってあまり関わりがないもので、書き手が組むのは編集者でありカメラマンだったりするから同世代はもちろん年下のライター仲間なんかできないんですよ。レポが始まったら世代関係なしに付き合いが始まっちゃった。ああいうのは未体験で、ぼくら年長組は経験談とかを話すんだけど、若手執筆陣からもきっと影響を受けているんだと思います。

 それからやっぱりレポTVがでかかった。毎週ですからね。なぜ毎週なのか、理由がないですもん。でもやってるんだなぜか。初回放送は2011年2月。ユーストが流行り出した頃で、ぼくは単純に興味があった。いちおうレポの宣伝をしなくちゃと思っていたけど、おもしろそうだからやってみたかったのが正直なところ。まーあれだろ、マイクがあればなんとかなるんだろって電気屋で買ってきて。ただ、ぼくがひとりボソボソ喋ったところでおもしろくはならないから、えのきどさんに「やんない?」と言ってみた。「よかったらお願いします」だったかな。何が「よかったら」なんだか。

 ところがそれになぜか「OK」が出たばかりか、いまでも続いているという。頼んだ側でありながら、ぼくは驚かざるを得ない。レポTVは、えのきどさんも技術のヨシオカも副編ヒラカツも全員ノーギャラどころか電車賃自腹ですからね。ぼくは、えのきどさんとヨシオカさんの弱みでも握ってんのかと言われたことがあります。読者や見てる人、ポッドキャストで聞いてる人にとっても謎の長寿番組でしょう。


 
 このレポTVによって、ぼくのライフサイクルは決定づけられていくわけです。放送は原則火曜日の夜なので、そのときは東京にいなきゃならない。自然に、金曜の夜か土曜の朝に松本に帰り、月曜か火曜の朝に東京へ向かうパターンが確立される。自宅が200キロ離れたところになったけど、かろうじて一週間のおおまかなリズムをキープできたことになる。家族も慣れたもので、火曜はいないもんだと思ってる。ぼくもそう思っているので、火曜の昼に松本を出て、レポTVやって泊まって、水曜に松本で昼めし食ったりしてね。
「ゆっくりしてくればいいのに」
 冷たく言われますねそういうとき。そのとおりだけどさ。でも、あずさが好きなんだよ。乗ってるのが。

 レポの5年間を乗り物であらわすなら、初期は中央線で、途中からは高速バスと特急あずさ。ぼくは単身赴任生活をするようになりました。はじめた頃はしんどかったなあ。松本では観光客みたいにうろうろするばかりだし、東京ではその反動でぼんやり。そのうち痩せてきて、寝込んじゃったり。不安定ってことではあの時期がいちばんひどかった。
 2012年の年末、コラムニストの泉麻人さんと会食した帰り、飲めない酒を飲んで酔い、電車内で転倒。なんとか西荻に戻ったものの、目の焦点が合わない。とりあえず寝て、朝になってメガネをかけても視界がぼやける。おまけに頭痛までしてきた。これは危険な兆候だ。医者に行ったほうがいい。
 立ち上がってメガネを外し、なんとはなしにレンズに手を触れようとしたら…片方がなかった。転んだとき片方のレンズが外れ、ぼくはそれに気がつかないまま医者に行こうとし…あのときの衝撃ときたら。
 いま考えてもひどい話です。レポTVで、えのきどさんからポンコツ化を指摘されまくってますけど、年を経て我が人生を振り返れば、片目レンズの日がポンコツ化の始まりだったと思うんだろうなあ。

 あずさの話に戻すと、乗車時間が2時間半から3時間弱なのが絶妙で、3分の1くらい読んだ本を持ち込むと降りる頃に読み終える長さ。PC取り出して仕事をするにはキビシイ程度の揺れがあるので働かなくていい。新宿発松本行は読書室になりました。笑う本棚大賞の候補作とか車内でよく読んだ。もう、あずさはおれの庭っていうか自宅や事務所の延長線上くらいの気持ちですよ。
 松本発新宿行はときどき、「ちびレポ」執筆の場になったですね。ちびレポは、定期購読者に本誌が発行されない月に送っているA41枚の手紙みたいな通信。季刊レポだけだと間が空いちゃうのと、定期購読者に何か特典があったらいいと思って始めた。ちびレポのいいところは下描きなしの一発勝負なところ。思い浮かんだことをどんどん書いていってスペースがなくなると終わり。これに、あずさ車内が向いていた。
 しかし…書いてて全然懐かしい気持ちにならないのは、レポが最終20号を残す現役雑誌だからではないんです。少なくとも1999年にネット古本屋「杉並北尾堂」を開店してからこっち、環境の変化はあったけれど、地続きの日々の中にいる感じがするんですよ。本に関係する何かをメインに据えて生活するという意味で同じ。古本屋→インディーズ出版→本の町プロジェクト→雑誌作り、というような、くねくねした1本の流れがあるんだと思うんですよね。
 レポって売れたわけでもなんでもないんですよ。カピバラ通信にしなくて本当に良かったとは思ってるんだけど、レポだから売れたってことではない。
 ぼくの編集方針がずれていたのかもしれないし、手法に無理があった、書店販売に力を入れなかったなど理由はいくらもあると思います。ぼくは創刊前、「あと5年もしたら電書の時代になっててもおかしくない。紙でやるなら今しかない。どうすか、一緒にやってくれませんか」とヒラカツを口説きましたからね。「創刊号は2千部だけど、5千部まではいくでしょう」とか、根拠なく見当違いのこと言いまくってました。
 でも、しぶとく消えずにいるうちに本誌以外のところでいろんなことが起きていくんですよね。レポは雑誌というよりもヘンな火の付き方をするカマドみたいな感じ。で、ノンフィクション雑誌がヨタヨタ走っている様子を傍らで実況中継しているのがレポTV。そういう構図なのかなあ?

 
 
 
似顔イラスト/日高トモキチ
 
 
 
-ヒビレポ 2015年4月12日号-

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