借りたら返す! 第3回

ぐうの音も出ない

 
海江田哲朗
(第12・13号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
 志岐吟子との待ち合わせはJR駒込駅の改札出口だった。時刻は午後1時。「とりあえず、なんか食べようよ」と、おすすめの定食屋に連れて行ってもらった。駅から歩いてすぐの『食堂 ときわ』で、僕はブリの照り焼き定食、吟子はオムライスを注文した。脂の乗ったブリは身が柔らかく、照り焼きの甘辛いタレも旨い。パクパクごはんを平らげ、おかげでやや緊張気味だった気持ちがほぐれた。

「でさ、なして駒込を待ち合わせに指定したの?」
「家の近所だから」
「そうだっけ。前はほら、足立区のほうやったよね」
「年賀状、ちゃんと読んでないでしょ。引っ越したの2年前ですよ。お手ごろな物件が出ていて」
「うわっ、おうち買ったんか。しっかりしとるのう」

 それから近くの『百塔珈琲』へ。立川談志の『談志人生全集〈第2巻〉絶好調』(講談社)と、あらためて購入した町田康の『くっすん大黒』(文春文庫)を「長いこと借りっぱなしでゴメンね」とお返しする。学生時代の吟子は澁澤龍彦に傾倒しており、僕は知らない作家を何人も教わった。


 
 獨協大学放送研究会(以下、放研)では、吟子も夢限プロダクションに属し、僕にとって直系の後輩ということになる。いまでこそ大人の余裕をかましてコーヒーを飲みながら談笑しているが、そうさふたりは夢限プロだった。所属を問われれば、「夢限です」と名乗った。夢限の未来について真剣に語り合った。

 あれからどのように変わろうと、恥辱の刻印は消せない。現在、吟子は編集やライターの仕事をしており、この先も着実にキャリアを積んでいくのかもしれないが、そんなものは夢限の一撃で土台ごと吹き飛んでしまうだろう。この事実を公にするのは、若干気が引けた。だが、どうして僕ひとりで羞恥に耐えられようか。あんたも道連れだ!
※志岐吟子は夢限プロではなく裏方プロだった事実が判明しました。

 共通の知人についておおざっぱな情報交換をしたあと、「いま思えば、あのバイトって最高でしたね」と吟子が言いだした。マガジンハウスでのアルバイトだ。最初に『ダカーポ』(2007年12月に休刊)の編集部に仕事の口を見つけた僕が、放研の部員を何人か引き入れていた。吟子もそのひとりだった。

「書評用に送られてくる本がもらい放題だったじゃないですか」
「カネのない本好きの学生にとっては夢のような環境やったねえ。CDもあった」

 毎日、さまざまな出版社から発売前の書籍が届き、不要となったものは編集部の隅っこの棚に積み上げられる。早い者勝ちで、誰もが自由に持って帰ってよかった。

「ちょっと興味を惹かれるけど、高くて手を出しづらい本を見つけたときはうれしくて」
「マガハの青い紙袋がぱんぱんになるまで詰め込んだもんよ」

 ひまだけはたっぷりあったし、どうせ廃棄処分になるのだからもらってやれと見境なく読みあさった。ああいった読書経験はじつに貴重だったように思う。

 僕らはともに、放研のなかで配偶者と出会っている。吟子の夫となったMはめっぽう人が好く、真面目な男だ。素朴で、服装にはあまり頓着しないタイプだった。あるとき、エンジ色のトレーナーにカラシ色のパンツを身につけたMに対し、「マックのチキンナゲットのソースかよ!」と吟子が口汚く罵っていたのを憶えている。相手の痛点を鋭くえぐるセンスに感心したものだ。

「私と海江田さんは共通項というか、似ているところがあるんです。この人に対しては甘えていいとなると、とことん甘え倒す。どこまでも図に乗る。お互い気をつけましょう」

 ず、図星! ぐうの音も出ない。いやしかし、およそ10年ぶりに会って、ここまで的確な助言を授けるかね。こうして再会するのは過去の自分と向き合うくすぐったさばかりと思っていたら、どうやらそれだけではなかったようだ。やはり膨大な時間を一緒に過ごした人の見識は侮れないよ。その非効率さゆえに端っこまで眼が届き、ごまかしが利かない。

 駅までの帰り道、腕がちょっと触れ合うくらいの距離感で歩いた。懐かしい感覚だ。あの頃はみんなとこういう感じでほっつき歩いたなあ。たいしておかしくもないことに笑いながら、安い居酒屋をはしごして、じゃあまた明日と手を振って別れた。
 
Exif_JPEG_PICTURE

立川談志の『談志人生全集〈第2巻〉絶好調』(講談社)と
町田康の『くっすん大黒』(文春文庫)。

 
 
 
-ヒビレポ 2015年4月20日号-

Share on Facebook