二代目『薔薇族』編集長の作り方 第7回

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あの頃ぼくはアホだった

 
竜 超
(第19号で「ヤマジュン・コード」を執筆)
 
 
 
重度の中二病患者だった少年が、本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでを描く大河ロマン(自称)……今回は、「元号と一緒に変わった同性愛コミュニティの在り方」について語ります。

ぼくは「演技系専門学校→小劇団の養成所→デザイン系専門学校」というルートを経て、1987年の春に社会人となった。
卒業後に就職したのは、とあるデザイン会社だった。
けれども常軌を逸した通勤ラッシュに辟易とし、そこを2日で辞めてしまった。
就職難の今を生きる人からは「たかだかそんなことで辞めるなんて!」と白い眼を向けられるかも知れないが、生まれてから一度もラッシュの電車というのに乗ったことがなかったぼくにとって、それは「耐え難い苦痛」だったのだ。

そんな強気な決断がアッサリできてしまった背景に、「仕事なんていくらでも見つかる好景気」があったこと否めない。
とはいえ、仮に景気が良くなかったとしても、やはり辞めていただろうとは思う。
その20数年後、銀行からものすごい借金をした直後に、やっぱり会社を辞めてしまったのだから・・・。
その時は「いま辞めないと間違いなく精神を病む!」と判断しての退職だったが、「あの選択は間違っていなかった」と現在でも信じている。

「頑張って続ける」というのは尊いことだとは思うが、「必要な時にスパッと辞めること」も同じくらい重要であるとぼくは思うのだ。
「忍耐」が美徳であることは間違いないが、その一方で、世の中には「してはいけない我慢」というのも絶対にある。
ちなみにそれ以降、ぼくは「満員電車に乗らないと通えない会社」には一度も入っておりません。


 
話を本筋に戻そう。
最初の会社を辞めた後、ぼくはいったん実家に戻り、地元のデザイン会社で働いた。
けれども、そこではまだ「徒弟制」みたいなのが生き続けていて、「朝10時から深夜2時くらいまで働いても月給4万円」というメチャメチャな待遇だった。
「見習い期間中なんだから当然」という考え方なのだそうだが、実家暮らしでなければとうてい食ってけない金額だよネ。
その会社で2カ月くらい働いたあと、「これじゃ先がねーだろナ」と感じたぼくは、デザイン学校の同級生の勤めていた版下(=デザインに沿って文字やイラストなどを貼り込んで作る雑誌のモト)会社に口をきいてもらって、再び上京したのであった。

2日で会社を辞めた時の教訓に従い、今度のアパートは勤め先まで歩いて行ける「恵比寿」で借りた。
今でこそ「ガーデンプレイス」とかがあって賑わっている恵比寿だが、ぼくが越した当時はバブル期名物「地上げ」の嵐が吹き荒れていて、かなり閑散とした状態だった。
駅からアパートまでは、現在「ガーデンプレイス前の通り」となっている道を使っていたが、当時のそこは昼間でも人をほとんど見かけない淋しいところだったのだ。
仕方ないので何か買い物をする際には、駅ビルのある隣の「目黒」まで足を運んだりしていた。
現在の「大繁華街・恵比寿」しか知らない人には、にわかには信じられないでしょうけどネ。

そんな街に住み、多忙な会社員生活をスタートさせたぼくだったが、ゲイ業界ウォッチングはもちろん続けていた。
しかし、ちょうど時代が昭和から平成に変わるあたりから、その在り方に大きな変化が現れはじめたのだ。

きっかけは、都が運営する宿泊施設「府中青年の家」で1990年に起こったトラブルだった。
そこで泊りがけのミーティングをした「同性愛者のサークル」が、他の利用者たちからイヤガラセを受けたというのである。
その際の職員の対応がきわめて不誠実だったうえに、なぜか「被害者であるサークルの側が今後の施設利用を拒否される」という理不尽な事態へと発展した。
この不公平きわまりない判断に憤ったサークルが都を相手どって裁判を起こし、それをきっかけにゲイの側で「社会運動」の気運が一気に高まり、「ゲイリブ」と呼ばれるムーブメントが生まれたのであった。

それとほぼ同時期に、エンターテイメントの分野では「ゲイブーム」というのが起こった。
現在の「おねえブーム」に似ているが、放送や出版の世界が今よりはるかにパワーがあったぶん、熱気は強かった気がする。
個人的に面白いと思ったのは、「人権活動」であるゲイリブと、「商業活動」であるゲイブームが、奇妙な融合を見せたことである。
「ゲイリブの主要メンバー」とされる面々がテレビに出たり、本を出したりして、ある種の「カルチャーアイドル」的に扱われだしたのだ。
彼らの云うことや書くものはエンタメ系とは趣を異にしていたが、それに一定数のファンがついたのは、昭和末期の「ニューアカ(=ニュー・アカデミズム)ブーム」によって、「小難しい理屈もおしゃれアイテムの一種」とする風潮がついていたからかも知れない。

そうした一連の流れをぼくはウォッチングしてはいたが、これまで書いてきたように「筋金入りのナンパ野郎」であったので、かなり「他人事」ぽい感じであった。
テレビを観ながら「ふーん、こんな人たちが出てきたのか……」と思いはしても、自分の関心が向かうのはあくまでも「性的方面」オンリーなのである。

あと、バブルの恩恵……というほどではないが、好景気のおこぼれにソコソコあずかっていたことも大きかったネ。
元々かなりのノンポリ野郎で、「天安門事件」というのが何なのかも理解してないほどのアーパーヤングだったのだが、そんなヤツが持ちつけない金を持ったりしたモンだから、もー享楽的になるは、なるは。
独りだけアホだと周囲から浮いてしまうトコだが、当時の若者は大半がぼくと五十歩百歩の知能だったので、特に痛痒を感じることはなかった。
なんか日本中が「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な状態だったんです。
お金を必要以上に持つと、やっぱ人間はバカになりますワ。

良くも悪くも90年代の同性愛者コミュニティは「ゲイリブ」と「ゲイブーム」に翻弄された感が強い。
しかし90年代のぼくは、たまに小説を投稿して小遣い稼ぎをする程度の一般ホモだったので、どちらの恩恵にも浴してはいない。
とはいえバブルの狂乱を実体験することはできたので、それはそれで有益だったとは思う。
ただ、もうちょっと賢かったら、もうちょっと別の関わり方ができて、より面白かった気はしますけれどもネ。
 
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-ヒビレポ 2015年5月15日号-

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