借りたら返す! 第7回

なんとかなりそうな気がした

 
海江田哲朗
(第12・13号で「劇団カクスコ 11年後のカーテンコール」執筆)
 
 
 
 大学を6年かかって卒業し、フリーライターになった。なんとかなりそうな気がしたのだ。もし当時の自分に会えるなら、それは気のせいだぞ、目を覚ませバカと言ってやりたい。

 どこかの企業に就職して働くことに、まったく現実感がなかった。自立し生活していくことは、ピンとくるとかこないとかそういう話ではないのだけど、そのときはそう思っていたのだからしょうがない。

 一応、就職活動はしたのだ。出版社を2社受けた。縦、横、斜め、どこからどう見ても劣等生であることは自覚しており、一流どころには相手にされないだろうと、中堅の出版社に履歴書を送った。面接で何をしゃべったのかまるで憶えていない。ほどなくして、「採用を見送らせていただきます」の封書が届いた。そりゃそうだよな、と妙に納得した。

 僕にとって就職活動はアリバイ工作のようなもので、ぼんやり別のことを考えていた。


 
 マガジンハウスの『ダカーポ』編集部でアルバイトをしていたことはヒビレポ第3回で述べた。編集部の上の階にライター室という部屋が設けられており、そこに一風変わった大人が出入りしていた。雑誌に原稿を書いて生活しているライター。バイト小僧の僕はおつかいに走らされたり、飲みに連れて行ってもらったりして、彼らとささやかな交流があった。

 自由な空気を身にまとっていて、服装もカジュアル。何よりいろんなことを知っていて、話すことが面白い。そういう種類の大人と接するのは初めてだった。取材して原稿を書き、稼ぎを得る。そのシンプルな生き方もかっこよく見えた。ライター稼業の大変さをこれっぽっちも知らず、上辺だけを見て憧れた。就職するよりこっちのほうがいいなあと安易に考えた。

 ライターの仕事をなめているつもりはなかったが、なめきっていたんだと思う。でなければ、そのまま居座ることができないかと画策するはずがない。それにしたって、いくらなんでも無謀すぎる。世間を知らないにもほどがある。若気の至りでは済まされないよ。いったいどういうつもりなのか、あの頃の自分に問いただしたい。

 卒業を半年後に控えていた。編集者やライターの先輩に気に入られようとして必死だった。必死になる方向が違っていることに気づいていなかった。見どころのある若者だと思われたくて、話しかけられたときは気の利いた返しを努力した。プロの眼に映る見どころの意味がわかっていなかった。せめて可愛げのある奴だと思ってもらえるように、笑顔と元気を心がけた。その裏にある下心はとっくに見抜かれていたはずだ。

 ライターになって、何を書きたいのか。どう考えたって、そっちが先だろうよ。そのへんはあいまいなまま、書いて生活するライフスタイルを実現しようとした。取材で知らない人を訪ね、知らない世界を垣間見、わくわくして楽しそうだと。本末転倒もいいところである。編集部に若いのがひとりいれば、そこそこ便利に使ってもらえるだろう。こう目論んでいたのだから、並大抵の厚かましさではない。このなめくさった姿勢、ずうずうしさ、書いてて吐き気を催しそうになってくる。

 ある先輩ライターは「おまえ、人生棒に振るぞ」と親切に警告を与えてくれた。それを軽いジョーク程度に受け取った僕は「どうせ棒に振るならフルスイングです」と答えた。可能性に満ちた若者らしさを演出したつもりだろうか。ビルの屋上から逆さ吊りにしてやりたいよ。

 また別の先輩ライターは、バイク雑誌を扱う編集プロダクションを紹介してくれようとした。これをいいっスって断ったってんだから、手に負えない。バイクってよくわからないし、囲われてしまうのは窮屈というのが、その理由だった。オーマイガッ! 信じられない。興味があろうがなかろうが、編集とライティングの経験積んどけって。

 なんとかなりそうな気がしたのだ。むろん、根拠はない。それでなんとかなるほど世の中甘くはなかった。
 
 
 
-ヒビレポ 2015年5月18日号-

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