二代目『薔薇族』編集長の作り方 第9回

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かなり狂信的でした

 
竜 超
(第19号で「ヤマジュン・コード」を執筆)
 
 
 
重度の中二病患者だった少年が、本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでを描く大河ロマン(自称)……今回は、平成に入ってにわかに盛り上がった「同性愛ムーブメント」に翻弄されていた自分について語ります。
 

95年の夏、実家での2年間の充電を終えたぼくは、3度目の上京を果たした。
部屋を借りたのは新宿区の真ん中あたりに位置する「富久町」……と云っても、それだけじゃ東京在住者にだって判らないでしょうナ。
最寄の駅は、伊勢丹近くの「新宿三丁目」と、防衛省のある「市ヶ谷」にはさまれた「曙橋」で、そこに住む理由が特にあったワケではないが、まァ「久々の東京なワケだから、思いっきり都心に住んだろか」と思ったのだ。
あ、引っ越した時点ではまだ、お台場に移転する前の「フジテレビ」がすぐそばにあったネ。

今度の住まいは家賃5万5000円也のワンルームマンションで、エレベータと風呂の付いた物件を借りるのは生まれて初めての経験だった。
ずっと「四畳半・トイレ共同アパート」で暮らしてきたぼくにとっては、狭苦しい六畳一間であってもゴージャスな部屋と映った。

敷金礼金を払ったら、あっという間に蓄えの半分近くが吹っ飛んでしまったので、急いで当座のバイトを探した。
求人誌で個人経営の版下スタジオのスタッフ募集を見つけたので、とりあえずそこで働かせてもらうことになった。
なんちゅーかぼくは、金に困ると版下仕事をする傾向があるみたいですナ。
バイト先があったのは特殊な設計の古いマンションで、ウソかホントか知らないけど、社長が云うには「昔、都倉俊一夫人だった女優の大信田礼子が住んでいた」そーな。


 
あ、「ゲイ業界ウォッチング」のほうは東京に戻ると同時に始めていた。
真っ先に見に行ったのは、引っ越しの直後に開かれた「第2回 東京レズビアン・ゲイ・パレード」だった。
前年に開催された「第1回パレード」にはまだ実家にいたので出られなかったが、今回ははれて参加できる!
ぼくはウキウキ気分で、集合場所であるJR千駄ヶ谷駅近くの「明治公園」へと向かった。
そこには、これまで見たこともないような数の「お仲間」たちが集まっていた。
それまでは基本的に「性をやり取りする場」でしか同好の士を見たことがなかったので、かなりコーフンしたし、ずいぶんとカンドーもしたっけ。

初めて参加したパレードは、レズビアンのオネーサマ集団が「三百六十五歩のマーチ」をアカペラで合唱したりして、かなり手作り感あふれる仕上がりだった。
いや、ケナしてるのではなくて「ホメてる」のヨ。
パレードはその後、主催団体が変わるごとに企業とのタイアップ感が増して商業色が強くなり、初参加時にぼくの心を動かした「素朴さ」を失っていった感が強いので。

このあたりは各人で意見が大きく異なるところだろうが、ぼくは「デカくてハデなほうがイイ」的な考え方には違和感をおぼえるタイプなのであります。
少なくとも、企業・政党・議員・その他大勢の「名を売りたい人々のPRの場」ではないだろ、と思います。
嗚呼、95年時の「微笑ましいシロートっぽさ」が懐かしい……。

下半身方面の活動は相変わらず続けていたが、パレードに参加したことをきかっけに、ぼくの中で新たな動きが生まれた。
かつては他人事としか映らなかった「ゲイリブ」方面にも関心が湧いてきたのである。
それも、かなりキョーレツ……というか「狂信的」に。
そのタイミングで約10年ぶりに再開したのが、高校時代にぼくを文芸部に引っ張り込んだ元・同級生だった。

その「元・同級生」というのは高校の頃からヘラヘラしてて、すべてにギャグを織り交ぜてくるようなタイプなのでありました。
久々に会って話をする中で、ぼくの下半身事情を知っているソイツは、例のごとくヘラヘラした調子で、同性愛者を揶揄するよーなことを云ってきた。

ヤツがそーゆー性格だというのは百も承知していたし、云われたことにしたって「人生経験を積んでソレナリに練れてきた現在のぼくなら受け流せる程度の軽口」だったのだが、ゲイリブに染まっていたぼくには、どーしても許すことができなかった。
「ふざけんなテメエ絶交だッッ」とばかりにイキりたち、そのままホントに縁切りしてしまったのである。
いま振り返ると狭量きわまりなく、まったくもって「バカなことをしたなァ」と思う。
その後、様々なものを見聞きしてゲイリブの実相を知って「脱会信者」となったので、なおのこと痛烈にそう感じるのだ。

元・同級生は、いまでは小説家とか構成作家とか、某有名俳優と組んでの「地球市民活動」とかやってるようだが、絶交してから20年間いっぺんも会っていない。
いまはそーとーヘラヘラしているぼくだけれども、高校時代はかなりのピリピリ野郎で「誰かに詫びる」という行為ができなかった。
なので、当時の仲間に接すると、ついついその頃の自分がよみがえってしまい、「あの時はスマンかった」の一言が出てこないわけですネ。
それでもまァ、死ぬまでには絶対キチンと謝ろうとは思ってるンだけども。

この時の苦い体験を踏まえて、ぼくはゲイリブ信者の若い連中に会うと必ずこう云うようんびしているのだ。
「浅はかなイデオロギーに囚われて心の柔軟さを失うと、大切なものを見失って深く後悔する羽目になるゼ」と……。

まァ、狂信的になってる時には、他人からこんなことをいくら云われても心には響かないンだけどネ。
いや、ぼく自身そうだったのでよく判ります。
それでも「自分と同じ轍を踏む人間」をちょっとでも減らせたら、という思いにかられながら、いま現在もお節介を続けてるンであります。
……と、今回はいつもと違い、「ちょっとイイ話」として結んでみました、ハイ。
 
ヒビレポ用イラスト(9)
 
 
 
 
-ヒビレポ 2015年5月29日号-

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