二代目『薔薇族』編集長の作り方 第10回

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騒乱のパレードにポカ〜〜ン

 
竜 超
(第19号で「ヤマジュン・コード」を執筆)
 
 
 
重度の中二病患者だった少年が、本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでを描く大河ロマン(自称)……今回は、人生初の「ゲイ向けメディア」を作った当時について語ります。

版下スタジオのバイトは3カ月ほど続けたが、それと並行して正社員の口も探していた。
やがて、契約クリエイターの頃と同じ「求人広告制作」の職にありつけた。
出社が朝10時、夜は11時過ぎが「事実上の定時」だったが、給料はかなり安かった。
しかも、基本的に「休み時間ナシ」で、「弁当を買いに出る時間」&「その弁当を食う時間」が「事実上の昼休み」なのであった。
あと、給与計算の〆日には夕方6時の「契約上の定時」になると強制的にタイムカードを押させられていたので、その日の残業は「無給」ということになる。
要するに、かなり「意図的なブラック企業」だったわけですナ。

そのあたりについて、ぼくは割とストレートに不平不満を口にしたので、1年くらいでクビになった。
しかし、いま振り返ると「それで良かった」と思うのであります。
ムカつくことを腹にため込んだまま働き続けたら、きっと心を病んでいただろーからネ。
「病気になる」よりは「クビになる」ほうがはるかにマシってモンですゼ、いやホントに。


 
次の勤め先は、前の職場にいる間に決めておいたので、転職のブランクは全然なかった。
金曜日まで前の会社に勤め、2日おいた翌月曜から新しい会社に勤め始まったので、できればちょっと休みたかったンだけどネ。
けれども転職によって給料は倍になり、残業代も今度はキチンと支払われたので、収入は大幅に増えた。
社長は無口でコワモテのワンマン親父ではあったが、金払いはキチンとしていたし、ソレナリに情の深い人だったので、たまにケンカすることはあっても、ぼくは嫌いではなかった。

転職して得たもので最も大きかったのは「惰性的な残業がなくなった」ということですナ。
前の職場では、クリエイターチームは「営業マンが遅くまで働いてるのだから」という理由にならない理由によって「仕事のあるなしに関係なく、営業マンの退社する11時過ぎまで全員残っていた」のだ。
けれども今度の会社は、クリエイターはぼくだけ(別ビルの支社は2人体制だったが、ぼくの持ち場は1人体制)だったので、仕事を早く済ませれば早く帰ることも可能になった。

話が前後するが、まだブラック企業にいた時分から「創作活動」に熱中するようになっていた。
といっても、それは以前のような「小説執筆」ではなく、現在の活動に通ずる「ミニコミ作成」である。
ゲイ雑誌の文通欄に「ミニコミを一緒に作ってくれる仲間、求む」という募集が載っていたので応募し、同じように集まった面々と交流を持ち始めたのだ。

計算外だったのは、云いだしっぺの男が途中でトンズラこいてしまったことである。
そいつは途中から「女装お笑いグループ」に入れてもらい、ゲイクラブのショウなどに出演しはじめたのだが……まァ「派手なステージ活動」に比べたら「地味な創作行為」なんてやる価値ナシ、と判断したのだろうネ。
他人の漕ぎだした船に乗ったら、いつの間にか船頭がいなくなっていた……みたいな状況で、とり置かれた残りのメンバーは「ポカ〜〜ン」といった感じであった。
が、「まァ、せっかく集まったのだから」と、創設メンバー抜きでミニコミを作ることにした。

そうやって生まれたのが『げいぶるっ!』という冊子である。
わずか8Pしかない薄いものだったが、ぼくにとって初となる「ゲイ関連のインディーズ媒体」であった。
いくつかの記事を書いたが、目玉となるのは1996年の8月に開催された「第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード」のリポートである。

初参加した前年のパレードがとても楽しかったので、「面白いから行こうぜ」とミニコミ仲間も誘ったのだが……そこで目の当たりにしたのは、なごやかだった前回とは真逆の情景だった。
パレード本番を無事に終え、プログラムがアフターイベントへと進んだ時に「騒ぎ」は起こった。
主催者サイドと方針を異にするグループがステージ上にいきなり乱入してきて、マジな乱闘騒ぎとなったのだ!

……このあたりの詳細は要約して軽々に語れるようなものではないので、あえてここでは書かない。
『薔薇族』410号にかなりのページを割いて解説しているので、知りたい方はソッチをお読みください。
とにかく、想像を絶する波乱の展開となったので、ぼくも友人もひたすら「ポカ〜〜ン」状態に置かれた。
なんか、ウワサに聞く安保闘争の時代にタイムスリップしたみたいだったので、最初は「……アレ? 余興の寸劇か?」とか思ってしまいましたよマジで。
その騒動をまとめた『げいぶるっ!』の記事は、これも現在の活動のプロトタイプ的なもので、いま読み返すと文章はシロート臭くて稚拙だが、視点自体は今日のぼくとあまり変わっていない感じなのである。

残念ながら『げいぶるっ!』は1号出ただけで終わってしまったが、その数年後、人生を大きく変える「新たな創作ジャンル」と出会ったのであった。以下、次週!
 
RY10-S
 
 
 
 
-ヒビレポ 2015年6月5日号-

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