二代目『薔薇族』編集長の作り方 第11回

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プロデビューは偶然の産物

 
竜 超
(第19号で「ヤマジュン・コード」を執筆)
 
 
 
重度の中二病患者だった少年が、本邦初の同性愛マガジン『薔薇族』の二代目編集長になるまでを描く大河ロマン(自称)……今回は、偶然の連鎖の産物として「商業誌でのコラム連載」を始めた当時について語ります。

人生初となるゲイ媒体『げいぶるっ!』を出した後、ミニコミ制作はいったん休眠状態に入った。
代わって始めたのが、当時ブームとなっていた「ホームページ(HP)制作」である。
当時は「インターネットさえあれば何でもできる!」みたいな一種の「信仰」が世間に蔓延し、その経典……もとい専門誌が書店に山のように並んでたっけなァ。
ちなみにインターネットを始める前に「パソコン通信」もチョロッと試みたりはしたが、「文字データのみのやりとり」はイマイチ物足りず、すぐに放りだしてしまったのでありました。
その後「インターネット」が主流になりだすと、パソ通はどんどん下火になっていった。

とはいえ、ぼくがインターネットに手を出したのは、世間よりかなり遅れてのことだった。
光ファイバーとかがなかった当時、ネットとパソコンをつなぐのは「電話回線」で、「データ読み込みが極端に遅いうえ、接続料がバカ高かった」のだ。
あの頃ネットユーザーだった人ならば、「深夜早朝の時間帯(23:00〜翌8:00)限定で、特定の電話番号にどれだけかけても通話料が一定」というNTTのサービス「テレホーダイ」を懐かしく思うのでは?
余談だが、ぼくがネットに手を出したのは、新たに引っ越したマンションが、当時はまだ珍しかった「インターネット常時無料接続物件」だったからであった。
でなけりゃたぶん、始めるのはそーとー後になってたと思うス。


 
HPを始めるにあたり、ぼくが最も頭をひねったのは「テーマ」であった。
ぼくが始める頃にはもうすでに、ネット上には星の数ほどのHPが存在していたので、生半可なネタでは人目を引くことなんかできない状態だったのだ。
そこで意識をいったん「HPマスターモード」から「ユーザーモード」に切り替えて、「自分が観たいと思う」もので「現存していないジャンル」は何かを考えてみた。
結果、たどり着いた答えは「エロ」だった。
「家庭用ビデオ」の時もそうだったが、新たなメディアを一気に浸透させる牽引力を持っているのは「エロ」なのである。

というわけで「エロHPを作る」と決めたのだが、しかし一口にエロと云っても色々なものがある。
ユーザーとして「自分が観たいと思う」もので「現存しないエロ」とは何か?
それはずばり「フェチ」である。

この決断には、じつは『レポ』もほんのちょっとだけ関わりがある。
ぼくは当時「三才ブックス」から出されていたムックシリーズ『裏モノの本』の熱心なファンで、北尾トロ編集長や下関マグロ氏の名前はそこで初めて知った。
中でも、マグロ氏のやっていたフェチネタ記事にはかなりの憧憬を抱いていた。
(こんなオモシロそーなことを「仕事」としてやってる人がいるなんて!)
ずっとこんな風に思っていたので、「ちょうどいい、マグロさんのやってるようなことのゲイ版をやってみよう」とすぐに結論が出たのであった。

それプラス、当時全盛を誇っていたアダルトビデオメーカー「ソフトオンデマンド(SOD)」のテイストも取り入れることにした。
SODの打ち出していた「バカAV路線」は、昔ながらのオーソドックスなセックスしか描けないゲイAV界に苛立っていたぼくに、様々な刺激を与えてくれた。
SODに興味を持ったのをきっかけに、ぼくはバカエロ路線のAVやエッチ本およびそのメーカーや制作者についてリサーチを、持ち前のマニア性をフル稼働させながら行なっていった。
その時に得た知識は、後にモノカキとしてのぼくに大きな力を与えてくれた。

『レポ』寄稿者の中に、HP作成の参考にしたライターさんがもうひとりいた。
ポップなエロ記事で当時かなり目立っていた安田理央氏である。
安田氏のカラッとした陽性の文章は、従来のソッチ系コラムとは一線を画している感じだった。
なんというか、昔のエロ記事が「助平」と表記するのがシックリくるものだとしたら、安田氏のそれは「スケベ」というイメージだったのだ(なんだそりゃ)。
とにかく安田氏は、エロというジャンルの希望というか可能性をぼくに見せてくれたのであった。
後に安田氏は、ぼくのHPに関心を持ってくれ、「男女物エロメディアにやたら詳しい変なホモ」として雑誌で紹介してくれたのだが、あンときゃ嬉しかったなァ〜〜。

マグロ氏の「フェチ」とSODの「バカ」、そして安田氏の「ポップ」を融合した「前例のないゲイエロサイト」は、公開するやアクセス数をグングン伸ばしていった。
コンテンツに関心を持った人たちから次々と連絡が入り、彼らの協力によって内容はどんどん充実していった。

ちょっと自慢ぽい感じだが、人気はずっと落ちなかったネ。
その最大の理由は、ぼくの生来の「飽きっぽさ」だった。
テレビ番組であれ雑誌連載であれ、人気が下落する原因は「マンネリ」である。
ところが飽きっぽいぼくは「自分のサイトに自分自身でマンネリを感じてしまう」ため、お客が飽きるよりも早く、コーナーを入れ替えたり、新しいサイトにリニューアルしちゃったりするのだ。
お客のほうが「まだ変えないで」と頼んできてるのに、「ダメ! もうワンパターンになったから変える」とか云っちゃうンだから、我ながらホントにルーティンワークが嫌いなのですなァ〜。

エロサイトが評判になったことで、ぼくの人生に新展開が訪れた。
始まりは、『Badi』というゲイマガジンから取材の依頼が来たことである。
取材後の雑談の中で「コラムとか連載させてくださいよ」とジョーダン半分で話したところ、「じゃあ、企画書を出してください」と云われたので何本か書いて送ったところ、うち1本が採用されたのだ。
かくして2002年1月号より署名コラムの連載がスタートし、ぼくは37歳にして初めて「広告コピー以外の文章仕事でギャラを手にした」のだった。

以来13年間、『Badi』でのコラム連載は(数回のリニューアルをしながら)ずっと切れ目なく続いている。
それと並行して、かつてのHPでやっていた「フェチ&バカ&ポップエロ」の流れをくむ特集もちょくちょく依頼されているが、これはこれで貴重な場であると考えている。
お堅い記事だけやってると「変な信者」みたいなのがくっついてくるので、適度に柔らかいものもやっとく必要があるのですワ。

HPは、商業連載をスタートさせた後も続けていたが、いいかげんエロ系にも飽きたので、読み物系にモデルチェンジしていた。
そこでは色々なコラムを書いたが、そのうちの1本がまた新しい展開を運んできたのであった。
それについてはまた次回! 来週もきっと面白いゼ。
 
ヒビレポ用イラスト(11)-s
 

 
 
 
-ヒビレポ 2015年6月12日号-

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